"音楽家独立物語"
2002年春に、神戸のBig Appleで催されたシンポジウムより。
福井(以下、福) それでは日本でもトップクラスのミュージシャンの皆様をお迎えして――まず、音楽製作の現場から、より具体的に、現代の経済システムの問題点を考えたい。また会場の皆様も巻き込みましてフリートーク形式で、ざっくばらんに語り合えたら、と思います。司会は私、福井哲也がつとめさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)
まずはパネリストの皆さんを御紹介いたします・・・初めにこちらから立花泰彦さんです。立花さんは高校時代からプロのジャズベーシストとしての活動を開始され、30年近くの活動歴をお持ちのミュージシャンです――梅津和時グループでの御活躍を始めとして、近年ではヨーロッパツアー、映画音楽の製作など、その御活躍には、まさに目を見張るものがあります。
次に、一番端っこにいらっしゃる方が泉邦宏さんです。泉さんは今、ジャンルや世代を超えて幅広く支持されつつあるフリージャズビッグバンド、"渋さ知らズ"の中心メンバーとして御活躍中のサックスプレイヤーであります。最近ではヨーロッパツアーに行かれるなど、非常に充実した御活動をされています。今回は立花さんとのデユオということで全国ツアーの最中です。
最後に、内橋和久さんを御紹介します。インプロビゼーションを得意とされるギターリストとして、日本は勿論、海外、特にヨーロッパで絶大なる評価を受けられている超一流のミュージシャンです。関西在住の方には、関西が誇る、劇団維新派の音楽監督としての御活動は広く知られているところだと思います。ミュージシャンとしてのクリエティビリティは勿論のこと、閉塞した日本の音楽状況を変えるために、日本では、ほぼ唯一の、ミュージシャン主導のコンサート活動をされていたり、非営利の芸術活動を展開していくために自らが中心になって、NPO法人を計画され、実行されたりと非常に興味深い活動を展開されています。これらの御活動につきましては、後程じっくりとお伺いしたいと思っております。
■音楽業界残酷物語?
福 今回は芸術、特にそのなかでも具体的な一分野として、音楽について論じて行こうと思っています。本来は経済、資本の原理からもっとも自由であるべき音楽という表現形式も、現実には決してそうではないということは私のような素人でもかなり想像できるところです。 まずは立花さんに今までの長い音楽活動歴を振り返っていただきまして、"音楽業界残酷物語"と申しますか、資本主義社会における生々しい業界の実態につきましてリアルに語っていただきたいと思います。そこから「音楽家独立物語」に持っていけたらと思っているのですが。
立花(以下、立) 立花です。・・・30年というのは正確じゃなくて29年です(笑)。それと高校生からジャズをしていた訳ではなくて、最初はキャバレーで演奏するベーシストでして、演奏することがそのままお金に変わる世界で、普通の仕事と同じようにやっていました。10年くらいやっていましたが、その間、色んなことをやりました・・・ベストテンや紅白歌合戦のバックもやりました。
福 荻野目洋子のバックやっていたとか。
立 いや、河合奈保子です(笑)。 まあ、それは自分のやりたい事をやる、というのではなくて、与えられたもの・・・例えば歌手のサポートをやる、ということで演奏をお金に替えてやっていた訳です。そのこと自体は何も批判するようなことは何もないのですけれども・・・ある時からジャズの世界に身を投じてしまいまして、艱難辛苦、家庭崩壊とか色んな目に遭いました。
なぜそうなるかというと、自分のやりたい演奏を始めたとたんに自分の演奏をお金に替える、ということが今までのように出来なくなってしまった――このこと自体は好きな事やっているんだから仕方ないと言えるのですけれども。
もちろん、ミュージシャンもこういう状況をただ傍観しているだけではなくて、たとえば、ミュージシャン主導で、イベントやら企画を立てたりします。でも、それも、しっかり情報公開をしていなかったら、特に、お金の流れですけど。。。どうも、おかしい。ということになってしまったりするんですよね。最初からちゃんとオープンでやってほしいと思うのですが。
