小説「対抗運動」第7章3 協同組合学科
おいさん、うちは明後日にはもう日本へ帰るんよ。どうやって調べるん?
ハバナ大学には協同組合学科があるんやて。訪ねてみよかな。日本の大学にもあるかなあ。帰ったら受験勉強せないかんけど、協同組合のことも調べたなった。
おいさんが薄いから持っていけ言うた岩波新書の『五つの共産主義』、やっと読み終わったよ。30年も前の本やね。キューバにはあんまり期待してないね。
この本で一番問題になっとるのは、生産手段が共有になっても、必ずしもそこで働く人らが自由になれへんかった、いうことやと思うんやけど。雇う―雇われる、いう関係がなくなっても、計画して指図する少数の人たちと、それに従うだけの大勢の人々、いう関係が生まれたんやね。
これが、協同組合運動と国家の援助、という考えが相容れん、ということやろか?
革命の指導者たちは、生産手段の私有がなくなれば、商品経済もなくなると考えてたんやけど、国有化されても商品経済はなくならんかった。
国家によって強制的に生産手段が共有化されても、それは働く人らの自由とは結びつかんかった。党から派遣された人や官僚の計画に従う体制ができただけやった。
中央集権的な計画経済は、協同組合の連合がちょっとずつ作りだしていく計画経済とは違う、いうんが解ってなかったんやろか?
けど、資本主義経済の中で協同組合の連合が、ちょっとずつでも拡大していくためには、必要なものが必要なとこにまわっていく工夫がないと、アカンのやね。おいさんらは新式の消費者協同組合と市民通貨がええと考えとるんやね。
この本は、旧ユーゴスラビアで試みられた労働者の自主管理路線やチェコの労働者評議会の経験から、党から派遣された人や官僚以外の現場の人が企業の指導者になる制度ができれば、社会主義経済の中でうまいこといく、働く人らが自由になれると、希望をもってたみたいや。
キューバは、どうなっとんやろか?
やっぱりハバナ大学へ行てみるわ。
続く
執筆:飛彈ゴロウ、2003年9月29日