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身勝手の極意

久しぶりに書きました。

今回は私の周囲でもよく話題になる『自分本位で生きること』について。これは私自身にとってもここ数年の関心事であり、今現在も取り組んでいるホットトピックです。

「主体的に生きる」とか、「自分軸で生きる」とか、言い方は様々ありますが、「自己中心」とか「自分勝手」といった似て非なる表現と混同されることもあり、謙虚さや己を慎むということが美徳とされている日本の価値観においては自分本位に生きることはネガティブに捉えられてしまうことも少なくありません。

ですが、この『自分本位で生きる』ということを正しく理解出来れば捉え方が少し変わってくるかもしれません。

自分で言うのもなんですが、私自身はこの『自分本位で生きる』ということについて数年前から意識的に取り組んできており、まだ完全ではないものの、この自分本位の判断軸が少しずつ身体に染みついてきている実感、そして直感的に自分にとってどちらが良いのかを判断できるようになってきている気がしています。(そもそもこの考え方がまったく出来ていない状態では以前投稿したようなキャリアチェンジは起きていなかったかもしれません。)

ちなみにこの実感の根拠として、

①自分が欲しいと思っていたものが手に出来てきている
②以前に比べて自分自身に余裕やゆとりを感じている
③他の人に貢献出来ることが増えている
④迷うことやイライラすることが少なくなった
⑤単純に幸福感が増している

などがあり、これらは自分本位で生きることの副産物の一部であるとも認識しています。

少し話はそれますが、私は鳥山明先生の漫画【ドラゴンボール】が大好きです。一番新しいドラゴンボールシリーズの作品はドラゴンボール超(スーパー)なのですが、その中でおなじみの主人公、孫悟空が使う技?に『身勝手の極意』というものがあります。この『身勝手の極意』とは『頭で考えず、無意識に身体が勝手に判断して相手の攻撃をかわしたり攻撃したりする』というすごい技?というか状態です。

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(画像引用元:https://dragonball-zxk.com/52717.html)

私は別に誰かを攻撃をするつもりはありませんが、私もこの孫悟空の身勝手の極意のように自分にとって必要なものや欲しいものを直感的に判断し選択出来るようになれたら素晴らしいなと思っています。
なので勝手ながら私は『直感に従い自分本位で生きること』を『身勝手の極意』と言っていますw。

ちなみにその習得過程にある状態を作品の中では『身勝手の極意、兆(きざし)』と呼んでおり、私は今自分自身がこの『兆(きざし)』の状態であると勝手に定義しています。つまり、基本的には直感優位で自分本位で生きていられるけれでも、時々頭で考えたり、他人軸で判断してしまうこともあるという未完の状態です。

そんな私は個人的に以下のようなことを意識し生活(修行)しています;

①直感が冴える状態を常つため、自分を心身を満たす時間を大事にしている
②判断軸を明確にするための内省(セルフコーチング)時間を確保する
③自分事と他人事を切り分ける
④あまり頑張らない(疲れることはやらないし疲れたらやめる)
⑤やった方が良いことはやらずにやりたいことやる

一見すると「この人身勝手で危うい…」と思われてしまうような表現ですよねw
ですが私は自分本位で生き、自分自身を磨き、満たしていくことが最終的には利他に繋がると信じています。

人に対しての説明も上手に出来るようになりたいとロジックを強化するため、今は最近完訳版が出たトマス・J・レナードさんの『Selfish』という本を読んでいます。

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元々のタイトルは『THE PORTABLE COACH』、現在は改題されて『THE 28 LAWS OF ATTRACTION』となっています。原著が発刊されたのはなんと1998年で20年以上も前になりますがその内容は非常におもしろく、現在でも通じる考え方、いや、むしろこれからの時代にますます必要になるであろう考え方が書かれていると思います。

本の中では英題にもある『魅力の法則』という28の法則がSelfishに生きるための28のステップとして書かれています。
その第1章がなかなかキャッチーな『信じられないくらいセルフィッシュになれ!』というものであり、日本版のタイトル『Selfish』の由来にもなっています。

今回はその第1章を読んで共感できるところやポイントだと感じた部分を3つだけご紹介したいと思います。

『自身』と『自身の役割』を切り分ける

私はコーチングや起業支援の仕事をしていて「自分のやりたいことがわからない」という方に多く出会います。これは以前の私もそうでした。

以下は私見ですが、なぜこのような状態が創られてしまうかというと、ひとつはまさに今回のテーマでもある、自分本位ではなく他人本位で生きてきてしまったことの結果であると考えています。

自分自身の欲求ではなく、他人の欲求や要望を満たすことで自分という存在を確認してきた人は進むべき道や選択肢を人から与えられてきていたので、自分の内側から答えを見つけ出すということにまったく慣れていないのです。

もうひとつは多くの職業人が『ひとりの人間としての自分』と『肩書きの付いた自分(自分の役割)』を混同してしまっているということにあると思います。

学校の先生をひとつの例に挙げます。(誤解のないようにあえて言いますが、あくまで理解を容易にするための具体例であり、学校の先生は皆こんな風であるとか、特定の誰かを想像してお話しているわけではないことをご理解ください。)

『先生としての意見』と『個人としての意見』は本来異なっても良いものであるはずなのに先生としての自分がひとりの人間としての個性を乗っ取ってしまい、口を開けば規則や教科書に書いてあることばかりが出てきて、正解か不正解かの判断しかできなくなる、その結果として生徒に対していわゆる『べき論』で向き合ってしまい、生徒の背景や状況を考えず『べき論』に従わない相手やルールの枠に収まらないに人に対してストレスを感じて苦しくなってしまったり、その生徒からも「あの先生の話は聴きたくない」と信頼や求心力を失ってしまうこともあります。

