絶望 / メダン(3)
2003/08/07
何をしても心が休まる瞬間がなかった。
相変わらず宿の敷地内には素性の分からない地元の若者たちがたむろし、旅行者を相手にマリファナを売りさばいていた。宿のスタッフたちにはひとかけらの笑顔もなく、いつでも何かに苛立ちながら言葉を吐き捨てるばかりだった。
宿には簡素な食堂があり、今朝も有料のブッフェが用意されていたが、料金を聞いて言葉を失った。トーストとゆで卵とインスタントコーヒーぐらいしかまともに口にできそうなものがないのに、宿泊費の倍以上の値段設定なのだ。
諦めて宿の外へ出たが、目についた屋台はどこもまだ開いておらず、結局、ドミトリーに戻ってペットボトルの水を飲むしかなかった。この街が旅人を歓迎していないことだけは確かだった。
外出する気力もすっかり失くし、何かを振り払うようにと何度も水シャワーを浴びた。得体の知れない恐怖と戦いながら、閑散としたドミトリーのベッドで手当り次第に葉書を書いて過ごした。
クアラトレンガヌで手帳を失くして以来、書き込める宛先はどれも曖昧なままだった。届かない確率が高いことは分かっていた。それでも書くのを止められなかったのは、こうして文字にする行為そのものにある種の救いを見出していたからだった。
太陽がようやく傾き始めた頃、意を決して宿の外へ出てみると、狙いすましたように昨日のベチャの親父に声をかけられた。厄介なことにならなければと願いつつ、試しに郵便局までの道順を尋ねた。面倒くさそうに顎で返事をすると、親父は拍子抜けするほどあっさりと行き方を教えてくれた。
近くはないぞと口では言うものの、たいした稼ぎにもならないと判断したのだろう。厳しい表情を浮かべて親父はすぐに目を逸らした。先に声を掛けたのは親父だったが、今はもうぼくと関わることすら不快なようだった。
教わった通りにメダンの街を歩いた。これほどまでに生きた心地のしない空間は初めてだった。
舗道の両脇には痩せこけた男たちが鈴生りでしゃがみこみ、異様なまでに鋭い眼光でぼくの一挙手一投足を監視していた。意識せずに歩くなんて無理だ。目をやると、通りのずっと先までそんな男たちが延々と続いていた。その数、もはや百や二百ではなかった。
旅行者がぜんぶ金に見えると言ったのは、月へのチケットを手にした昨日の若者だったが、今、その言葉の意味を肌に刺さる現実として理解した。そして同時に、もし今この場所で何かに巻き込まれたら、ぼくにはもうどうすることもできないことも。
ペナン島で同宿だったドイツ人の言葉がまた頭に浮かんだ。
「メダンにいた時だから、そうだね、ちょうど五日ぐらい前だよ。ミニバスに乗ったオーストラリアの旅行者、女の子ふたりだったかな。どうやら車内で強盗に遭ったらしいんだ。彼女たち、あの街を理解していなかった。抵抗して、逆にナイフで切りつけられたんだ。ローカルニュースにもなっていたよ。一人は重体、もう一人も深刻な怪我。その後のことはぼくにも分からないけど……」
その時はまだ彼の言う「critical(重篤な)」「fatal(致命的な)」「seriously(深刻な)」といった単語がうまく飲み込めずにいた。あまりにも非現実的な意味だったからだ。あの街を理解するも何も、ただ旅行で訪れただけじゃないか。条件反射で抵抗してしまうことだってあるだろう。そもそも彼女たちのどこに過失があるって言うんだ。
今ならすんなりと理解できた。目の前にある現実がすべてなのだ。
意識しないようにと思えば思うほど、身体のあちこちが硬直してうまく動かなかった。今のぼくは不自然な空気を出していないか。早歩きをしたら怯えているのかと勘違いされやしないか。あちこちの看板に目をやったりしたら、それこそ不慣れな観光客として彼らに絶好のチャンスを与えることになったりはしないか。
どうにか交差点まで歩いたところで、巡回中の警官たちに声を掛けられた。険しい顔つきのまま、彼らは強い口調でぼくにこう告げた。
「気をつけろ」
背筋に冷たいものが走った。張り詰めた心の糸まで凍りついてしまいそうなほどだった。
もっと他に掛けるべき言葉はなかったのか。わざわざ呼び止めてまで、どうして警官のあなたたちがそんな絶望的な忠告をしてくるのか。気をつけろって、もうこれ以上いったい何をどうすればいいんだ。
オーストラリアの女の子たちも、あのドイツ人も、そしてこのぼくも、ただ旅行で訪れただけなんだ。思わず条件反射で抵抗してしまう可能性だってゼロじゃない。待ってくれ。ぼくは今、郵便局まで葉書を出しに行くだけなんだ。
気をつけろって、これ以上いったい何を……。
いずれにしても、あとでまたこの道を引き返してゲストハウスに戻らなければならないことだけは確かだった。心をすっかり埋め尽くした底無しの恐怖を、今さら振り払うなんて出来なかった。
絶望という言葉の意味を初めて理解した。それはこのメダンという街の本当の名前だった。