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ロラン・ティリ、就任から約10年の栄冠を飾るオリンピック金メダル


元記事:https://www.francetvinfo.fr/les-jeux-olympiques/volleyball/jo-2021-volley-laurent-tillie-une-medaille-d-or-pour-couronner-pres-de-dix-ans-de-mandat_4730427.html

見出し写真:FFVolley

※翻訳はあくまで趣味の範囲であり、誤訳が含まれる可能性もあることを了承いただきお読みください。

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東京オリンピックで金メダルを獲得したことで、ロラン・ティリはフランスのバレーボールチームの監督としての最後の仕事を最高の形で終えました。

その東京の夜に酔いしれる―ロラン・ティリは有明アリーナのフロアの端で歓喜していました。選手たちは、8月7日(土)に行われたロシアとのオリンピック決勝戦(25-23、25-17、21-25、21-25、15-12)で勝利し、フランスのバレーボール史上最大の偉業を達成したばかりでした。彼が9年間に渡って育成してきたフランスチームが、オリンピックのチャンピオンになったのです。

2012年から始まった長い冒険

東京オリンピックの最後のホイッスルが吹かれたときのフランス人監督の顔からは、どうしても感情があふれることを止められませんでした。
なぜなら。フランスチームにとって最初の国際タイトル(2015年ユーロ大会)を獲得した人物であり、レ・ブルーを2つのワールドリーグ(2015年と2017年)で勝利に導いた人物であるロラン・ティリは、代表チームの監督としての経験が終わりを迎えようとしていることを実感していたからでした。

9年前の忘れられない、思いもよらない出来事。2012年7月、レ・ブルーがロンドンオリンピックの出場権を獲得できなかったため、フィリップ・ブランの後任としてロラン・ティリが監督に就任しました。そこでティリは、ロンドンオリンピックの開幕日に、選手を集めて最初のトレーニングを行いました。それは選手にとっては拷問だったのでしょうか?

なぜそのようなことをしたかというと、彼の9年間の監督生活の指針となる目標、つまりオリンピックで金メダルを獲ることについて考えてもらうためでした。ティリはそれこそが大切なことだと信じていました。

ゴールは『オリンピック』

2006年から2016年までの元フランス代表(243試合出場)のアントニン・ルジェは、この最初のトレーニングには欠席しました。

「ロンドン大会の敗退には失望しました。私はフランスチームから少し距離を置いていました」

代表チームに戻ったオポジット(現在Plessis-Robinsonでプレー)は、新監督の決意に注目していました。

「彼(ティリ)の最優先事項は常にオリンピックです。これまでにも、タイトルや表彰台など、チーム作りに役立つ大会はありました。しかし、オリンピックは常に第一の目標でした」とルジェは語ります。

ティリはオリンピックという大会を1番よく知っていると言っても過言ではありません。1980年代から1990年代にかけて、フランスチームのアウトサイドヒッターとして、Alain Fabianiとともに活躍しました(「ロランはとてもいい選手だった」とルジェは振り返る)。レ・ブルーの監督がフランス代表のバレーボールを初めて体験したのは、1988年のソウルオリンピックでした。そして、その4年後のバルセロナ大会も続いて出場しました。この2つの大会では、フランスチームは8位と11位に終わりました。そして、監督として出場した2016年のリオ大会での大きな失望(グループ予選敗退。9位)は、オリンピック大会への意欲をさらに掻き立てるものでした。

フランスのチームスポーツの中でバレーボールは、バスケットボールやハンドボールよりも見劣りしていました。しかし、フランスチームを率いた9年間で、ティリはこの状況を覆(くつがえ)すことができました。世界のビッグクラブで活躍する黄金世代のトッププレイヤーたちのおかげでもあり、チームでプレーすることを最優先するメソッドのおかげでもあります。

ポーランド戦でのダイブがオリンピックでのイメージに。

「彼は、集団的な精神をできるだけ発展させたいと考えている人です。試合の前には、アメリカのように多くの人の言葉を引用して、選手を鼓舞しています」
と、元フランス代表のユベール・エノは説明します。また5年間一緒に仕事をしたルジェは、ティリのマネジメントを称賛しています。

「フランスのチームでは自由と自律性が必要であり、私たちは自身を管理する方法を知っています。それを彼は理解しています。彼は他の監督と同じように試合前に指示を出しますが、自由度が高いのです」

常に不安を抱え、不確実性を抑えるために試合前にあらゆる可能性を想定して準備することができていました。ティリはこの大会で、選手の予測不可能な状況に直面しても、固執しないことを学びました。

ルジェはこう語ります。「彼はこの大会で変わりました。試合前・試合中・試合後のストレスは相変わらずですが、選手のローテーションを増やしています。リオではそのことで批判されました。そして今回、彼は適応したのです」

準々決勝のポーランド戦での監督のダイブ(フライングレシーブ)は、東京オリンピックのイメージの1つとして残るでしょう。試合中に多くの感情を内包する彼にとって、それはちょっとしたパニックでした。

「クレイジーな瞬間だった。長い間、クレイジーな人たちに囲まれてきたから、自分もクレイジーになってしまったんだ」とティリは試合後に説明しました。
彼の妻が「自分のやることに100%コミットしている」と言うこの監督が、このように床に身を投げ出したとしたら、それはチームを助けたいと思ったからであり、2度の世界チャンピオンであるポーランドを相手にしても、その偉業を達成できると感じたからではないでしょうか。

任期満了までの障害『東京五輪の延期』

彼のチームは金メダルを手にして東京を後にしましたが、それまでの道のりを考えると起こり得ない幸せな結果でした。

まず第1に、2020年1月に開催されたベルリンでの東京五輪最終予選で、フランスチームがサスペンスの果てに出場権を獲得したからです。第2に、この東京大会は、アメリカ(0-3)とアルゼンチン(2-3)に敗れ、ブラジル(2-3)に敗れて準々決勝への出場権を得るという、非常に悪いスタートだったからです。

東京五輪最終予選の決勝ドイツ戦に勝利し、東京五輪への切符を手にしたティリが、監督として初めて涙を流したのはこの時でした。

しかし、最後の難関がありました。それは、東京オリンピックが1年延期されたことです。2020年の夏に、フランス代表監督としての契約が終了する予定だったのです。TQO(東京五輪最終予選)の感動を味わった監督が、冒険を続けないわけにはいきませんでした。2020年5月に延長が成立し、オリンピックはまだ彼の目の前にありました。

「東京オリンピックは、マイケル・ジョーダン『The Last Dance』のようにしたい。この最後のダンスを最高の形で終わらせるために全力を尽くします」と、ティリは契約延長の際に発表しました。

監督がこのような結果を想像していたかどうかはわかりませんが、物語は満面の笑みで幕を閉じます。フランスのバレーボールをオリンピックの頂点に導いた、約10年に及ぶ冒険の終わりです。


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