キャラに囚われてる人へ
みんな各々自分のキャラクターというのがある
例えば元気キャラ
明るくハキハキしていて外で遊んでる…
みたいな想像が出来る
例えばクールキャラ
無愛想であまり話さずたまに笑う…
みたいなイメージがある
人それぞれではあるが
ある程度同じような想像をするだろう
この“キャラ”というのは
素の自分がキャラとして成り立っている人
自分で考え目指すキャラで生きている人
2つあると思う
前者は先程の元気キャラをあげるならば
男女関係なく遊んでいたらそのキャラになった
年中半袖短パンだったら周りから元気と言われた
…など自分が思うままに過ごしていたら
周りからそのキャラと言われるようになった
後者はこちらも元気キャラならば
みんなに明るく挨拶してみよう
リアクションを大きくしてみよう
…など自分の理想や憧れに近づくために
考えて意識して行動することだ
どちらも同じキャラだが
メリットとデメリットがある
ハイリスクハイリターンみたいな感じではあるが
良くも悪くも自分に影響する
前者はぶっちゃけ過ごしやすい
何も考えずほぼ本能的に動けるからだ
また自分自身が認められているみたいな
承認欲求も満たせるのではないか
ただ素の自分でいる分ダメージがでかい
性格や言動などについて何か言われた時
自分自身を否定されたかのように思ってしまう
素の自分だからこそ深く傷がついてしまう
一方後者はダメージが少ない
勿論自分なのだから多少のダメージはあるのだが
キャラという盾がある分意外と治りが早い
ただキャラ作りに苦戦する人が多い
自分のキャラ的にこう言うかああするか
などキャラそのものに引っ張られてしまい
自分自身が見えなくなる時がある
また自分の素を出すのが怖くなる
我は圧倒的後者よりなので
前者の気持ちは分からないのだが
どちらがいいとかどちらが悪いとかじゃなくて
個人個人の考え方次第ってことだ
後者は素を出すのが怖くなるかもしれない
と書いたが結局その人の捉え方次第だ
我はキャラを作り分けてるが
こっちも素だと考えるようにしている
どちらかが素とか表とかではなくて
今の自分はこういう立ち位置でポジションで
出してない自分がいるみたいな
2つとも切り替えてはいるんだけど
ずっとキャラや素でいるんじゃなくて
素もキャラだと思って切り離すことで
仮面になって切り替えることが出来る(気がする)
“仮面”だからどっちが
表か裏か
いいのか悪いのか
素なのかキャラなのか
などという区別がない
自然な素であるけれどキャラでもあるという
少しずる賢いような
前者と後者を無理くり合わせたような
違和感はあるのだが仮面にして考えることで
少し気が楽になるのではないか
また裏表と聞くと
悪いイメージがある人もいるだろう
そういう事じゃなくて
『こっちのキャラも自分自身』みたいな
どっちも表表(?)みたいなスタンス
結局自分が楽な方を選んでいきましょって話
ちなみに我のキャラは
①ポジティブ元気系(学校など公の場)
②ネガティブ論理系(家とか1人の時)
ある程度場面に合わせて切り替えることで
自分を保ちつつキャラで守ることが出来ている
凄く真逆なキャラだからこそ
上手く立場やキャラを利用(?)している
ギャップの話と繋げると
上手く使えば自分にとって良いギャップとなる
自分次第なのだけど
キャラに囚われちゃうかもだけど
好きなこと嫌なことだけは忘れずに
生きてきましょーー☆