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枕の熱 / スンガイコーロク(1)

2003/07/17

タイ国境に近いランタウパンジャン行きのバスに乗った。今日でマレーシアを抜ける。三週間にも満たない滞在だった。身体のあちこちにはまだ日灼けの痛みが残っていた。現実の痛み、現実の火照り。肌を刺すその確かな感覚を、ずっと先まで覚えていようと思った。

バスは一時間あまりでイミグレーションに到着した。車窓から空色の大きな建物が見えた。国境。初めて目にする国境だ。誰かにとっての入口であり、出口でもある場所。ぼくにとってあの建物は一体そのどちらなのだろう。

荷物を抱え、シートから這い出すように降車口へ向かった。立ち上がる際、隣り合わせた老婦人からそっとミント味のキャンディを手渡された。戸惑うぼくに彼女は笑顔で「スラマッジャラン(いってらっしゃい)」と言った。さりげない優しさが胸に沁みた。

国境を抜けた先はタイだ。これから国境を歩いて越える。心のどこかでそんな気持ちの高鳴りを期待していた。けれど、何ひとつぼくの内側を震わせ、揺り動かすものはなかった。

入国してすぐにツーリストインフォメーションがあった。タイ文字に不思議な懐かしさを覚えたが、この国も人もすべて初めてだった。窓口の職員に北へ向かう列車の時刻を訊ねたところで時差に気付いた。二十五時間の今日。

タイ側の国境の街スンガイコーロクまで歩いた。一キロ程度と教わった。途中、何度かバイクタクシーに声を掛けられたが、歩きたいとジェスチャーで伝えると誰もが無言でうなずき、それ以上しつこく誘うことはなかった。

目についた銀行でタイバーツを手に入れ、その足であてもなく宿を探した。タイ語を解さないことに不安があったが、代わりにマレー語が通じた。

結局、四軒目にくぐった旅社に決めた。

通された部屋の板ガラスの窓から、工事の途中で放り出された瓦礫の山が見えた。もし記憶に墓場があるとしたらこんな光景かもしれない。両手にはいつもすり抜けていったものたちの手触りが残る。瓦礫の山は、そんな痛みの姿に似ていた。

国境特有の雰囲気なのか貧しさゆえか分からなかったが、スンガイコーロクの街には奇妙な翳りがあった。何もかもが居心地悪そうに隣り合わせている。タイがマレーシアに侵食されたのか、それともタイに侵食されたマレーシアが街ごとえぐり取られてしまったのか……。確かにタイ側の街ではあったが、スンガイコーロクという名前はどう考えてもマレー語のままだった。

道端の簡素な食堂で焼き飯をかきこみ、然るべき場所へ出向いてあれこれと用事を済ませた。わずか一泊でこの街を離れることに決めたが、そこに感傷めいたものはなかった。

夜の訪れを待って再び通りへ出ることにした。夜風に吹かれながらビールを飲みたいと思った。小さな商店で向かい合う象が描かれた緑色の缶ビールを買い、道端に座って飲んだ。思いのほか度数の高いその液体はまっすぐ胃の中へ下りていった。安堵にも似たため息がこぼれた。

街には肌を露出させた女たちが溢れ、彼女たちの身体を求める男たちの姿も後を絶たなかった。明らかに「買った」としか表現できない奇妙な組み合わせの男女をいくつも目にした。

男たちの多くは華人系の顔立ちで、皆なぜか小太りな体型をしていた。彼らに肩や腰を抱かれて女たちはホテルへと消えた。そんな光景が次から次へと目の前で繰り返されていった。見続ければ見続けるほど、言明できない戸惑いが心に広がった。

舗道の片隅には盲目の老婆がうずくまり、僅かばかりの施しを乞うていた。重ねた両手を額に当て、しきりと何かを呟いている。切り花を抱えた少年たちがその傍らを通り過ぎていく。

何ひとつ言葉は分からない。女たちの嬌声が闇に響き、その声を掻き消すように強いビートのバスドラムが街の底を揺さぶっている。

そんな夜の一点で、ぼくは現実がふと遠退いていくのを感じた。いったいここはどこなんだ。けれどその戸惑いの底にあるものを、何か具体的な形に変えることができなかった。

悲しみとも切なさとも違う何か別の感情、それもどこか硬直したまま身動きが取れずにいる感情が、ぼくの内側で出口を求めるように渦を巻き、次第にそのスピードを速めていった。

結局なにひとつ掴み取れないまま部屋へ戻った。声にならない幾つもの戸惑いは、ぼくの中で既にその流れを見失っていた。

閉塞した気持ちを抱え、持て余しながら、昼間の熱をたっぷりと吸った暖かい枕に顔をうずめた。息を深く吸い込むと太陽の匂いがした。その温もりが無性に哀しかった。

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