ALOHA! 移植の世界へようこそ!
移植医療って素晴らしい!
Aloha!
365日虹が出る島、ハワイで移植コーディネーターをしているかあちゃんです。
臓器提供・臓器移植に対して皆さんはどのようなイメージをお持ちでしょうか?
難しそう、よくわからないといった方も多いのではないのでしょうか?
そんなイメージを払拭したい!
頂いた臓器と共に新しい人生をスタートするレシピエントさんが、滞りなくスタートラインに着けるように、そこからの一歩を順調に踏み出せるようにサポートするレシピエントコーディネーターだから知る、移植移植医療の素晴らしさをシェアさせて頂きたいと思います。
移植医療との出会い
私が移植医療と出会ったのは、看護師になって間もない頃でした。
冠動脈バイパス手術や弁置換術などの基本的な心臓血管外科手術を理解するのがやっとで、当時かなり貴重であった心臓移植がすぐ隣のオペ室で行われていても興味を持つ余裕すらありませんでした。
ただ、小型の冷蔵庫ほどの大きさのある機械(LVAD:左室補助人工心臓)と男性の人差し指程度の太さのチューブで胸から繋がれ、24時間パコンパコンと拍動が聞こえるICUの端のベッドが怖く感じていたのを覚えています。
新人は機械に触るどころか、患者さんに呼ばれても『ちょっとお持ちくださいねー(汗)』と先輩を見つけに走ったものでした。
なぜ救えないのか
ICUのナースとしてどうにか形になってきた頃、ある患者さんが入室されました。救命を目的とし緊急でLVADを装着されたとのことで、私の同期がプライマリーとなりました。
同期同士、自分のカバーを頼みやすいので彼女が休みに入る時は私がその方のサブプライマリーとして関わることになり、今までの経過や人となりを知っていきます。
(ここから先はフィクションを含みます。私が関わらせて頂いた複数の患者さんをまとめて1人の人物を作っています。)
その方、Aさんは重症の心不全を長期に渡り患われていました。
LVADを着ければ身体が楽になることは十分理解されていました。
当時LVADは心臓移植までのBridgeとして使用されていましたが、当時の心臓移植件数は全国でわずか年間7件(JOTデータより)。
精神身体共にかなりの負担がかかる長い待機の先に移植がある保証はありませんでした。
むしろ体外とチューブで繋がる事で上がる感染症のリスク、強い抗凝固管理による脳出血・脳梗塞の危険性、先の見えない長期の入院などご本人もご家族にとってもかなりの覚悟を要するものだったと思います。
Aさんがギリギリまで装着を拒んだ理由、それは
ー家に帰りたいー
LVADをつければもう帰宅は叶わない。
付けなければ万が一このまま調子が良くなった時に、せめて一時帰宅ぐらいはできるかもしれない。
そんな思いで、ずっと拒否されてきたとのことでした。
でもギリギリまで頑張った心臓と肺は限界を迎え、緊急的にLVAD装着となりました。
日本での移植を待つ猶予があまりないことはご本人もご家族も理解されていました。
渡航移植への準備として、可能な限り最大の角度までベッドを挙げて髪を整え、病衣の上にカーディガンを羽織って写真を撮りました。
みんなに囲まれ、少し照れた笑顔。
外科医も内科医も、麻酔科医も、私たちナースもここから未来が開けることを祈っていました。
でも、それは叶いませんでした。
ご家族はLVADを止めることをご希望になりました。
ユニフォームを脱ぎ、私服で最期のお別れをさせて頂きました。
医療者としてではなく、私個人としてお会いしたかったからです。
かあちゃん、アメリカへ
一方で、渡航移植によって新しい人生を得ることができた患者さんたちもいました。
移植前とは別人と見間違える程の笑顔で、海外の病院の芝生の上を歩く姿の写真に、みんなで歓声を上げたものです。
みんなと一緒に笑顔を浮かべる私の脳裏に浮かんでいたのは、いつもこの言葉。
海外でできて、日本でできない。
いくつもの分野において最先端の治療を提供している病院で勤務し、それに誇りを持っていた当時の若い私は、それにどうしても納得がいきませんでした。
何が
どう違うのか。
何を
どうすれば
あの患者さん達の未来をつなぐことができるのか。
2007年、私はアメリカの看護師になり移植医療を学ぶことを決めました。
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