「50歳を過ぎている女性が20代の男性とつきあえるのは何故ですか?」
10歳以上年下の男性に誘われたりデートしたりすることは日常茶飯の事だし、15歳、20歳以上下のこともある。そこからロマンスに発展することもある。男性の方が年上なら兎も角、女性がそんなに上なのは信じられないという人は多いかもしれない。それは世間一般に言われていることをあまり額面通りに受取り過ぎているのではないかと思う。
この記事は「外国人と恋愛した方がいいか診断」の8.「 自分は大人っぽくて男受けしないと思う」にはいと答えた人に対し、それが思い込みでなく実際そうなのであれば、国際デート市場への早めの転換を提案するものである。併せて、大きく年下の男性にしか興味はないが、若い男性に相手にされないと思って悲観している女性にも読んでもらいたい。
異性の好みは人それぞれとは言え、一つの社会において多数派の好みというものはやはりある。以前の記事にも書いたが、日本人男性の多くが好むのは、あどけなく、愛らしく、大人しく、物を知らないといった女性像である。つまり少女だ。大人の女性の反対だ。成熟していなければいない程好ましい。Kawaiiという価値観/審美観は世界に知られつつあるが、可愛いとは読んで字の如く、愛す可き=愛らしいということだ。嘗て美女は綺麗とか美しいとか言われたものだが、今はカワイイと言われる。カワイイの支持者は女性だと思われているようだが、何のことはない我々は男性の好尚に阿(おもね)っているに過ぎない。
日本以外の場所では、日本でウケる女性像と比べるとかなり大人っぽい女性が魅力的と見られていると感じる。日本の「モテキーワード」がカワイイだとしたら、アメリカのそれは「sexy」だろう。ラテンアメリカとなると、sexyかつsensualだと思う。ドイツや英国の女性は、私の目には実際よりかなり年上に見える。それでも彼女らは「若い女性」で通っている。フランスの女性は、知的な成熟を認めて欲しいと思う人が多いように感じる。海外の女性たちは性的な成熟や知的な成熟を追求している。どこへ行っても、日本人女性に特徴的な、未熟さを印象付けようとする幼児のような話し方や、高いトーンの作り声にはお目にかかれない。
これはつまるところ、男性がそういう女性を好んでいる、少なくとも受け容れているということの表れだと私には見える。女性が強くなる一方だとぼやく声も聞こえては来るが、長期的なパートナーに対し、知的な成熟や独立性を求める男性が多いという話は前にも書いた↓↓↓。
かてて加えて、海外では年上の女性との恋愛に男性たちがオープンである。これには初めの頃は驚いた。もう15年以上、大きく年下の男性とばかりデートしている。勿論全員日本人以外である。
ここでひとつ但し書きをせねばならない。
それは、私がかなり若く見られているということである。
いくつくらいに見られるかは人により時により様々であるが、30歳から40歳とかなり開きがある。それでも、50+という実年齢を考えると、なかなかの健闘ぶりと言えるのではないか。
そうは言っても、見た目年齢ですらデート相手の実年齢よりかなり上、というケースも間々ある。結論を言ってしまえば、彼らは気にしていないのである。我々女性が勝手に、男は自分より若い女が好き、と決めつけているだけのことなのだ。今でも多分大多数の男性は、老人よりは若い女性が好きであろう。が、だからと言って、年上が完全に排除されている訳でもない。1. 大人の女性には若い女性にない魅力があり、2. あなたには年齢に関係ない独自の魅力がある。輝く若さには、確かに何物にも代え難い魅力がある。だが、どの年代にもそれぞれ独自の値打ちがある。そして、我々の真価はそもそも年齢で増減するものではない。そのことを理解してから、貴重な若さが別の何物かに変って行くことを、悲観する必要は別にないということが、歳をとるほどにわかるようになって来た。
おまけとして、ここだけの話だが、我々大人の女性にはいいニュースがある。
若い男性は年上の女性に対する憧れを持っている、ということだ。
あなたも若い頃、年上の男性の成熟、洗練、人生経験、経済的余裕などがまぶしく映ったことがなかったろうか。何を隠そう、(外国の)若い男子たちも、私たちのそのような質をまぶしく見上げているのである。なんと良くしたものではないか。
まだある。
それは、セックスにおける経験の蓄積と成熟が強力な切り札となるということである。これは個人差のあることで、年齢と経験が正比例するとも限らないのだが、修練を積んでおいてロマンスに損になることはない、と思う。
経験を積み自分をよく知るようになる程、自分も愉しみ相手も楽しませられるようになる。女性の悦びの深さが男性の悦びの深さを決める。だから男性にとっては技術の習熟が、女性にとっては自分自身の開発の度合いが鍵になる訳である。
この方面で経験を重ねて行くと、いわく言い難い雰囲気を放散するようになる。独特の色気のようなもの、誘わずして誘うような、引き込むような力、心の底まで見透かされるような眼差し、高揚させると同時に安心させるような空気、思わずついて行きたくなるような何か等等が備わるようになる。これはそういう人に会ってみるとわかるようになる。
経験というのは人生全般、人間関係、恋愛、職業生活など諸相あるが、性生活というのは、女性としての自分にとって重要な一側面であった。強姦が「魂の殺人」と呼ばれることがあることからもわかるのは、性というものは我々の存在そのものに根差す何かだということだろう。この側面に真剣に取り組むことは、自分との関係を深めることに他ならないと思う。セックスは人とつながる方法の一つであるが、それより以上に、自分との繋がりを強めてくれたと感じている。
18歳年下のある男性は、私の「自信」に打たれたと言っていた。私は自分に自信があるとはとても思えないのだが、色々あった末にようやく、「自分はどうやら大丈夫らしい」という理解に到達するようになった。それがある種の落ち着きにつながっているのだろう。その落ち着きが人によっては自信と感じられるのかも知れない。私ならそれを成熟と呼ぶ。または自由の自覚と呼ぶ。何と呼ぶにせよ、それは男性を惹きつけるようだ。
そういう今の私を喜んでくれる年下の男性たちが外国にはいるので、有り難く彼らとロマンスを楽しんでいる次第である。