閑話

よしよし順調に進んでおるな、と思っていたら、ここで想定していなかった伏兵が現れました。
たぶん、既訳ではすごくサラッと自然に訳されていたので、これまでまったく気にとめていなかったんだと思います。こんなこと書いてあったんだっけ、的な。

原文を見てみましょう。

Good-by, Daddy dear,
(I like to call you Daddy dear; it's so alliterative.)

「alliterative」は、「頭韻体の・頭韻を踏んだ」という意味です。
つまり、Daddy dear はどっちも「D」で始まるから韻を踏んでますね、という意味なんですが…こういう言葉遊び系を日本語でも通用させるのは本当に難しいです。谷川俊太郎さんならお得意なのかもしれませんが。(そういえば私、谷川俊太郎さん訳の「あしながおじさん」をまだ読んでいませんでした。読まなきゃ)

私がいつも引き合いに出す松本恵子・訳では

さようなら、おなつかしきおじ様
(私ね、おなつかしきおじ様と書くのが好きですの、ごろがよくて)

でした。
なるほど、「頭韻」をうっすらぼかして「ごろがいい」ということにしたわけで…さすがプロのテクニック、という感じがします。実際に語呂も良いし、大きく逸れてはいないですよね。

ここは本当にいろいろ考えました。まず、「お」で始まる愛情表現の言葉がいまいち見つからない。(「おなつかしき」も強引といえば強引ですからね)
じゃあ、これは頭韻→脚韻におきかえて「ま」あるいは最低でも「ア段」で終わる言葉にしてはどうか…と考えたんですが、これも思いつかない!
「素敵なおじさま」
とか
「親切なおじさま」
とか、「〇〇な」にする手はあったのですが、あまり韻を踏んでいる感じが出ないんですよね。

最終的に「恩人」を持ってくることで収めたんですが…「dear」からはちょっと外れちゃったかな、という、改善の余地のある訳だったと思います。「お」「じ」が入ったので、韻としては悪くないんですが。

私の持っている本だと、本文が132ページなので、残すところあと10ページ強となりました。
最後の一文をどう訳すかが、早くも…いや、むしろ翻訳に取りかかったときからの悩みどころです。ここは本当に大事なところですから、バシッと決めたい!

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