欲に溺れる(エッセイ)

(2024/11/15)
 
 最近、食欲の増幅が果てしない。
仕事を終え帰って夕飯を食べるのがだいたい二十一時すぎだとして、二時間も経てば腹が減り、こっそりと買い込んだ個人用の食べ物・飲み物や、ついには家族共有のお菓子にまで手が伸びる始末。
女性の身体には周期があるのでその影響なのだろうが、慢性的な肌荒れがより悪化してしまうため、本当は暴飲暴食を控えるべきなのだ。理解はしている、が、欲求が抑えられない。大変腹立たしい。

 欲と言えば。ミニマリストの本をサラッと数ページ読んだのだけれども、著者の気持ちが全くと言っていいほど理解が出来なくて、私は困惑している。
欲に囚われない、のんびりとした生活。ものに執着しないことにより心のゆとりが生まれ、時間に追われないことにより空白の時間すらも楽しめるようになる。
とそんな風に書いていたのだが、欲求は人間を動かすためのアクセルでは無いのか。
知識を得ること、自分を認めてもらうこと、食を楽しむこと。
これらには欲が付き纏う。仕事着にスチーマーをかけることも、履き終えた靴の紐を解くことも、元を辿れば欲に終着する。故に、私から欲をとったら何も残らない。

 欲は過ぎればストレスになると思う。
しかしそもそも、ストレスとは抑圧、つまり外部及び内部・膜を隔てた己以外からの刺激。
悪い意味に捉えられがちだが、少しであればストレスは良い方向に作用することもある。ポン、と背中を押してくれる動機になりうる。つまり欲も、ストレスも。生活のスパイスだ。

 ちなみに今私は、食欲以外の欲にも溺れている。欲しいものが沢山ある。
例えば、ゲーミング座椅子。部屋でくつろぐ為の、いい背もたれのある椅子が無い。体重を預けられないと、背筋の筋力がないため正しい姿勢を維持できずに、足を抱え込み猫背になる。もしくは座るのもイヤになり、ベッドに寝転がる。
以前エッセイもどきを書くための場所として、ベッドの足元に人をダメにするクッションを置いてみたのだが、ここ数週間で寒くなってきたためフローリングに素足が寒く、使わなくなってしまった。
背もたれにするには壁も固いし、クローゼットを開けるために毎度クッションを除けないといけない。
いっそ、一個でまるっと解決出来る、背もたれのある椅子があれば趣味の模索も捗るかもしれない。
本棚に突っ込んだだけの電子書籍・途中でほおり出したドラマなど、私の無責任でほおり出されてしまったコンテンツ達とも再度向き合えるかもしれない、と。

 希望的観測だ。椅子が無いせいにするな、と言われればごもっとも。
しかし、家の中にも私の特等席が欲しいので、欲求に身を任せて衝動でポチってしまうのも悪くないのかもしれない。

追記(2024/12/12)

兄と休日が被った先月のこと。
近くのホームセンターに座椅子を見に行ってくる、と家を出ようとした際に
「そういう時こそ頼ればいいのに。」
と兄が車で何件か家具屋さんを回ってくれた。
ゲーミング座椅子は少し高いのと場所をとるので、適当なオットマンやただの座椅子等ある程度価格帯やサイズ感で目星をつけてはいたものの、当初行こうとしていたホームセンターには欲しいと思えるものがなかった。
最終的にたどり着いたのは、ここは価格帯が厳しいのでは?と思っていた、行く店の候補から外れていた家具屋さん。
店の奥の方に行くと、なんとも良心的な価格の座椅子が沢山並んでいた。
YouTubeで見つけた座椅子の使い心地を解説する動画、そこに登場していた腰にもリクライニングがついている物。
サイズ感も座り心地も申し分ない。買うか、買わぬか。有るのが分かれば何時でも買いにこられるじゃないか。うーん。
10分ほど悩み、よし買うぞ!と言うと、兄がそのまま商品をレジに持っていき、気がつくとお会計が済んでいた。
「まぁ、誕生日プレゼント買ってなかったし。」
と、私に座椅子を買ってくれたのだ。

という訳で、現在私はその日に買ってもらったグレーの座椅子に座りながらこの文章を綴っている。
ドラマを観るのも、漫画を読むのも、ついでに最近始めた情報をノートにまとめる・左手で文字を書く練習の時にも、この椅子に座っている。
リクライニング付きなので、仮眠をとる時は背を倒して毛布をかけてスヤスヤだ。何といいものを買い与えてもらったのだろう。
普段から金勘定のできない私の世話をしてくれていたり、家計を支えているのも彼なので、本当に兄には頭が上がらない。

ちなみに、一年違いで同じ腹から生まれたはずなのに、どうしてこんなに容姿も性格も違うのか、というのは我が家の七不思議の一つである。

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