「トランスローカルな旅」プロジェクトを企てます:ハバタクラボを通じて見てみたい世界
数字の場合にも字面と言うのかわからないけれど、「2020」にはワクワクせずにはいられない雰囲気がある。東京オリンピック・パラリンピックがあることや、令和という新年号の影響も大きいのだろう、何か新しい風が吹くような気がしてしょうがない。そんな風に乗って自分はハバタクラボを通じて見てみたい世界がある。
1.ハバタクラボを通じて見てみたい世界
新しい学びのクリエイティブ集団である教育ベンチャーのハバタク。そのなかで研究を軸としたハバタクラボを昨年10月にスタートさせた(現在試行期間中)。研究者としてはまだまだ駆け出しの私が初代所長になったのだが、このラボを通じて実現したいビジョンとミッションがある。
ビジョン
多様な豊かさを認め合いながら、
自律的に発展するコミュニティが多発する世界をつくる。
ミッション
トランスローカルに学ぶコミュニティのネットワークを創造する。
2.多様な豊かさを認め合う
2020年を境に、私たちはこれから「豊かさの問い直し」を連続的にしていく予感がある。画一的な「豊かさ」や「発展」が押し付けられることについては強い拒否感があるが、その一方で、世界の少なくない国で多様性を内包することができず、それぞれの価値観に閉じこもろうとする動きが目立つ。こうして分断にむかっている世界に対して、ハバタクラボは何を提示していくのか。それは「多様な豊かさを認め合う」という世界観と言えそうだ。
現実(reality)をどう理解するのかは、その理解を構築する個人や集団がどのような風土や社会経済状況の社会にいるのかで大きく異なる。このことを認めると、私たちが住んでいるこの世界はひとつだけれど、それについての理解は複数あるということになる。このような世界についての多元的な理解を前提にすれば、「豊かさ」や「発展」という概念もまた多種多様な意味や形で存在する。
多様な豊かさを認める視点に立つと、例えば「先進国」や「途上国」というような、ある社会の発展の度合いを直線的に捉えることが難しくなり、やがて「進んだ地域」や「遅れた地域」というような画一的な見方を手放すことが自然になる。世界についての多元的な理解が個々人のなかに根付き、やがて多様な豊かさを認め合える人で溢れた社会を見てみたい。
3.自律的なコミュニティの多発
多様な豊かさや発展を認めることができたならば、その時には、それらの横のつながりが大きな意味を持ちはじめるだろう。私とあなたの考える豊かさが違うと分かったとき、同じ尺度で測っていないのだから、そもそも比較や競争ができない。そんなときに大事になるのは、お互いが大事だと考えることから学び合う関係性をつくることだろう。
「そんなこと言っても日々の暮らしていくためには稼がなければならないし、相変わらず収入や教育の格差は広がるばかりじゃないか」という意見もごもっとも。けれど、そこに留まっている以上、我武者羅に戦って競争に勝ち続けていくか、なんとなく現状に折り合いをつけて納得することでしか、豊かさを感じられなくなってしまう。
そんなとき、まずは一旦一般的なものごとの見方を保留して、自分たちにとっての「豊かさ」や「発展」が何を意味するのかと考えてみることができたなら、自律的なコミュニティが生まれてくるだろう。そうして自分たちの価値観に自覚的なコミュニティが世界中のあちこちで多発していったなら、世界は一気にその多様性を増して、もっと寛容性の高い場所に変わっていけるはず。
4.「自律的なコミュニティの多発」をどう創り出すのか:トランスローカルに学ぶコミュニティ
さて、自分たちの豊かさを自律的に表現するコミュニティが多発していくためにはどんな仕掛けがいるのだろうか。ハバタクラボの所長として考える答えは、「トランスローカルに学び合うコミュニティのネットワーク」であり、これをそのままミッションに置いてみたい。
「豊かさ」や「発展」の意味するところを個々に見出すためには、実は外部とのつながりが不可欠になる。自らのことをいつもの空間・コンフォートゾーンのなかで見ているだけでは自身の特徴はわからない。自らが大事にすることは、その意識が揺さぶられたり脅かされたときに強く意識できる。つまり、自分の価値観を知るためには、広い文脈のなかに自らを位置付ける必要がある。
外部が鏡の効果をして自分が豊かさと感じるものが何なのかを学ぶことができる:ハバタクラボでは、このアプローチを「トランスローカルな学び」とし、トランスローカルに学ぶ複数のコミュニティが、お互いを比較し合う対象ではなく参照し合う対象として意識してネットワークを形成するとき、自律的なコミュニティの多発を誘引することができるのではないか、という仮説を持っている。
5.ハバタクラボとして企てる「トランスローカルな旅」プロジェクト
さてこの仮説をどう取り組んでいくか。そのヒントは「旅」にありそうだ。
旅の語源は「他火」で、「他人の家の火を借りて調理し食事をする」というもの。「火を借りる」にはそのくらい遠くに出かけていくということで、空間軸と時間軸の広さを含む。そして、「調理し食事をする」にはその土地の風土を取り込むという意味がある。トランスローカルな学びも同様に、他のローカルに根ざしている価値観を取り込んむプロセスを含んでおり、これは「旅(他火)」という行為で実現できそうだ。
というわけで、ハバタクラボの最初のプロジェクトとして「トランスローカルな旅」を企ててみたい。ラボなのでもちろん研究としてやるとなると、フィールドワーク形式の旅になるだろう。ただし、これを研究者だけに閉じてしまうのは勿体ない。多様な背景を持った人たちと一緒に旅をして、フィールドワークで旅先のローカルに深く潜って、旅の間にリフレクションを重ねながら、個々の文脈で「豊かさの問い直し」をするような、そんな旅プロジェクトにしたいと考えている。最初に火を借りる先は、さてどこにしようか。
*写真は先月行ったザンビア農村でのフィールドワークのときの1枚。気候変動の影響で水不足が深刻になっており、畑に植えているとうもろこしの収穫量が年々減少しているとのこと。自給自足的な生活をしているので作物が育たなければ何かしらの方法で現金を稼ぎ、市場で不足分を購入しなければならない。25kgのとうもろこしの粉が半年前までは750クワチャ(約800円)ほどだったものが、今は物価が上がって1,250クワチャ(約1,300円)ほどだそう。元々貨幣経済が入り込んでいない農村に気候変動の影響によって住民たちは経済的弱者にされてしまっているという構造があった。どこまでも広がるサバンナの大地のなかでずっと昔からコミュニティを形成して暮らしてきた人々。ただそこでたくましく生きており、私たちの訪問を歓迎し、握手を求めてきてくれる。子どもたちは興味津津の目でこちらを見つめていた。援助の対象などとは微塵も思わず、この人たちが何を大事にしてここに暮らしてきたのかを知りたいという気持ちがぐわっと湧いてきた。