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淡泊之人 / クアラトレンガヌ(5)

2003/07/14

ひとまず今日までの宿代は支払っていたが、明日以降どうするかはまったく決めていなかった。

意志がある限り道は拓けると言ったのはいったいどこの誰だったか。今のぼくにはその意志さえなかった。離れようが留まろうが何ひとつ変わらない。そんな冷めた予感が一枚の暗い幕となって目の前を塞いでいた。

午後二時を回っても食欲がなかった。むしろ空腹感そのものを失っていた。

青ざめた空にようやく雲が現れ、きつい陽射しが和らいだ頃、試しに近くのベーカリーに立ち寄った。それとなくドーナツを眺めたりしたが、結局、買ったのはミネラルウォーターだけだった。

特にすることもなく、時間つぶしにシャワーを浴び、Tシャツを洗い、屋上で風に吹かれながら文字を記した。

今朝になってようやく鼻の頭の皮が剥けた。肩の皮も白く浮きはじめていた。痛みが治まりつつあるのだと思った。

日没の礼拝が済んでしまった後、熱帯の夜を謳うようにまた激しいスコールが降った。そして雨は小降りになったまま一向に降り止まなかった。じっとりと肌を濡らす雨の中を歩き、バスターミナルのそばの食堂まで出かけた。今日初めての食事だった。

相席をお願いされ、ムスリムの一家と肩を寄せ合うようにして食べた。会話らしい会話はなかったが、ふと視線が重なった時には自然と笑みがこぼれた。ただそれだけのことが温かかった。

食堂に置かれたテレビではCNNが流れ、ウクライナの大臣が何かを熱っぽく訴えていた。内容までは分からなかったが、時折ぷつりと黙り込んでしまう大臣の眼差しの奥に深い悲しみの地平が見えた気がした。

宿に戻り、屋上でまたマイケルの話を聴いた。ウィーンの短い夏について、東欧の長い長い冬について。音楽が嫌いになってしまった理由や左肩に残る大きな傷跡について。

マイケルに促され、日本についてぼくも何かを伝えることにした。彼が話してくれたのと同じように、情報はどれもぼくの記憶と強く結びついていた。誰かの思い出と切り離して伝えられるものなど本当は何ひとつもないのかもしれないと思った。

最初に川底で光るサイダーの壜の欠片のことを話した。それから美しい花のこと、山の稜線のこと、街の灯りのこと。生まれた土地の匂いや、帰り道に見た夕焼け、真冬の澄んだ空気のこと。

不思議なことに、思い出せるものはすべてぼくの暮らしからすでに零れ落ちてしまったものばかりだった。

そんな何もかもが眠る場所で、ぼくは生まれ育ち、恋をし、進学し、仕事に就き、今こうして長い旅に出て……と伝えたところで、その先がうまく思い浮かばなかった。やっとのことで言えたのはこんなにも後ろ向きな言葉だった。

「でもね、悲しみや痛みは世界中のどこにいても感じるものだと思う」

その言葉にマイケルはにっこりと笑い、小さく頷きながらこんなことを言った。「そうだね、分かるよ。歩き続けるのと同じようにね」

翌日も朝八時頃に目を覚まし、郵便番号も住所も曖昧に記した葉書を重ねて郵便局へ向かった。朝の陽射しは柔らかく、頬を過ぎる風は普段より心地良いものだった。

日本までの切手代は僅かに0.5リンギット(約16円)だった。一週間もあれば届くという。鮮やかな色彩でパイナップルがデザインされた切手が妙に嬉しかった。

その足でオールドチャイナタウンと呼ばれる通りを歩き、鶏包(大)と表記された蒸し饅頭を買った。豚まんならぬ鶏まんということなのだろう。

熱々の鶏包を両手で包むように持ち、宿へ戻る途中でパンケーキの屋台にも立ち寄った。ささやかだけれど楽しい朝食になるだろうと思った。

けれど、ひとつ1.2リンギット(約38円)と書かれたパンケーキは、ぼくのマレー語が上手でなかったからなのか、外国人にはこの値段では売れないと告げられた。屋台の売り子が提示したのは1.5リンギット(約48円)だった。もちろん納得なんて出来なかったし、そんな馬鹿な話などないと思った。それでもぼくは何も言わずにその値段を支払い、ありがとうと笑顔で言った。どれだけ意見を述べたところでここはぼくの国ではなかった。

枕元に置いたミネラルウォーターのボトルを掴み、屋上のテーブルで鶏包とパンケーキを広げた。鶏包は包丁で叩いた粗いミンチの鶏肉にたけのこやしいたけなどがみっちりと詰まった重厚なものだった。ひとくち頬張ると肉汁が滴るように溢れ、思わず言葉を失いそうになるほど美味しかった。

パンケーキといってもお馴染みの円形のままではなく、直径二十センチほどのフカフカの生地に、蜂蜜と砕いたピーナッツとスイートコーンを敷き詰めて半分に折り畳んだものだった。そこに乱雑にナイフが入れられ、小分けにして食べられるようになっていた。予想通り強烈な甘さだったが、口中に広がるピーナッツの香ばしさが嬉しかった。

パンケーキを包んでいた新聞紙は繁体字のものだった。食事をしながらいくつかの記事を拾い読みした。思ったよりも意味が取れそうなものが多かった。

記事の中に「靜思小語」と題されたものがあった。さしずめ「今日のひとこと」といった内容なのだろう。釋證嚴という名の僧侶の言葉が紹介されていた。

「淡泊之人,並不感到自己有所欠缺,所以是心靈最富有,最快樂的人。」

正しい意味は分からなかったが、きっとこんな意味ではないかと思った。「私利私欲の無い人、同時に自分に欠点があると認めて気にしなくなれた人こそ、誰よりも心が豊かであり、喜びを見出せる人である。」

すっかり食べ終わった後でもしばらくその文章について思いを巡らせた。自分に欠点があることを認め、気にしなくなれるまで、いったい人はどれほどの時間を必要とするのだろう。

しばらく迷った後、油の染み付いた新聞のその記事の部分だけを指先でちぎり、折りたたんで財布の奥に仕舞った。ふと、この街を離れてしまおうと思った。

どこまで行っても代わり映えのしない街が執拗にぼくの前に広がっていたとしても。

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