福 ある程度業界の構造に乗っていたら、生活とかも充分、もしくはそれ以上なんだけれども、ある時点から自分の作りたいものが作りたいんだ、という風にチェンジしたらすごく"不自由"にされてしまうと。
立 金銭的=経済的にはそうですね。
福 市場が極端なんですよね。全然多様じゃないですよね。・・・という訳で次に泉さんにも今までの御苦労を伺いたいんですけれども。
泉 僕はもう趣味の延長で、気が付いたらこれで食っていて・・・「食っている」といっても殆ど"ヒモ"なんですけれどもね(笑)。・・・まあ、ヒモじゃないと俺は思っているんですけれども・・・「目指せ1日5000円!」なんですよね(笑)。月に20ライブ位やって大体5000円もらったら10万、これを目指そうと。この低いハードルがなかなか越えられない。
福 それはやはり自分のやりたいライブだけをやっているとそうなってしまうと。
泉 僕の場合は立花さんとは違って最初から好きなことしかしていないので、そうすると、いわゆる資本主義の社会とも最初から関わっていないんですよ。最初は道端で演奏しているところから始めている訳で。それが気が付いたら"渋さ知らズ"というバンドで海外行ったり、CD出したり、そのへんもう勝手にやらせてもらって有難いことなんですけれども、それで食えるか、というと食えないんですよね。
福 評価はされているけれども、それが全然"生活"と結びつかないということですよね。「評価」をされている人が経済的なところにも、ちゃんと結びつく可能性、というものがなければと思うんですよ。 内橋さん、如何でしょうか?そのへん。
内橋(以下、内) 僕もまあ、元々好きなことしかして来なかったんですよ。
福 そんな感じですよね(笑)。
内 まあ、僕は関西に住んでいましたから、資本主義ベースに乗った仕事自体がなかった、ということもあります。音楽の仕事って殆どがタレント仕事なんですよ。でも関西にはタレントいないから最初から仕事が無い、と。殆ど片手で数えるくらいしか――"たかじん"とかまあ、あのへんしかいない訳ですよ。それをやっていた人もいたけれども、それだけでは食えないし、それくらいなら好きな事やって飯が食えなくても、いやだけれども、しょうがない、と思えるんですよ。それで今まで一応生きて来れたし、まあこれからも生きていけるんちゃうかな、と。まあラッキーだったと思うよ。
福 分かりました。立花さんの場合は今までこういう状況を見て来て、もうちょっと積極的にアクションを起こしたい、と。内橋さんは立花さんのやっていることにちょっと距離を感じるということでしょうか?
内 いやそういうんじゃなくて・・・この現状には全然満足していないですよ。満足していないから色々やってみる訳で。もちろん、この状況を変えたいと思っているけれども・・・ただ自分達のやっていることというのは、立花さんのやっていること、泉のやっていること、それぞれ違うと思うけれども、勿論音楽なんでそれぞれ違うことやるんだから、自分が本来何をやりたいのか、ということを出す訳でしょ。それに対してお客さんが見に来てくれればお金ももらえるし、CDが売れればその代金が入ると。もともと単純に気に入ってくれた人しかお金払わないし気に入ってくれた人しかものを買ってくれない、もともとそうなんですよ。
福 分かりました。その辺りをまた後ほど伺いたいと思います。
■映画制作と音楽家下請け制度
福 えっと、もう一つ、音楽家が苦労されている例として、映画音楽があると思うのですけど。。。 映画の作成には、いろんな人がかかわり、その結果たくさんのお金がかかるのは皆さんもご存知だと思いますが、そのお金を借りるときに当然、利子、金利が付いてしまうわけです。これは早く返却しなければ、どんどん膨らんでいくわけですね。だから、映画制作は、公開して、資金回収するまで、とにかく短期間でやろうとする。だから、映画制作の現場は全くひどいものになってしまうそうです。金利がアーティスト達にプレッシャーをかけているといえると思います。「質よりもスピード」。これ、立花さん、実際に経験されたんですよね、映画製作の現場でね。
