12年の失敗からできた9つの起業NGリストと、それでも会社を興した話
12年間、ずっと起業がしたかった。
こんなことを言うと、尊敬する先輩起業家に怒られそうだ。「起業したい、が先に来るのは逆だろう」と。
それでもなぜか、12年前の夏、誰もが知る某韓国企業の社長が登壇するセミナーで1本の短い動画を見た時から、私は社長になりたいという想いを、胸に秘め続けた。恥ずかしくて、12年間、誰にも言わなかったけれど。
その時、私は地方公務員だった。大学時代、民間企業に就職したら、資本主義をドライブさせる人生を送るようになるのでは、と怖くなり、就活から逃げて、公務員になった。(念の為だが、公務員が逃げの選択肢だとは思っていない)私は、エントリーシートを書いたこともなく、同期の友達が作っていたような、厚さ20センチのファイルにぎっしりの、企業研究もしたことがなかった。すなわち、ビジネスのビの字も知らず、いつか会社を創りたいという無謀な情熱だけがあった。
非常識なほどに、私を駆り立てたのは、強烈な飢えだったように思う。この世界に、自分の居場所が欲しいという、存在の根底から湧いてくる欲望だった。思えば、物心ついた時から、秘密基地を探したり、面白い大人を見つけては、通い詰めて懐くのが、私の癖だった。
そんな飢えた仔羊が、砂漠の中で湧き水を見つける時が、人生で何度かあった。神様が与えてくれた、この嗅覚で私は人生を生きてきた。その水はいつも、人の目の奥に湧いて、キラキラと光り、気がついたら、私の心にも水が湧き出るのだった。(そういう時、大抵私は周りの人に、猪突猛進だと呆れられるので、もしかしたら仔羊より、猪の方が正しいのかもしれない)
12年前のセミナーで、動画を見た時もそうだった。
動画は、某企業の朝礼会の様子を映していた。韓国はキリスト教徒が多く、その会社もクリスチャン企業だった。礼拝を兼ねたような朝礼で、一人の女性にカメラがズームインし、彼女が笑顔で何かを言った。確か、この会社に入れて信仰が守られたとか、そういう話だった気がする。でも、私を惹きつけたのは、彼女の目の奥に映った、小さなきらめきだった。それが、スクリーン越しに、私に伝染した。その時、その会社のビジネスモデルも何もかもすっ飛ばして、この光を、生み続けられる場を作りたいと思ったのだった。それも、この資本主義のど真ん中で。会社という形で。
そんなきらめきを一歩一歩たどりながら、私が作ってきたのが、12年間の「こんな起業はしたくない」というNGリストだ。
きらめきを追いかけて作ったリストなら、なぜ「キラキラリスト」あるいは「きらめきリスト」ではないのかというと、この12年間、きらめきが瞬く間に、ことごとく、消えてしまってきたからだ。きらめきは、本当に小さな火種のようなもので、それはあまりにも儚く、些細なことですぐに消えてしまう。12年間私は、自分の中に湧く水と、そこに映るきらめきを追い続け、そして、それらが消え去るのを見続けてきた。その都度、心に刻んできたNGリストが次である。(本当は、それぞれ独自の物語があるのだが、今回はあえて理由を一言でまとめる)
12年間、ひたすらNGリストが増え続け、一向にアクションを起こせずに暮らしてきた中、今年の数ヶ月間、人生を揺るがす出来事が余震のように続いた。これはなんだろうと怪訝に感じながら、5月のバリで、再び、きらめきを見つけたのだった。エコロジカルミームが主催する、バリの流域循環を学ぶツアーに参加したときだった。
バリでは、水道水が飲めない。それが悲しくて、チーム解散後の最後の1泊は、バリで最も美味しい水が飲めるという村にある、山奥のエコロッジに向かった。タクシーの中、運転手がおもむろに、村の歴史について話し始めた。彼が言うには、彼が子どもの頃、この川の水は飲めなかったが、そのエコロッジのオーナーである、オーストラリア人が移住して来てから、村が変わってきたと。彼が持ち込んだ環境再生の知識を受け入れた村は、農薬を使うことをやめ、森の木を伐採することをやめた。その結果、10年かけて自然が再生し、今はバリで一番水が美味しい集落になったのだと、嬉々としながら語ってくれた。後部座席に座っていた私は、ずっと、彼の後ろ姿しか見えなかったが、彼の言葉は、言語の壁を超えて、私の心に火をつけるのに十分なきらめきだった。久々に私の中で、魂が震えるような感覚があった。
