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ドライな子育てのすすめ

子育て、順調ですかーーー??
私はというと、6歳と3歳の娘たちに日々翻弄させられています。特に3歳。苦笑

子育てって、きびすぃぃぃーーー
仕事している方が断然ラクっっ
ってお方、結構いらっしゃるのではないでしょうか?
私もそのひとりです。

しょうじきな話、理論的な話の通じない相手とのやり取りって、本当につらたん(T_T)
こうこうこうだから、こうですよね?みたいな話してる方が、めっちゃラクな私としては、子育てすなわち日々修行なわけです、はい。

先日、ランチしていたときに仕事仲間から教えてもらったのだけど、どうやら私の子育ては、「超ドライ」なようなのです。子供だから子供を愛するという感覚がめっちゃくちゃ薄い。。ましてや自分の子供だからというのも、ないこたーーないけど、薄い。

今日は、そんな私が子育てについてのお話をします。


子育てって、親がしなきゃいけないの?

そもそも、子育てってなんでしょう?
何をすればベリーグッドな子育てなのでしょうか?

頭が良くなる?
人付き合いがうまくなる?
子供が健康で幸せに育つ?
自立する?
その子らしく輝く?


親が子供に教えるべきことってなんだろう?
この新しい時代を迎えるいまを生きている私が、子供たちに伝えるべきことって何なのだろう?
自分に問いかけます。

そして、私が伝えられることって多くないなとも思うわけです。
むしろ、教えてもらう方なのかもしれないなと。


そんな私なので、頼まれない限り、できるだけ教えないし、やってあげないです。(頼まれたらしますよ)

大人とのやりとりと同じです。求めてないことを一方的にやられたり、教えられるのって嫌じゃないですか?
(もちろん、こちらが伝えたい!!という想いが溢れたときにはこちらの都合で伝えちゃいますが。(笑))

でも、子供ってだけで、なぜか大人は「これはこうした方がいい」「こうやったらはやいよ」「こっちをやるといいことがあるよ」と価値観を押し付けがちではないか。それがさも当たり前のように。
これは、強者の弱者へのおごりなのではないかと思うのです。


子供って大人が思っているよりも、分かっています。
分かっているというのは、知性で理解しているという意味じゃなく、「生きる」ということに対して、大人たちよりもまっすぐだし、それを曲げているのは大人だよなと。
言わなくても、勝手に感じ取っています。

だから、最低限の生きる環境(身体の成長に必要なもの)と何かあったときに戻れる場(心のおうち)と好奇心を応援してあげる(心の欲求)ということをわたしの能力で可能なことを渡すくらいすればいい。基本、受け身ですし、過剰なことはしない。 
そして親がその全部を担う必要はないのではないかと思っています。ニュアンスとして「共に生きる」ぐらいの感じでいいのではないか?


今の世の中は、親への責任を問いすぎている気がするのです。子が犯罪を犯したら、親の育て方が悪かったのか?もちろん、そういう側面もあるでしょうが、そこが全てではないとおもうのです。

「一人の子を育てるのに4人の大人が必要」と何かで読みました。何を根拠にと思うけど、これは子育て中の私としては肌感覚で、当たっているなという気がします。

人間て、昔はもっと「自分」というもののテリトリーが広く、色々なものを自分ごととして捉えていたのではないでしょうか。
今は、行きすぎた個人主義が分断をうんでいるなと。家族じゃない人が家族について手を出すことが難しい。うちの子じゃないからと見過ごされることも多い。

逆に自分の子だから、自分がちゃんと育てなきゃいけないと。

この意識が世界を見えにくくし、自分がよければいい、自分が突き抜ければいい、自分の家族が、地域が、国が、、、と、どんどん分かれていく。


私はどうあがいても、子育てが上手い部類じゃない。心が狭いし。(笑)
でも母親である。なので、保育園やじいじ、ばあばやママ友を頼りながら、何とか頑張ってます。もっともっと色々な人に子育てを委ねたい。もっと社会全体で子育てしてくれないかしら?とも思っています。

私が与えられないものは、他の人が与えてくれるだろうと安心して子育てすればいいと思っています。


(ちょっと話、飛びます)

親世代の教えは、もう古くなったと感じる方はいらっしゃいますか?

私はですね、親の価値観を押し付けられるのが、ものすっごく嫌だった。

26歳のときにワーホリに行っていて、その帰りの飛行機で出会った同じくワーホリ帰りのお兄さんがいまして。道中、仲良くなったわけですが。。

空港に迎えに来ていたうちの両親が、私とそのお兄さんとお別れの挨拶をしているのを見た後に言われたことがすごく悲しかった。「ああいう人と付き合うのは、、、、(うんぬんかんぬん)」

彼はオーストラリアにいたときは、靴やサンダルを履かないで過ごしていたと言ってました。
浮浪者に間違われそうな感じのボンバーヘッドにボロボロの服を着ていました。笑
たしかに、ちょっと変わり者でしょう、ええ。

でもね、そこで、そんな風に彼を切り捨ててしまう両親がすごく嫌だった。
「話したこともないくせに」って思った。


ここでも言いたいことはこれです。

「親の教えって、子供を守るためにするのだと思うけど、それって過剰には必要ないよ」って思うのです。

植物に必要なのは水と光合成で、本来は過剰な肥料は必要なかったはず。花屋さんでお花を買うと、表面だけお化粧して綺麗にみえるけど、中身はぶよぶよに太っていてすぐに枯れちゃうような植物ってあるじゃないですか。

私は守られすぎて、自分がそんな風になってしまっているんじゃないかと恐れているし、子供にもそうしてしまっているかもしれないと恐れています。


これから時代が加速するのは目に見えています。ここ数年だけを切り取ってもものすごいスピード感。常識がどんどん塗り替えられる。正解などないとみんなが気づいている。

だからもっと、過剰さを取り除いて、野生を思い出していかなあかんな!と思うわけです。(なぜか関西弁w)

私の今後のテーマは「野生の勘を取り戻せ!」なのです。
結構前にこの言葉は浮かんでいたのだけど、ついにそのタイミングがきたのだな。


まあまあ、
そんなざれごとをいいながら、毎日イライラして、ムーっとして、「もうママ、イヤっ」って怒りながら、なんとか日々こなしてる私ですよ。まだまだ子育ては続く。考えが変わることもあるかもしれないけど、今の雑感を記しておくとしよう。

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