立 映画は殆ど、余裕のあるところ以外はスピード重視ですね。内橋さんもやっているけれども。効率重視とはどういうことか、というと、普通はロケが終ってある程度編集されたフィルムを渡されて大体2週間くらいの期限でそれを見ながら音楽を作る、という形がまあ、職業的な作り方です。それで、ぼくなんかは、それでは、ちょっと出来ない、という部分もありまして、シナリオもらってロケから参加してやりたい、と言って、現実にやったんです。けれども、何か情けない話なんですけれども、その映画の制作費が六千万で、音楽費は六十万でしたが、その六十万とは何かというと、ある程度出来上がったものを見て、2週間で音をつける、ということを考えると充分ペイ出来る額なんですけれども、これをロケから参加してやるとなると2ヶ月くらいこれに使うということになるんですよね。それで六十万かけて技術さんを頼んで同行してやるとなると完全に赤字になるんですよね。
福 全部込みで六十万なんですよね。
立 ええ。それはもう当然無理なんで、損得抜きで「こだわろう」と思ったんですけれども・・・そういうこちらの思いをたまたま映画監督が理解してくれてスタジオ代はその人がペイしてくれたから、まあ、やれたんですね。それでも赤字なんですけれども。それが現状ですね。今言われたことで言うとね。
福 なるほど、まさにその通りですね。内橋さん、いかがですか?
内 映画ってそうですよ。映画での音楽は全て終ってからですよ。全部出来上がってから。ということは、予算はそれまでに殆ど使われてしまう訳ですよ。殆ど撮影に使っちゃうからね。そのなかで、後でどんどんしわ寄せが来て、「残ったお金はこれだけです。」ということになる。おまけにもう公開日が決まっているから「時間はこんだけしか無い、」と言われる、二週間だったらまだある方ちゃうかな。一週間とかもありますよ。音楽は虐げられているんですよ(笑)。
立 そんなの、やはりいやですよね。シナリオ読んで「こういう風な音楽・・・」と考えていくのが理想ですよね。
内 映画における音楽っていうのは、多分BGMだと考えているんだと思うんですよ。製作側のスタンスが悪いんですよ。何でもいい、と思っているんですよ。ちゃんとしたところはそうじゃないと思うけれども。
立 その製作サイドって何かと言うと、監督とかプロデューサーとかシナリオライターとかそういう人達じゃなくて、"あいだに入っている"人達なんですね。何だか分からないけれど(笑)。何とか事務所とか、「インぺク屋」って僕達は言うんですけれども、人を集めてその間に居るような。
福 実はそういう人達が一番儲けていて、現場が儲けていない、っていうのは良くある話ですよね。
立 そうです。広告代理店とかね。
福 音楽だけではないですよね。どんな世界でもそうなんですよね。
■CD制作に「お金出します。」
福 皆さんあくまで自由な音楽表現を追求するために非常に御苦労されてきた様子が具体的に伺えて非常に興味深かったのですけれども――今日御出席のミュージシャンの方々は音楽キャリアの上で際立っているのみならず、音楽家の現状を変えようとして様々な試みをしてこられたことにおいても際立っています。今度はそこらへんをお聞かせ願いたいと思います。まずは、作りたいものを作るために、もっとも困難な問題として、音楽製作における"資金調達"の問題を、泉さん、立花さんに伺いたいと思います。 今回製作されたCD「うたはだれのものか」では非常にユニークな資金調達の方法を採られたということなんですけれども、そこらへんを立花さんにお話していただこうと思います。
立 えーと、これはさっき内橋さんが言われたこととも関係してくるんですけれども・・・聴きたい人が(ライブに)来て、僕らにお金を払ってくれる、というのはそれはそれでありがたいんですけれども、その人が聴きたいものが「どこで発信されているか」ということが、今のマスメディアではインディペンドなものは全然取り上げられないですから・・・そこで、自分のホームページに、自分はCDを作りたい、しかしその金が無い、私に好きなCDを作らせてくれる人はお金を出して下さい、ということを載せた訳です。
福 ネットで資金提供を呼び掛けた、ということですよね。
立 はい。そうしたら今回のCDを作るプレス、デザイン、録音の費用に充分なお金が集まりました。
(会場) えー!! すっご~い!
