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29歳計画

「年齢なんて、ただの整数部分だからね」
浪人して予備校に通っていたとき、誕生日を迎えた数学の先生が言っていた。当時は数学の先生らしい表現にただ笑った。
先生は電機メーカーに勤めていたがうつになり、脱サラして予備校講師になったという。「大人って大変なんだな」という同情と、「脱サラってなんかロックだな、かっこいいな」という頓珍漢な感想をもったことを覚えている。

年齢はただの整数部分。
当時19歳の私はその考え方が好きだったが、29歳にもなると否が応でも「30歳」という整数部分を意識してしまう。整数部分に置き去りにされないよう、私は生き急いでいる。

最近「26歳計画」というZINEを読んだ。この本では住む場所もバックグラウンドも異なる人々が26歳の過ごし方について語っていた。
子どもを育てている人もいれば、海外で一人夢を追い続けている人もいる。しかしどんな生き方を選んだ人の文章からも、それぞれの迷いや不安が感じられる。
「深夜特急」で有名な沢木耕太郎が26歳を「旅の適齢期」としているが、私の26歳も「26歳計画」の著者と同じくコロナ禍のうちに過ぎてしまった。

歳を取ることが恥ずかしい
26歳になったばかりだから
恥ずかしいものが余計に恥ずかしい
まだまだ大人には程遠いのに、歳だけは多くなる

26歳計画(本文・KATSUYA/編・椋本湧也)

この恥ずかしさも、歳に置き去りにされることへの不安から来ているのではないだろうか。自分が大人になったと感じるタイミングを、時は待ってくれない。実際の歳ほど大人になれない自分を持て余している。
29歳になってみると26歳をまだまだ若いと感じるが、いざ32歳になったら29歳に対しても同じことを言いそうだ。26歳であれ30歳であれ、その年齢を大人に感じていたのは遠くにあったからで、誰しもが実感の薄いまま通り過ぎるものかもしれない。

「30歳ってもっと大人だと思ってたよね」
最近になって同年代の子と会うとこんな話をする。
思えば大学を卒業してからは、年齢の節目を感じるイベントがない。強いて言えば結婚や出産、家や車の購入というイベントが一つの節目になるだろうか。いざ自分が結婚してみると、自分が劇的に変化したという自覚はない。

私もそろそろ、当時の先生に近い年齢だ。
予備校の先生が電機メーカーを辞めるとき、彼は自分を責めて迷って、一通り苦しんだうえで教壇に立つことを選んだのではないかと思う。当時は他人事だった自分が、今では感情移入してしまう。私も前職で適応障害になり、仕事を辞めた過去がある。
29歳の私は薬剤師を辞めると誓い、今や企業のライターとして働いている。将来は会社を辞めてフリーでライターになりたい。19歳の私は自分が医者か薬剤師として生きていくものだと思っていたが、まさか脱サラが自分の選択肢にも入るとは思わなかった。

年齢はただの整数部分だ。30歳になるまであと半年余り。
「もう」30歳なのか「まだ」30歳なのかはわからないが、一つの節目としてそのときを恐れず迎えたい。

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やーはち@文学フリマ東京39
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