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人生の浮き沈み|第11章 バッファロー|アメリカでの40年間(1821-1861)



人生の浮き沈み

私たちの優雅な船旅はときに邪魔されることがあります。運河の両側に土地を所有する農民はみな、運河に橋をかける権利があるのです。橋は、2 フィートまたは 18 インチの余裕を持ってボートが通過できる高さに建設されていました。積荷は、いちばん低い橋の梁をちょうど通過できるくらいの高さにデッキに並べられています。だから、私たちが賑やかな議論や楽しいおしゃべりの最中、または最新の小説の盛り上がりの場面に突入したとき、もしくはグレトナグリーンに向かって駆け落ちする登場人物を追いかける郵便馬車が、もう少しで追い越そうとするまさにその時、操舵手がものすごい大声で「橋だぞ!」と叫びます。私たちはみな骨の髄まで沈み、低くかがみ込みます。ボートが再び日光の中に飛び出すと、女性たちを勇敢に助けて立ち上がらせ、話の続きをするのです。

さらに 10 分もすると、用心深い操舵手から、さらに鋭い怒鳴り声が聞こえてきます。もしその声に気がつかなければ、私たちはみなスーツケースの上でぺしゃんこになってしまうかもしれません。今度は「橋が低いぞ!」という叫び声です。これはひざまずいてかがむだけでは十分ではなく、甲板に平らに寝そべっていなければいけません。幸いなことにクリノリンはまだ発明されていませんでした。危険は去り、私たちは再び立ち上がり、自分たちのばかげた姿勢に笑い、すべての低い橋にやたらと詳しくなるのです。幸いにも、「荒れ狂う運河」で船酔いする人はほとんどおらず、波が上下することで夕食に食欲がわいてきます。

夕食はボリュームたっぷりでおいしいです。ローストターキー、チキン、ビーフ、ハム、野菜、パイ、プディングなど、十分な食事が作られます。調理専用の船尾の小さな部屋で、どうやって調理したのか不思議なくらいです。ディナーと呼んでいるのは午後1時までの昼食のことです。アメリカ人は先祖が移住した当時のイギリスの流行をいまだに守り続けています。近年になってようやく、大都市や上流階級の人たちの間では、5 時か 6 時など遅くまで食事をするようになりました。

船上では 6 時にたっぷりお茶を飲み、それから、夕闇に消えていく素晴らしい夕日を眺めることができました。深い青空、そして私がこれまで見たことのないような素晴らしい夕日が、西の湖の大きな鏡のような水面に描き出されます。ターナーがこの景色を見ることができたらどれだけよかったことか。画家の中でターナーだけがキャンバスに、ほんの少しの地上の鉱物が発する貧弱な色彩と、それが反射する薄暗い光で夕焼けを描き出せたでしょう。

暗くなると、長いキャビンに明かりが灯りました。読書をする人もいれば、トランプをする人もいました。当時はまだギャンブルが流行遅れではなく、執事は秘蔵のミント・ジュレップを知っていました。柔らかい水の音とゴボゴボという音を聞きながら、船が進んでいきます。10 時になると、キャビン全体に厚いカーテンが引かれ、女性専用エリアとその他のエリアが分けられます。キャビンの両側にベッドが置かれ、照明は消され、ゴボゴボという水の音を聞きながら私たちは眠りに落ちるのです。

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