福 かなり困難だったですか、それとも・・・
立 すぐに集まりました。
(会場) オォー!!(どよめき、拍手)
立 しかも、要するに資金提供者の注文――「こういうCDを作ってくれ」ということは一切受け付けない訳です。ようするに「立花が作りたいからお金を出します」というカタチで出してくれたんでそれはとても有難かった。ある意味で消費者っていう人達が本当に聴きたいものが聴けているのか、本当に見たい映画が見れているのか、そういうことを、消費者の方からも発信するべきだ、と考えるようになりましたね。
内 ちょっと質問。それって皆さんが寄付してくれたものですか、それとも返すんですか?
立 返すつもりです。
福 あー、"投資"ですね。
立 法律的にいうとお金を返すことを前提にしてしまうと出資法違反になるんです。
福 それは"返す"としたら、CDプラス"元本"という形になるんですかね。
立 そうですね。それで返すことを明記してしまうと出資法違反になる。
福 泉さん、そのプロジェクトを共同でやられて、何かありますか? 本当に充分なお金、集まったんですか?(笑)
泉 いや、ぼくはもう演奏するだけで、あまりタッチしていないんですけれども。
福 満足できるレコーディング環境だったんですか?
泉 それは、充分だったですね。
立 レコーディングのエンジニアの方にそういう話をしたらその方が、そういう事なら自分も売り上げの何%をもらえばいいから、と言って"お金なし"でやってくれまして、そういった協力のなかで出来上がりましたね。
(会場から・浅輪)どんな人たちが出資したんですか?
立 全然知らない方もいましたね。メール送ってくれて。
内 それは、でもおかしくない?立花さんのこと全然知らない人がお金を出してくれるというのは。
立 いや、僕が知らないだけで、相手は関西でライブに来てくれた人だったりしている訳です。
■「・・・もともと"非営利"なんです」
福 内橋さんに聞きたいんですが、日本で数少ないミュージシャン主導のコンサートを御自身で企画運営していると伺ったんですけれども、そのことについて教えていただけますか?
内 96年から毎年、去年はちょっと休んだんだけど――まず5年間毎年やっているんですけれども・・・いわゆる商業ベースにのっからない音楽で僕が「面白い」と思うもの、新しいもの・・・まあ、即興を基本のベースにはしているんですけれども そういったものだけを取り扱ったフェステイバルを2日間、神戸で毎年やってきています。
福 やってこられてどうでしたかね?
