ハバタクラボ創設:トランスローカルな学びのデザインにむかって
学びのクリエイティブ集団であるハバタクよりお声がけ頂いて、ハバタクのなかの研究所として「ハバタクラボ」をスタートさせることになった。ちょうど3週間ほど前に、神保町のとあるブックカフェで近況報告をしていたときに思いついたところから、一気に妄想が現実となり、先日(2019年10月9日)のハバタクラボ創設のアナウンスに至った。むこう半年は試行期間ということではあるが、研究者としてはまだまだ駆け出しの私が、いきなり「所長」になってしまった記念日だ。
このラボで育てていきたいアイデアがある。それは「トランスローカル」。ハバタク本体のウェブサイトでも「越境し合うシェアコミュニティ」のなかで、「越境し合う学び」として紹介されている概念だ。
トランスローカルは、トランス(trans-/越えていく)とローカル(local/locality:地域性)を組み合わせた言葉だ。
「ローカル・地域性」は、ある地理的空間のなかでそこに住む住人が、土地の風土と上手く付き合いながら形成してきた暮らし、それをベースとした経済活動や関係性の総称。
「トランス・越えていく」は、その地域性が存在する個々の地域の境界を越えていき、時間と伴にその境目が溶解して、複数の地域の間で知見が行き来すること。
これらを合わせたトランスローカルは、個々の地域に特有のものが互いを隔てている境界を越境して双方に流れ込む、そんなイメージ。このアイデアを実際に起こしていくことで、お互いの多様性から学び合う「トランスローカルな学び」を増加させていくことができる。
ここでのローカルは、専門性にも置き換えることができる。例えば、家具職人が分野の境界を越えて、農家や漁師とつながる。お寺のお坊さんが分野も国境も越えて、海外の学校教諭や研究者とつながる。そんな、一見するとそれぞれの専門性を深めるためには非効率に見えるつながりが、実は普段考えを巡らせるときに無意識に留まっているスペースから、物理的にも思考的に引っ張り出してくれるはずだ。
そんなトランスローカルな学びが内在化されたコミュニティには、地域性を大事にしながらも、これまでの延長線上に縛られないダイナミックでワクワクするアイデアが生まれてくる土壌が育つ、そんなことを仮説として持っている。
さて、こんなトランスローカルな学びは、どんなふうにデザインしたらいいのだろうか。きっと素直に学び合えることだけでなく、考えがこんがらがることや、そもそも持っていた問いが更に深まることで余計に悩むというようなこともあるだろう。ハバタクラボでは、手を動かしながら、筆を進めながら、トランスローカルな学びのデザインにむかっていきたい。
*写真はトランスローカルな学びのデザインにむけて南アフリカでつかまえているフィールドワーク先のフリーステート州クワァクワァ地区。50万人以上が居住しており、多くがタウンシップエリア(低所得・低開発居住地区)。遠くに写っている山のむこうは隣国のレソト。住民の多くがレソトにルーツをもつソト族で、文化が色濃く残るが、住民の多くに安定した職がなく、6割以上の世帯が生活保護に頼って暮らしている。それでも出会う人たちの身なりはきちんとしているし、彼らは底抜けに明るく、クワァクワァのことを「何もない場所」と片方で言いながら「でもいい場所だよ」と言う。フィールドワーク中にこの場所をトヨタのバンで走り回りながら、たくさんの人に出会い話を聞いていると、「豊かさとはなんだろう」という問いが心の底から湧いてくる。