26歳、25歳、21歳年下の恋人たち
50有余歳の私に、27歳と28歳と32歳の彼氏がいると言うと大体信じてもらえない。金銭づくではない。セックスに金は払わない。しかし年齢を明かさずに、対面で同じ話をするとそこまで驚かれない。驚かれはするが、男性たちとの年齢差についてではなく、複数人と同時進行しているということ、そして全員が外国人であるという点に関心を持たれる。
私は結婚とか同棲とかいうことに興味なく、一対一の永続するパートナーシップというものにも関心がない。その一方で、一夜限りの情事とか体だけの関係ということも出来ない。心のつながりが無いと体を繋ぐ気になれないタイプなのだ。そこで、その時々で恋に落ちた人何人とでも、続く限り続ける、という形になる。それが最も自然で快適なのである。
淫乱と思われるかも知れないが、私には淫乱なところはないと思う。私は恋の喜びを愛している。これがないと生活に張りというものが出ない。ときめきなしにどうやって朝布団から出ろというのだろう。
さはありながら、それ程惚れっぽい質(たち)でもない私には、好きになれる男性、体を許してもいいと思える程の男性はなかなか見当たらない。幸運にもそんな人に巡り合ったら、その機会を溝に捨てるなんて罰当たりな真似は思いも寄らない。だから機会があれば拾う。拾ったら育てる。終りが来れば手放す。それだけである。
中年とか老年とか言われる年齢の女性の非常に多くが、実は恋をしたいと思っている。それも、大きく年下の男性としたいと思っている。70歳の女性でも、70歳の男性なんて眼中にない。女性の多くは歳を取るほど、どういうわけか、益々年齢の低い男性に惹かれるようになるようだ。お祖母さん世代の女性が「推す」のは、今やお爺さんになってしまった青春時代のアイドルではなく、孫と同世代の現役アイドルだ。
男性はこれとは対照的である。男性も、若い女性にはいつまでも惹かれ続けるものの、歳をとるにつれ、大抵は自分の年齢に近い女性も段々受け入れられるようになって行く。20代の頃は40歳の女性なんてムリと思っていても、自分がその年齢になってみれば、それもアリになって来る。この男女の対照は、人類最大のミステリーの一つだと思う。
いくつになっても、恋をしたいなら、すればいいのである。
年老いても、若い頃と同じことをしたいと思うのは普通のことだ。人の中身は外見ほどには変らないからだ。自分には無理だと思うのは思い込みである。人生の喜びの大きな部分を、世間の見方に従って諦める必要があるだろうか。
私の色バナシを読んで、一人でも多くの「大人の」女性が諦めていた色恋に復帰する気になれたら嬉しい。私のやり方が万人に有効ということはないだろう。ただこんな道もあるということ知って、自分にもやり様があるかもしれないと気づくきっかけになればいいと思う。自分に有効な道は、各人が既に知っている。