内 あのね、そういう一般的じゃない音楽・・・まあ、音楽の内容に関しては言葉でしゃべれないから何も言えないんだけれども、「そういう音楽がこの世にある、」ということも知らない人が大半で・・・テレビやラジオで聴けるものは知っているけれどもそれ以外の(一般的には知られていない)ものは知らない、という・・・そういうものをもっと身近に聴いてもらうための場所っていうものを考えると、こういうライブハウスのようなところでやっても聴いてもらえる人数はたかが知れている。 そうじゃなくて、もっとまとめて見せちゃう、まとめて見せることで、例えばチケットが4,000円したとして、普通だったら高いと思うだろうけれども、それがバンド20見れるとしたら1バンド数百円になる。そうしたらライブハウスに来るよりは割安なわけですよ(笑)。まあ、なんせ沢山見てもらう、色んなものを見てもらう、これがキーポイントで、一つのものが嫌いでも次が面白い、というものがあるかもしれない・・・20個見たうちに1、2個そういうバンドがあったら僕はそれでいいと思う。ただ一つしか知らないで、こういうものはつまらない、と決めつけられちゃうのが一番恐い話ですね。
福 もっと多様なところがあると。
内 そう。即興音楽といっても色んな人がいるし、人それぞれ皆違ったことやっている訳ですよ。だから一つだけ見て、ジャンルに分けられて、こういうのは面白くない、と決めつけられるとしたらとんでもない話で・・・。だから沢山のものを色んな違ったところからアプローチして見てもらって、聴いてもらって、そのなかで自分に何か引っかかるものがあるはずだ、と思っています。
福 インターネットラジオとかいうメディアが出来てくる前はマスメディアに乗る音楽ってどうしても限られてくる訳で、そういう音楽を聴いた事ない、"可能性としてのファン"とミュージシャンとを結び付けるのを(まあ、マスメディアが内橋さん達の音楽をどんどん流してくれればいいんだけれども)なかなか流してくれない。で、自分達でやってしまおうと。
内 まあ、流れてもちょっとこわいんだけれども(笑)。"消費される音楽"ではないからね。
福 そうですね。どうですかね、それはすごくいいイベントだと思うんですけれども、経済的には大変ですよね。"自腹"ですよね。
内 だから収入があるとすればお客さんのチケットの収入だけですよね。あとは少ないけれども民間からの助成金もらったりもしていますけれども、当然それでは賄いきれないんで・・・毎年50人60人ミュージシャンが来る訳ですから、彼等の交通費とホテル代とそれだけで何百万いってしまいますよね。だから毎年"持ち出し"。それまでに金貯めて、それでやっている――それがもう限界に来ているということですね。
福 なるほど。
もうひとつお話を伺いたいのは、あくまで自由な、商業主義的ではなく"消費"されない音楽の表現の場のための運営のためにNPO(特定非営利法人)を立ち上げられるということなんですけれども。
内 ぼく達の活動というのはもともと非営利なんですよ。儲かる訳ないんで、僕としては自腹切るのを抑えたい。自分のお金を使ってやるということを抑えないと続かないから、俺がお金持ちならいいけれども、そうじゃない。で、「お金がなくなったから止めます、」とは言いたくない・・・「だったら最初からやるな!」という話ですよね。大風呂敷広げてそういうことやろうとするんだったら意地でも続けないと駄目なんですよ。そのためにはどういう風に環境作りしていったらいいかと考えて、たどりついたのがNPOでね。だから非営利でいいんだよ。お金を儲ける気なんてないんだよ。ただそういう音楽をもっともっと多くの一般の人に気軽に聴いてもらえる場といった環境を作っていかないと何も変わらないから。それで非営利の団体立ち上げましょう、ということになったんですよ。まあ、これは大阪市との話で、天王寺にフェスティバルゲイトというものがあって、あそこは一大アミューズメントパークとなろうとしていたんですけれども大コケで、いま半分位しかテナントも入っていない状態で、そこの空き店鋪を「使わせろ」という企画書を申請したらたまたま通った。通ったからもう'GO'しようということで今年(2002年)の秋から一店鋪、ウチがもらって、そこを好きに使っていいよ、ということになりました。
福 一店鋪だけでしたっけ?
