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甘いケーキも苦いピーマンも大好きです

 細かく説明すると、冗長でめんどくさいことになるので前段は省略しますが、ふと思い立って、ある人物について調べていたら、その人にまつわる記事の中で、「安康あんこう」という言葉が使われていました。

 アンコウ…?恥ずかしながら、見慣れない言葉です。
 文脈と字面じづらから意味は分かりますが、気になったので、ついでに調べてみました。

あん‐こう〔‐カウ〕【安康】平和で安らかなこと。安穏。書簡で、相手の健康・繁栄などを祝うあいさつの言葉としても用いる。「~の段」「国家~」

goo国語辞典

 まあ想像どおりです。
 書簡で使われる言葉ということは、ビジネスレターなどかしこまった手紙でよく見る「御清祥ごせいしょうのことと存じます」的なシーンで使われるのでしょう。ちなみに「清祥」もまた、安康とほぼ同じ意味です。

 受け取った相手が、たまたま溶連菌感染症で高熱を出して苦しんでいるというシチュエーションだったらどうするんだろう?と、アホなことを考えないでもありませんが、それはともかくとして。

 最近「いきあたりばったり類語・対義語辞典」というのをつくっているので(ノートに思いつくまま手書きしているだけですが)、「安康」の類義語についても検索しました。

 すると、日本語シソーラス「連想類語辞典」というサイトがトップに来たので、のぞいてみることにしました。

 『安康の類語、関連語、連想される言葉』として、「平和」「安泰」「安穏」といった、調べるまでもなく想像できた言葉はもちろん、これってもはや連想の飛躍じゃないかと思うほどのワードも出ちゃっているのです。

 「将来を約束される」「メリハリのない」「ゆるい」その他いろいろ。 「メリハリ」「ゆるい」があまりポジティブな印象ではなのはともかくとして、理解できないでもありません。
 しかしこれが、「世知辛くない・・・」「長期(安定政権)」あたりになってくるくると、やや疑問符が付きます。

 「世知辛い」をあえて否定形で使ったことありますか?私は記憶にありません。
 せいぜい世知辛い話をされて嫌な気持ちになったとき、「そういう世知辛いのじゃなくて、もっとこう…」的な駄目出し程度でしょうか。
 さながら片桐仁さんの『ガンダムじゃない』(アニメ『機動戦士ガンダム』(ファースト)のオープニング『翔べ!ガンダム』の替え歌)のようです。

 長期安定政権というのも、治世的にうまくいっていて長期に及んでいるのと、長期に及んでそれなりに綻びもあるものの、惰性で続けているさまが「安定している」みたいに見えているのとでは大違いです。

 その昔、細川護熙ほそかわもりひろ氏が熊本県知事を辞したときに少し有名になった「権不(腐)十年けんぷじゅうねん(権力は10年続くとダメになる的な意味)」という言葉があるように、特定の人が長年権力の座にあること自体が否定的に言われるのはよくあることです。

 それを言い出したら、「安らか」「何事もなく平和」ということ自体にネガティブなイメージを持つ方もいるでしょうから、手紙の決まり文句として使われるのもいかがなものか――というところまでたどり着きそう。

 しかしそこは、あくまで礼儀正しくすべき相手、「けんかするほど仲よくもない」相手への形式的な手紙ですから、逆張りは不要です。
 気心の知れた相手なら、「ヘイ、Bro.ブロ 相変わらずイカレポンチ野郎か?」でもいいのでしょう。そういう人がちまちま手紙を書くかは分かりませんが。

 このページをさらに見ていくと、「快楽主義的」という言葉も、「安康」と何がしかの関連がある言葉とみなされているようですが、ここまでいくと、「思えば遠くへ来たもんだ」という感じです。

快楽主義(かいらくしゅぎ、英: hedonism)は、感覚的な快楽を幸福と捉え、これを産出する行為を正しい・善いとみなす倫理学上の立場であり幸福主義の一種である。

Wikipedia

 感覚的な快楽というのは、「刺激」もまた含まれるのではないでしょうか。何せ「快楽殺人」などという物騒な言葉すらあります。
 こうなると、安康とは正反対の位置にある言葉だとさえ思えてくるのですが。

 春や秋の柔らかな気温を好む人もいれば、夏のジリジリするような暑さを好ましいと思う人もいて、かと思えば、冬の寒さと降雪を「ゲレンデがオレを呼んでいる!」と歓迎する人もいますし、何なら全部が1人の人間の中にある感情であってもおかしくありません。

 私自身、「安穏」や「のほほん」を愛する人間ですが、実は古今東西の猟奇殺人の記録を読むのが好きという面もあります。
 まだフィーチャーフォンだった時代、寝る前のひと時、それこそまったり・・・・と、岸田裁月氏の『殺人博物館』を閲覧していました。
 もっともこれは、岸田氏の文章のファンだったという要素が大きいと思います。
 同じ「まったり」なら、青空文庫で小川未明を読むこともできたのに、あえての殺人博物館だったという言い方もできます。

 もう一つ、面白いような、困ったようなことを思いつきました。

 例えば日本語を勉強中の外国人が、「安康」という言葉を知った後、「これに関連する語彙を広げたい」と考えて、たまたま見たのが、くだんの連想類語辞典だったら?

 もともと日本語が分かる人間ならば、「違和感はあるものの、言いたいことは分かる」で済まされる例も、外国の方には「AとBは同じような場面で使える」という誤解を与える可能性があります。
 また、そこまで見くびりたくはないのですが、AI生成の文章でも、同じようなミスを犯される可能性は大いにあるでしょう。

 別に連想類語辞典を批判するつもりはありません。むしろ非常に興味深いので、これからも活用したいと思います。
 思いますが…ねえ?アレがコレしてドウなった的な失敗・誤用を全く心配せずにはいられないのです。

 ちなみに冒頭の「ある人物」とは、2011年に日本に移住、2012年帰化、2019年に日本で亡くなったキーン怒鳴門ドナルド(ドナルド・キーン)氏です。「安康」という言葉は、帰化申請支援団体のブログ文中に登場しました。

 日本と日本語を愛し、最期は日本人として旅立たれたキーン氏について調べていて、日本語の微妙なニュアンスや面白さについて思いをはせる結果となったこと、個人的には「満更でもない」出来事でした。

 こじつけがひどくてごめんなさい。

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