誕生 / ギリメノ(2)
2003/09/15
美しいという言葉では言い足りない。悲しい、という感情かもしれなかった。
霧雨から一夜明けたギリメノは、天いっぱいに鱗をばら蒔いたような眩い光の中にあった。まぶたをきつく閉じても太陽の輪郭が分かる。こんな経験は後にも先にも初めてのことだった。
友人はやはり晴天をもたらす存在なのだろう。今日はきっと絶好のダイビング日和に違いない。鋭角に降り注ぐ朝の陽射しを受けて、ギリメノは白砂の海底からも光を放っていた。ダイビングをしないぼくでさえ、もう居ても立ってもいられなかった。
サングラスやら読みかけの小説やらをショルダーバッグに詰め込み、迷わず海へと駆け出した。サンダルもTシャツも砂浜に投げ捨て、波打ち際から滑り込むように光の海の中へ。
一瞬にして、青く透き通る宝石の中に閉じ込められてしまう。柔らかな水が抱きすくめるように全身を包み、海のささやきがくぐもった声となって両耳を塞いだ。
ほんのひとかきかふたかきで生きた珊瑚礁に出会うことができた。あまりにも美しい光と影のバランスで、珊瑚たちは駆け寄るわが子を抱きとめるように両手をいっぱいに広げていた。
ブクブクと息を吐き出しながら、ぼくはできるだけゆっくりとそのふところへ向かって泳ぎ続けた。
白砂と岩と珊瑚から成る色鮮やかな海底は、あたかも俯瞰した大地のように果てがなかった。まるで空と大地と海の、その海の中に、もうひとつ空と大地があるようだった。
ぼくはその空を渡る一羽の鳥になった気分で、水を蹴り、波をかわし、岩肌を滑るように水を切って進んだ。
珊瑚のすぐそばで、あるいは岩と岩の隙間で、たくさんの熱帯魚が楽しげに泳いでいた。黄色く丸い魚がいて、瑠璃色に光る魚がいて、ネオンのように青く輝く魚群が何度も目の前で弾けていった。
ふと、友人も今頃どこかもっと深い場所で、この大きな空を飛んでいるのだろうと思った。
身体中が不思議な感覚ですっかり満たされていた。泳いだと言うよりも上空を旋回した気分だった。一度バルコニーに戻ってミネラルウォーターで喉を潤していると、ほどなく一本目のダイブを終えた友人が足早に戻ってきた。明らかに様子がおかしかった。
どうやら予想を遥かに超えた海の美しさに打ちのめされてしまったようだった。友人は深いため息をつき、かすかに涙ぐみさえしながら、もうわけ分かれへん、と絞り出すように言った。
水中メガネだけの素潜りに飽き足らず、アウトリガーをチャーターしてシュノーケリングにも出かけた。乗客がぼくひとりだったのもあり、予定時間を大幅に延長してまでたっぷりとシュノーケリングポイントを回ってくれた。
テーブル珊瑚がどこまでも広がる場所や、カラフルな魚たちが集まる餌付けのポイント、そしてウミガメに出会える沖へも出掛けた。最初は耳抜きに少しばかり手間取ったが、慣れてしまえばシュノーケリングもなかなか快適なものだった。
鼻をつまみ、息を吐き出しながら、水深三~四メートルあたりまで一気に降りていった。水圧が徐々に肺にかかり、鼓膜に響く音の違いが明確になると、そこでまた新たな浮遊感が全身を包むのが分かった。充分に太陽の光が届く白砂の海底を、フィンの推進力を借りてなぞるように進んだ。
海中に広がる色鮮やかな世界に何度も言葉を失った。友人の戸惑いが理解できた気がした。それは起源やら進化やらといった大仰なくくりで捉えた世界観ではなく、この瞬間ぼくも珊瑚も魚たちも生きているというシンプルな事実への深い感動だった。
その喜びをぼくは羊水にくるまれた胎児のように全身で味わっていた。嗚呼、胸を埋め尽くすこの安らぎはいったい何なのだろうか。海底から聴こえるさまざまなざわめきが鼓動と重なって深く遠く鳴り続けた。
全身の力を抜き、仰向けのまま浮力に任せて海面へ戻った。強い陽射しで海はすっかり白く霞み、まるで光の中へ吸い込まれるワンシーンのようだった。
ふと、そんな自分の姿を眺めるもうひとりの存在に気が付いた。いつの間にか、この世に生まれたその瞬間を、もうひとりのぼくが泣きながら見守っていた。
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