内 あと僕ら以外にも映像関係とかダンス関係がそれぞれNPOを立ち上げて店鋪を確保していますね。で音楽は僕達がやると。一番いいのはね、それは金もうけじゃないから儲かることをしなくていいことですね。それがまず前提になっている。だから客なんか一杯にならなくていい。そうじゃないこと――必要だけれども誰もやらないようなことをやってくれ、ということですね。商業主義とは最初から一線を画した環境のなかでやれることなんで、それはもう願ったりかなったりですね。
福 えっと、会場にいる浅輪さんという方ですが、彼は新しい形で音楽家協同組合を立ち上げたい、といろいろ模索しておられると伺っています。何かコメントなどあるでしょうか。
浅輪(以下、浅) まあ、芸術ってもともとは協同組合的に作られているものですよね。この間読んだ論文なんですけれども、アメリカで「芸術というコンセプトがどう生まれてきたか?」というので、じつは、NPOが出て来て、そこが芸術製作に経済的なバックアップをするようになってきた時に、これは芸術だから、公的利益があるから作るんだ、というところから始まったんですよ。それまではアメリカではコロニーでしたから、シェークスピアも大衆芸能も一緒に同じ劇場でやったんですけれども、ブルジョア=資本家が出て来て自分達を分けるためにどうするか、というと、NPOや財団を通して寄付をする。寄付をするというのは格好つける、というんでしょうか・・・「これは芸術だ、」と分ける。だからもともと協同組合的で、協同組合があったからこそ芸術も出て来たと言えるわけです。それ以外のものは商業主義的にやるしかない、と"商業芸能"になってしまう。芸術の方は、「芸術はこういうものでなければならない、」というシステムが出来てしまって(・・・シリアリズムとか色々あるんですけれども)、ダダダダダっとこういう風じゃなければ駄目だというようになってしまう。
内 それがまた恐いわけですよ。
浅 その二つも(その距離を)縮めたい、というか、あいだをつなげたいと思いますね。
福 ちょっと・・・・どうですか、ちょっと抽象的になってますけれども。
内 いや、ぜんぜん抽象的じゃないよ。ごっつい具体的や(笑)。
■「自立した消費者」と「自立した音楽家」
福 資本主義的市場については、(そして音楽業界でも顕著なように、)最近では売れる音楽と売れない音楽という市場の二極化が極端に進んでいるのが事実なのではないか、と僕なんかは思うんです。浜崎あゆみで100万枚とか・・・完全に、自分が批評しているんじゃなくて、マスコミに踊らされて「聴かなくちゃいけない、」と思い込む、その一方でジャズとかボサノバとかの音楽はどんどん大変になっている。これは現在の資本主義を支えている情報産業の効果もありまして、ますます日本の消費社会が"村びと化"しているんではないか、つまり、自己の判断ではなくて、マスコミの操作によって自分の好みさえも変えられている結果ではないかと僕なんかは思うわけです。 前に阪大シンポジウムというのがありまして、「フリーソフトウェアムーブメントの可能性」ということが話題になりまして、その時に、「皆マイクロソフトの言う事なんかききたくない、ソフトウェアを作る人間だって作りたいもん作りたいのだけれども、フリーソフトでただでやっていたら経済的に食っていけない」。ほんまに作りたいもの作って食っていけるのやったらフリーソフトムーブメントに行きたいけれども実際には食っていかれへん。
浅 ・・・思ったんですけれども、非営利で、"売れない"音楽のお話をしていらっしゃれましたけれども、"売れる"音楽のミュージシャンでも文句がある訳ですよ。プリンスだってあんなに馬鹿売れしているのにワーナーやめたり・・・文句があるわけですよね。売れる、売れない、の問題以前に、もっと満足を与えない流通構造になっているとか、契約になっているとか、そういう問題があるのでは。
内 だから自分で出しているもんね。
浅 そうそう。今では全然売れなくなっていますけれども(笑)。でも自分でコントロール出来ているから満足だ、という話で・・・
内 結局、"大手"から出しちゃうと版権が自分のものじゃなくなってしまうということが問題ですよね。自分で作ったものの権利が自分に無いわけですよ。これは一番大きな問題ですよ。
立 いわゆる原盤権という言われ方をしていますね。
内 あの、著作権は勿論あるんですよ。著作権もあるし、ロイヤルティという、所謂アーティスト印税もあります。ただ、そのパーセンテージはすごく少ない・・・一枚売れても10円とかにしかならない。何百万枚も売れる人ならそこそこの金額になるけれども。あと、レコード会社から出した場合は、そのレコード会社がつぶれちゃった時にはその版権はどこに行っちゃうのか、という話になるんですよ。もう一生そのレコードは出せなかったりする訳。そのレコードを一生懸命作った人が、自分のものなのに、どうしようも出来ないということになってしまう。
立 原盤権を持っていないために廃盤になったものは一杯ありますね。聞きたいCDがもう聴けなかったりね。
内 "大手"から出すときというのは難しいんですよ。
福 だから、"大手"に頼らなくても音源を流通させていける可能性として〈ネット配信〉というのがあると思うんですけれども。資金調達の方法や〈協同組合〉も絡んでくるんですけれども、それそこらへんどうですか?
