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【交換note】対話とは、ガンダムだ

交換noteとは、対話・実践ラボの参加者が「対話」について考えたアレコレを「交換日記」のように書き綴っていく取り組みです。

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いきなり「ガンダムだ!」と言われても、何のこっちゃだと思います。
私もそう思います。

けど、私が「対話」と聞いて、思い起こすのは「ガンダム」というアニメ作品なのです。

ガンダムを知らない方に少し説明しますと、
「機動戦士ガンダム」は1979年に放映されたアニメ作品で、主人公が「モビルスーツ」という地球連邦軍のロボットに乗って、ジオン軍のモビルスーツと戦い、平和を目指すストーリーです。

その後も登場人物や時代設定を変えて、数々の作品が生み出され、40年以上経った今でも新作が公開されれば、大ヒットする作品です。
ガンプラなど関連商品も多数あり、知っている方いるのではないでしょうか?

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じゃあなぜ「ガンダム」が「対話」なのかというと、私が思うに

「わかり合いたい、わかり合えない」

ストーリーだからです。


なぜ「わかり合いたい、わかり合えない」なのか?


ガンダムのストーリーに「悪」はいません。

「えっ、ジオン軍はどうなのよ?地球連邦軍が正義で、悪いジオン軍をやっつける話じゃないの?」

一見すればそう見えるでしょう。
しかし、お互いが自分たちの「正義」をもって戦っているのです。

「連邦が正しい!」
「ジオンが正しい!」
「なんでそれが分からないんだ!」
そう言いながら、お互いを消耗しあっていきます。

ジオン軍の兵士は戦いのなかで、
部下のために身を挺して守ったり、
散り際が美しかったり、
赤い人に至ってはもう主人公級の活躍をします。

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地球連邦軍か、ジオン軍か、
どちらが主役なのか、見ていて戸惑います。

そして、このガンダムの登場人物はよく叫びます
「ええぃっ!」
「やるな、しかし!」
「悲しいけど、これ戦争なのよね!」

モビルスーツのコックピットから、
「わかれーーー!」
と言わんばかりに、叫ぶ。
宇宙で、しかもコックピットという密閉空間で相手に聞こえていないにもかかわらずに。

そして、どの作品のラストは戦争が終わるような描写があります。

「わかり合えたんだな…」

と思いきや、
続編のガンダムでは、前の作品で戦争に負けた軍が反旗を翻して、再び戦争を始めます。

作品によっては、地球連邦軍内で内紛が起こり、昨日までの味方が、モビルスーツに乗り、敵として対峙することもあります。

「わかり合えてないじゃん。てか、むしろこじれている!」
これが、ガンダムのストーリーなのです。

結局、数あるガンダム作品の中で、明確に平和が訪れる描写があるのは「ターンエーガンダム」ただ1作だけです。


「わかり合いたい、わかり合えない」に続く言葉


人々が「わかり合いたい」と願って始めた戦争が、
いつしかその願いを忘れ、
「わかり合えない」ことになっている。

ガンダムはただのアニメ作品ですし、空想の世界のお話です。

けど、現実の私たちにもガンダムのストーリーのように、
「わかり合いたい」と思って始めたことが、
いつしか「わかり合えない」ところまできていて、
収拾がつかないことになっている。
そんなことあるのではないでしょうか?

私の日常にも、地球連邦軍とジオン軍の戦いほどではないですが、
「争い」のような
「葛藤」のような
乗り越え難いことはあります。

その時にいつも思う言葉。
ガンダムUCの主人公、バナージ・リンクスの言葉、

「それでも」

どんなにわかり合えない状況でも、
どんなにわかり合えない人に対しても、
どんなにわかり合えないことに絶望しても、
「それでも」
と思い、
主張すること、
話し合おうとすること、
あきらめないこと、
「わかり合えない」を越えていこうとすること、

その「態度」が「対話」なのだと、私は思うのです。

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ただ、「対話」は、多様性。

ガンダムも多様性を描く作品です。

この対話実践ラボで、多様で多声的な「対話」を学んでいったとき、

またガンダムの見方が変わるのを、私は楽しみにしています。

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