全てから脱同一化する

私たちはいろいろなアイデンティティーをもっている。
性別、職業、年齢などなど・・。それら全てから脱同一化するのが真我への道だ。
覚醒と呼ばれたり、悟りと呼ばれたりしている。
その先にあるのは空と呼ばれる意識であろう。

私は幸いなことに、体の性別という幻想からはすぐに脱同一化することができた。
一般的な言葉でいえば、トランスジェンダーということである。
気づきのための状態であり、きっかけに過ぎなかったと考えている。
そしてこの性別というものが、男女共同参画社会に向けての課題でもあるように、すべての存在に関係する大きな学びである。

男らしさや女らしさはつくられたものであり、時代によっても変化し、非常にあいまいなものである。
しかしながら、その曖昧模糊なものに、たくさんの人が囚われていて、それは親世代から子世代へと受け継がれていく。。
なぜ無意識的にらしさの性を押しつけるのだろうか?
それがどういうものか、それは正しいのか、一旦立ち止まって考えないのはなぜだろうか。
人権啓発映画はそういった無意識を表現している。
トランスジェンダーの親の葛藤を描いた作品にバースデイというものがあるが、親が子どもに女らしさを押しつけていた。

人間の意識というものは不思議である。
おかしいと考えもせず、それが正しいと思っている。眠っているかのようである。
悟りへ向けてのムーブメントが目覚めと呼ばれるのも、無意識の眠りから目覚めることを指しているからに他ならない。
みんな目覚めて、本当の自分自身を生きようということである。
この本当の自分自身が、全てから脱同一化した、存在としての自分である。

本当の自分自身を生きていれば、他者のあるがままも受け入れることができる。あるがままを生きることができていない人が、偏見や差別意識を持っている。
なぜなら、相手を受け入れれば、自分が揺らいでしまうからである。それで怖いのである。

本当の自分自身は自我を超えた領域にも導いていく。
そこでは過去も未来も同時に今に存在している。
スピリットの領域ではさまざまなものが一つになっていて、二元性は存在しない。
私たちは全てでもある。
さまざまな、バラバラに存在しているアイデンティティーを一つずつ手放していけば、全てから脱同一化していくということであるが、そこには全が存在している。

ただ在るという意識。
そこでは偏見や差別はない。すべてが他を受け入れる、愛である。

真実への道は人権の道でもあり、多様性の道でもある。






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