浅 ネット配信と絡んだ新しい音楽提供、こういうものを考えているので、福井さんが僕に振ってくれたと思うのですが。。。。最初のほうで、立花さんが言われてた、というか、実行しておられた、資金調達の方法、というもの、これは重要な動きだと思うのですよ。
つまり、今の音楽産業というのは、まあ、CDの売上、というのもありますが、その前に、まず、株券ですね、それから銀行からの融資、これが最初の資金となります。つまり、うーん、債券、というか、債務というか。。。つまり、借金ですね(笑)。商売というのは、なんでもそうだと思うのですけど、最初に金がいるのですよ。たとえば、店を開くのだって、最初に場所借りたりとか、人雇ったりとか、機材そろえたり、とか、そういうのに非常に金がかかるでしょう。別に新規でなくても、事業拡大する、というときでもやっぱりお金が大変いる。で、あとで売れたら借金返せるわけですけど、売れなかったら、まあ、破産ですね。そういう難しさがある。
で、話を音楽に限定すると、そのときにお金を出すのは、誰か、というと、直接のリスナーではないわけです。もちろん、そうである場合もあるんですが、結局は、何でもいいから、資産を増やしたい人、利子を受け取る人、ですね。つまり、配当が得られるなら、あるいは利子が得られれば、融資する先は音楽でも、軍事でもいいわけですよ、極端なことを言えば。そういう構造になってる。株式市場とか、銀行を中心にした金融構造というのは。で、ならば、特定的に音楽を選んで、質的に、というか、そういう風に発展させたい、育てたい、という動機は出てこないんじゃないでしょうか。
で、立花さんが始めたものはそうではない。ある特定のプロジェクト、この場合は音楽アルバムの制作ですね。で、それに特に共鳴した人が、それに限定してお金を出すわけです。しかも、配当が出るかどうかは分からない。はっきり要って、金を出したほうでは、それが目的ではないわけです。言うなれば、立花さんのCDが出来れば言い訳です。それが出来れば、もう満足。配当いらない(笑)。
何で、そんなことが可能か、というと、つまり、数量的な貨幣量、うーん、交換価値の拡大、というのかな。何でも買える、という「交換できる価値」がある貨幣、これへの欲望ではなく、立花さんのCDという使用価値、つまり、そのもの、あるいはサービス自身、それへの価値に向かって、貨幣が動いているわけです。
もちろん、それはマイナーな動きです。でもそういうような動きが全体的になっていくようにどうしたらなるのかな、と思います。つまり、金がもうかるところに金が動くのではなく、必要なところにかねが動く、そういう可能性はどこにあるのかな、と思います。私はやはり現実的ですから、それは難しいと思いますけど。投資先を限定するSRI(社会的責任投資)とか増えてきているようですが。
とにかく、資金調達というときに、それが多くの消費者から、多角的な形で、必要なだけ集められて、というか、必要だ、と思うところに出してもらって、しかも、それが、間接的ではなくて、直接プロジェクトに参加できるような、そんな形はありえないかな、と模索してます。
とりあえず預金させといて、その融資先はわれわれがちゃんと考えて行います、という信用アソシエーション、みたいな動きは歴史上たくさんあったのですけどね。うまく行っていないか、うまく行った場合は、普通の銀行と同じようになっています。
■「自立した消費者」と地域通貨
福 皆さんの現状の経済システムの枠組みのなかで非常に様々な試みをされてきた経験を伺いましてとても興味深かったんですけれども・・・まあ、今の所はちょっと難しいんですけれども、今度は、地域通貨を導入することでいかに音楽業界が変わり得るか、その可能性について、話していただきたいと思います。
資本主義市場とは全く違ったLETS、その中でもネット上で展開するQ市場の特徴につきまして簡単に話させていただきますと、これは立花さんがずっと言われていることですけれども――自らが"貨幣発行権"を持っていますLETSシステムにおいては、自立した消費者達が誕生して音楽業界をこれまでにないほどに多様化させることが、可能性としてはあると思います(今はその片鱗もうかがえないけれども・・・)。
このへんから"自立した消費者"をもっと増やしていくためにはどうしたらいいか、ずっと提言されてきた立花さんにお話いただきたいと思いますがいかがですか? いきなり振られても困りますか?