日本に戻る帰りの飛行機で、私はノートに、バリで学んだことを書き殴っていた。wi-fiが使えなかったので、ノートに書くしかなかったのだが、おそらくそれが良かった。あまりにも濃い気づきが大量にあったので、これは良い焚き付けになると直感したのかもしれない。この感覚を、絶対に言葉にしてやるという執念で、帰りのフライトの間、ずっとノートに齧り付いていた。そこから先のことはあまり覚えていない。
そんな中、バリから帰国して1週間くらいの頃、私の中に一つのアイディアが輪郭を帯びてきた。
「そうだ、暮らしが変わる旅を提供するプラットフォームを作ろう」
何かが降りてきた感覚だった。そこからは、ノートが手放せなかった。
コーチをやってきた身として、TransformativeなTravelを提供したい、という思いから、会社の名前は「株式会社TransformTravel」となった。しばらくすると、「Turn to the mother earth. 母なる大地に還ろう」と、心の呟きが聞こえてきたので、それを会社のPurposeにした。そしたら、屋久島の川の水でお茶を点てている人の絵が浮かんできた。そうだ、最初のプロダクトは、これをやろう。川は幼少期からずっと私の秘密基地だったし、お茶は、学童時代に懐いていた先生の、凛とした温かさとお菓子の味を思い出させてくれる。私の師匠や、先輩方が教えてくれた、禅の精神性が漂う中で、川を通じて自然と繋がり、きらめきが弾ける場を、みんなでやろう。屋久島に旅で訪れた世界中の人が、屋久島の水で育ったお茶を、屋久島の川の水で飲むことで、自然と繋がるきっかけを提供したい。流域という世界観に触れることで、私が、屋久島の水で人生観が変わったような体験を提供したい。そうすれば、島の尊敬するガイドさんや事業者さんたちが、それぞれ想いを持ってやってこられたことを、少しくらい際立てることにも繋がるかもしれない。名前は・・・ノートに「流域茶禅」と書いた。
その日のうちに、屋久島のお茶屋さんを紹介してください、と家主に頼み、次の日には登記の手続きをとり始め、次の週には、チームができた。お茶の専門家を探し、共通の知人の方が紹介してくださり、株式会社TeaRoomさんの協力も得られることになった。肝心の屋久島抹茶も奇跡的に手に入った。そのSTORYは別途こちらの記事で紹介している。
12年間、何度、ビジネスコンテストやらセミナーやらに出たか分からない。それでも踏み出せなかった、この小さくて大きな一歩を、こんなにあっさりと決めていいのか、という気持ちがないわけではない。便秘が解消したかのようなスッキリ感と、初潮がきたことにホッとしながら、戸惑う少女のような感覚が混在する中で、それでも踏み出した足を引っ込める気が毛頭ないのは、進めという合図なのだと思う。
これが、あの日から干支が一周回った最後の月に、私の身に起きた出来事である。
執筆後記
先輩方からしたら「起業するのは全然難しくない、続けるのが大変なんだよ」と仰ることは想像に難くなく、私自身も、一人で会社を作ったくらいで大袈裟な、と思いつつも、筆を取りました。
本日、36歳の誕生日を迎えたこともあり、今まで私を育ててくださった方々へのお礼を伝えたかったこともありますし、この私の人生にやってきた不思議な出来事の一つとして、この世界にささやかながら、残しておきたいなと思ったのもあります。
もしかしたら、これを読んだ方の中に、起業したいと胸に秘めている人がいるかもしれず、もしかしたら、12年も動けなかったチキンでもアクションを起こした人間がいるのだと思って、ご自身のタイミングを信じられる方がいるかもしれない。そんなささやかな妄想をしつつ、筆を置きます。
会社の初プロダクトの名前は、川でお茶を飲むことが、新しい茶の湯文化として広まって欲しいという思いから、シンプルに「川点(かわだて)」と名付け、同じ流域の川点ガイドたちが、地域の方や観光客の方と一緒に、その川でお茶をする会を「流域茶会」と名付けました。(「流域茶禅」はより濃い企業研修用とし、まずは観光向けのライトなものから始めます)、8月から、コンテンツ開発のための、クラウドファンディングも始めます。先行して公式LINEをOPENしているので、クラファンオープンしたらお知らせします。ぜひ登録してくれたら嬉しいです。
今回は、まず背景STORYを描くことに集中したため、浅い内容となっていますが、具体的にどんなビジネスなのか?という話は、今HP等準備中です。
これから、(株)TransformTravel(トラトラ)をよろしくお願い致します!