決めることが大事だと思った話
2024年8月、非常に不安定な時代だと感じる。
GoogleがTransformerを発明してからAIが吸収できる知識の量が増え、LLMは大多数の人間よりはまともなロジックを積み上げられるようになってしまい、画像生成AIは許可なくクリエイターの作品を学習して人類からの批判を浴びている。ロシアがウクライナに侵攻してからかなりの時間が経つが収束のきっかけは見えず、台湾侵攻の気配も消えない。地球温暖化の影響は顕著に出始め、とにかく暑いし台風も強い。
少し前の時代と比べて違うのは、取得可能な情報量。研究の一分野に絞ったとしても、例えばロボットの認識、に絞ったとしても、毎年トップカンファレンスにアクセプトされる論文でもに1000を超えるので、全てを精読して完璧に理解するのは不可能といっていい。
ここで重要なのは、おそらく誰もマクロかつミクロに時代の動きを把握できている人はいない。まじでひとりもいないのではないかということ。なのに、対処しなければ人類が不幸になる問題は山積みで、何かはしないといけない。
つまり、確度の高いロジックを積み上げてから意思決定をすることの難易度が高すぎる時代なのだ。デカルトが「我思う故に我あり」だけは正しいよね!そこからロジック組み立てようぜ!みたいなことを言ったけど、そういう確実に正しいことだけでロジックを組み立てれば安心はできるんだけど、それが無理。もうむり。
で、この時代を幸福に生きるために必要なのは、誹謗中傷を気にしないことと、堂々としてることだと思う。
ロジックが組み立てられない以上、意思決定をした際には反論の余地が残る。それも今の時代は大きく残る。会社で偉い人が方針を決めたとして、下っ端がそれに文句をいうのは超簡単っていうこと。
で、SNSでもなんでも同じなんだけど、意思決定をすること・言い切ることは、少なからず誹謗中傷を受ける可能性を孕む。これを気にしてたらまじで何もできない。
そして、もうそういう世界では民主主義の弱点みたいな話になるけど、堂々としてる奴に縋りたくなってくる。なんだかわからないけど、なんか背筋が伸びてて堂々と言い切る人に頼りたい。本当にあってるかもしれないし、責任は逃れられるし、そういう人の近くにいたい。大体みんなそう思う。
だから、誹謗中傷はされて当たり前。自分はしないけど、されても気にしない。そして意思決定をもう堂々としちゃう。どうせ正解わからんし。っていうメンタルが大事なんだろうな、と思う。