立 ハイ。(笑)・・・えーと、自立した消費者というか、つまり、自分に置き換えて自分が映画を見たいとして、自分がいいと思う映画をもっと見たいんだ、ということをもっと発信すればいいんだと思うんですよね。
福 そのことで言うと、ライブは日本では高いですよね。だから本当はもっとライブに行きたいんだけれども経済的に行けない。いい音楽なら5、6千円とする訳ですけれども、これがもし、LETS-Qでライブ代が払えるようになったら、立花さんが「わしのライブには1万Qの価値があるんじゃ。」と言ったら、ほんまに好きな人は、1万Qの黒字がなくても、Qには赤字発行権があるので、ポーンと払えるわけですよね。「ほんまに僕はこれが好きだ、」というものをお財布から"投票"出来るということがあります。さらにQの世界には"投げQ"というのもあって、千円で見てほんまによかったら8,000Q上乗せ、っていうのが出来るんですよね。だからそういう"批評"が出来るんです――Qを払うという行為で。そういう可能性はありますよね。
立 そうですね、僕なんかは端的に言うと、いただいたQでお米が買えればいい訳です。Qで生活できる可能性というのはそういうところにかかっていると思いますね。
福 そこにQなどのLETSがからんでいければ赤字発行ができるとか、資金調達の方法や〈協同組合〉も絡んでくるんですけれども、えー、ほぼ時間になってしまいました。盛り上がってきたんですけれどもね。いやこれ、あと一時間くらい欲しかったですね。
内 いや、一時間では足りへんと思うわ(笑)。一つ言わせて下さい。あのね、一番大きな問題は、音楽だけじゃなく、絵画にしろ、何にしろ、そういうものを、例えばこれがいいとか悪いとかいう判断を、みんな出来ないことなんですよ。判断基準を個人が持っていないんですよ。そういう様な社会に変えちゃったんですよ。結局、商業的なものとそうじゃないものとが完璧に分かれてしまうというのはそういうことで、結局みんな踊らされているわけだけれども、そういうことによって受け身的にしか、もう捉えられなくなっている。だから、こういうQが始まって、すごい沢山の人が皆加入すればそれは面白いと思うけれども、例えばQに入って、CD買おうと思って何が買えるのかな、ってみて、こんだけしかなかったら、その中でしか選べない訳でしょ。それでは本当に自分の欲しかったものかどうか分からない。だから、こういう芸術――芸術って言葉は好きじゃないけれども、そういうものと、地域通貨との兼ね合いをどういう風にするのか、ってすごい大きなポイントだと思うんですよ。かなり大変なことだと思いますね。
福 だから内橋さん、Qに入って下さいよ(笑)。
立 だから僕が今日内橋さんを呼んだ訳で・・・
内 だから選択肢が一杯ないと絶対ダメなんですよ。
福 それはそうですよね。
すみません、もう時間です。いろんな分野でアーティストがやりたい事やってもらうためにも僕達が対抗市場――〈カウンターマーケット構想〉って言うんですけれども――まずお米などの衣食住が賄えなければアーティストや障害のあるひとたちが入っても余り意味が無い・・・・ですから、ここにお集りの皆さん、みんなでぜひ対抗市場に御参加下さい!
――ということで、シンポジウムの方はここで終りにしたいと思います。ありがとうございました。 (拍手)