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ポストコロナ社会:これまでもあった事柄に対して中くらいでいられる溜めを

1.総距離のわからないマラソン

この記事を書き始めたのは5月5日だった。例年であれば、ゴールデンウィーク後半でごった返す高速道路上り方面を上空から捉えたニュース映像を見ながら「子どものトイレとか大変だぁ」などとつぶやいているけれど、今年はジョギングのときには前後では10m以上離れたほうがいいという筑波大学の研究結果についてインタビューされ「そんなに離れるのはこれだけランナーが多ければ無理ですね。走るのを止めるしかない。」と期待どおりのコメントをするにわかランナーと皇居前の映像が流れていた。

5月5日、東京都の新規感染者数は38名で4日連続で100名を下回った。全国的にも徐々に収束の兆しが見えはじめ、特定警戒都道府県以外の地域では来週から段階的に警戒レベルが引き下げられていくとのこと。長期化する状況を「いったいどのくらいの距離を走ればいいのかわからないマラソンのようです」という表現していたニュースアンカーの言葉が印象的だったけれど、どうにかその第1給水ポイントに辿り着いたような感覚がある。

2.コロナという拡大鏡

新型コロナウイルスの影響は医学的なものだけでなく、経済活動や教育機関など、広く社会一般、そして家族のあり方や個人の生き方まで変容させはじめている。ただし、冷静になって受け止めなければいけないなと思うことは、今対応を求められている事柄の多くがこれまでもあったということ。コロナという拡大鏡がこれまで根本的な解決をしてこなかった項目を誰にでもはっきりと見えるように拡大している。

国内では、学校給食が1日のなかで唯一しっかりとした食事ができる機会だった子どもたちがいること、シングルペアレント世帯の50%以上が貯金ゼロで毎月の生活が綱渡りなこと、慢性的な医師不足によってそもそも医療過疎地域があったこと。海外に目を向ければ、医療保険を払えないために病院にかかれない人がいること、手を洗う水すらないこと、そもそもメディアに報道されすらしない国や地域があること。

行動制限によるストレス、失業の不安、いつになったら終わるかわからない自宅保育、この先どう暮らしていけばいいのかで頭がいっぱいいっぱいだ。そんなコロナ禍、これまでも私たちの社会に内在していた事柄がマグニファイ(拡大)されている。

3.中くらいのあり方が許されていた状態

これまでもあった事柄をそのディテールまで拡大して見せつけられるとき、それらに対峙し続けることはけっこうしんどい。ネガティブに変わる事柄から目をそらさずにいることと同等に、実はそれはポジティブに変わる事柄についても同じではないかと思っている。ポジティブなことを褒めちぎるでもなく、ネガティブなことを辛口批判しまくるでもない、正面から見なくても、事柄の根本的解決に働きかけていなくても、ほどほど向き合うという中くらいのあり方が許されていた。

そんな状態を傍観だと、関わらなければならないのだと、非難することは簡単だけれど、私はそれが答えではないと思う。むしろそういうあり方が許されない、「関わることが正義で関わらないことが不正義」というような二項対立的な枠組みを押し付けてしまうことは、誰かに思考停止を求めて判断を急かすことだ。これは、「手を洗いなさい」と言われてすぐに手を洗わない幼児に対して、「(遊んでないで)早くしなさい!」と言っていることと同じだ。子どもにとって遊ぶことは考えることとほぼ同義なので、彼らに遊ばせない(もたもたさせない)のは、「(考えなくていいから)さっさとやりなさい!」と言っていることと同じになる。そんな空気が漂う社会に生きることはしんどい。

4.これまでもあった事柄から目をそむけないために

コロナという拡大鏡でこれまで社会のなかにあった事柄がマグニファイされ、「解決を急げ!」と急かされている。これらの事柄との付き合い方として、私は個人の考え方や態度どうこうよりも、まずは、世間に中くらいのあり方で居てもいいのだという溜めがあって、それぞれに「どうしようかな」と考える隙間があることが大事だと思う。

今は非常事態宣言が出されている非常時なので、これまでもあった事柄について更に状況が悪化したことについて、メディアやSNSで目にすることが多くなった。これらは非常時が解消されれば、コロナという拡大鏡の力が弱まって、また世間の裏側に隠れていってしまう。その構造にも目を向ける必要がある気がしている。例えば中東Aljazeeraを見てみると、日本や欧米のメディアとまったく違う視点で世界を切り取って伝えているのが面白いし爽快だ。

「無数にある各地域の報道を能動的に調べることが大事」などと言いたいわけではない。構造的に見せられているものと見せられていないものがあると知っておくと、拡大鏡が強くはたらいていても、ブレずに、これまでもあった事柄に対して中くらいでいられるのではないだろうかと言いたい。そういう溜めを守ることが今は大事なことのように思う。

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