批判してはいけないという批判
私は否定的な人間だ
口癖は「いや」、「でも」、「結局」である
しかし私は思うのである
「何故否定してはいけないのか」
「何故批判してはいけないのか」
「何故ネガティブはダメなのか」
まず大前提として否定されて気分の良い人間は殆どいないだろう
批判されて気持ちの良い事なんてないだろう
ネガティブよりポジティブな方が良いだろう
それはわかっている
が
「だからダメ」とはならないのではないか?
考えてみる
ではまずなぜ否定されたくないのか
例えば自分の好きな物を他人に「嫌い」と言われる
ツイッターとかでよく見る光景とか言われてバカにされているが何故それが不愉快なのか
自分の好きな物を否定されるのはなぜ不快なのか
それは自分にとってそれが都合が悪いからではないだろうか
例えば私がハンバーグが好きだったとする
しかし周りの人達はハンバーグは身体に悪い物しか入っていないとか味が安っぽいとかなんとかかんとかケチを付けてくるとする
それはそれは不愉快だ
なぜ?
誰に何を言われても自分の味覚に絶対の自信があれば他人の言葉に感情が動く事は無いのではないか?
そんな事を言われても「はははは、そういう意見もあるよね」なんて言って流せるのでは?
少なからず何かを主張すると言う事は肯定してもらいたいからなのでは?
「ハンバーグが好き」と言うのは「私も」と言って欲しいからなのでは?
そんな時に「私、ハンバーグ嫌い」なんて言われたら「なんだこいつ」となるのも頷ける
しかし「ハンバーグが好き」に対して「私は嫌い」と言う事がはたして間違っているのか?
わざわざ否定してくる人の気持ちがわからないと言う人達もいるが自分が理解できない事象を間違っていると決めつけるのは正しい事なのか?
それは否定ではないのか?
否定される事は楽しくない
それはわかる
だが否定された内容が間違っているという訳ではないのではないか?
ちなみに私はハンバーグはそこまで好きではない
然様然らば是にて御免
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