Selfishの法則は『魅力の法則』と表現されていますが、『自分(の考え)がある』いうことは人にとって魅力的に映り、人の心を理屈抜きに惹きつけるものです。多くの人の前に立つような仕事をし、影響力がある人ほど立場や肩書き以上に自分を大事にしてひとりの人間として相手に向き合って欲しいと感じます。

Selfishになればなるほど人に対して寛大になれる

人のために何かをすることは良いことだと思います。ですが、それが「自分のために動く自分」なのか、あるいは「他者に尽くしている自分」なのか、その考えの持ち方によってその影響や結果には大きな差が生まれかねないと思います。

後者のように行為の方向性が他人である場合は「尽くす」という行為が「尽くしてあげている」に変換されてしまうことがあります。そうなると人に尽くしてあげている自分を成り立たせるために相手の反応をコントロールしようとしてしまい、最終的にはその人のエゴを満たすために相手が付き合ってあげているという状態に成り代わり、元々の行為がいわゆる『重たい親切』となってしまいます。

最終的には「自分自身のため」であることを自覚している人の行為は無理がなく、親切を受け取る側にとっても心地よく気軽に受け取りやすいものだと感じます。そもそも自分のためにやっているのでそこにある精神的な負担は軽く、結果的に相手が感謝しようがしまいが、相手が最終的にどのような選択をしようが良い意味で関係無いことになるのです。

しかし、その自覚がない状態で「あなたのために」が強い状態だとどうしても相手から見返りを求めてしまったり、期待通りの反応や結果が得られなくなってしまった時のストレス反動が大きく、最終的には「あなたのために頑張った」から「あなたのせいで嫌な気分になった」に代わってしまいます。これでは誰も幸せではありません。

この関係や状態は主に家族の中の関係、夫婦間や親子の間で生じているように感じます。いわゆる「あなた(夫や妻)のために」「我が子のために」です。

本当は自分のためにやっていることに本人は気が付かず、そもそも相手が求めていないことを勝手に良かれと思って行い、期待通りの結果が得られないと怒る。

これがエスカレートしていくと「あなたのせいで◯◯ができない」「子どもがいるから◯◯できない」と自分が思う通りに振る舞えないことの言い訳を家族のせいにしはじめます。これが他人軸で生きている人(責任の所在を自分以外のどこかに求める人)のひとつの例であり、家庭内の様々な問題の根底にある考え方のひとつであると感じます。

『自分という人間を自覚して人に伝える』

これを実践するためにはまず「自分がどんな人間で、何を求めているか、どうなりたいのか、自分の価値観(大切にしていることや考え方)はどんなことで、自分の許容範囲(境界線)はどこか』を知る必要があります。これは簡単なようでなかなか難しくコツの要る作業です。

ですが、これができるようになると自分自身の環境は一変し、ものすごく楽に生きられるようになります。人は常に他者との関係の中で生きており、アドラーの心理学でも大概の問題も突き詰めると人間関係に起因していると言われています。

自分と向き合っている相手、関わっている人が何を求めている人であるかを知るということは人を安心させ、とても楽にしてくれます。ですが、多くの日本人は自分の気持ちを相手にはっきりと伝えることに臆病であり、それが衝突を生んでしまうのではと考えています。その結果、出来もしないのに相手の気持ちを汲もうとしたり、勝手に推測したりして判断します。(きっとあの人はこう思っているに違いない…)みたいな感じです。『察する』ということも日本では美徳とされますが、実はこちらの方がすれ違いや衝突を生んでしまうケースもあるのではないかと私は考えています。

また、自分の希望や許容範囲を相手に伝える(嫌だ、出来ないと言う)ことで自然と自分が欲しいものが集まってきたり、自分の嫌なことは自分から離れていきます。私は自分を明確にし、表現することは相手から自分への期待を適切にコントロールすることにもなっていると思います。

さらにこの考え方は子育てにも応用出来ると考えています。つまり、親である自分が自分を明確にし、子どもに伝えていくことで、子どもは親の在り方や境界線を知り、親に頼らず、自分で自分を満たす方法を考えはじめます。また、親の役割と自分の役割を子どもなりに認識し、自分で考えて工夫し行動することや、人がやってくれた行為に対する感謝が自然とできるようになるのです。つまりは子どもの自立が進むというわけです。

ポイントまとめ;
1 『自身』と『自身の役割』を切り分ける
2 Selfishになればなるほど人に対して寛大になれる
 自分という人間を自覚して人に伝える

今回は大きく3つのポイントを取り上げてお話しましたが、『身勝手の極意(直感に従って自分本位で生きる)』の第一歩は『自分を知ること』だと思います。

先ほどお伝えしたように『自分を知る』ということは簡単な様でなかなかコツの要る作業であり、自分ひとりの力で答えにたどり着くのは容易ではありません。私自身も時折コーチングを受けて自分自身の現在地を確認しています。もし今回の記事に共感したり、興味を持ってくださった方は今月オンラインで何度か『自分を生きる』というテーマでお話する機会を設けているので、良かったら遊びに来てください。

https://peatix.com/event/2382138/view

皆さんが新しい自分と出会い、自分らしく幸せに生きるためのきっかけやヒントをご提供できれば幸いです。




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