長崎電気軌道 151号 さよなら運行 乗車ミニミニレポート(2019年3月)
先日、長崎電気軌道で2019年まで運行されていた151号電車が、故郷の一つである神奈川県小田原市に帰郷しました。この帰郷は151号の引退後、長崎電気軌道が無償で譲渡先を募ったところ、かつて151号(当時はモハ202号)が活躍していた箱根登山鉄道・小田原市内線(1956年廃止)が走っていた小田原市の団体が手を挙げ、現地への運送費用や展示に係る費用をクラウドファンディングで募り無事達成。晴れて実現しました。
この151号ですが、引退した2019年3月9日に午前・午後の2往復、計4便で事前予約制の「さよなら運行」が行われています。私も151号は乗るどころか動く姿を見るのも難しい電車に確実に乗れる機会ということもあり、予約開始直後に午前の往路便(浦上車庫→蛍茶屋)を予約。実際に乗車することになりました。ここでは、当時の様子を今更ながらレポートしてみることにします。
2019年3月9日、まだまだ肌寒い土曜日の朝、事前に案内された時間よりも早めに浦上車庫の入り口に向かうと、既に何人かの先客が並んでいました。ここ浦上車庫初の午前の往路便を含む各便の定員は30名。社員さんによる名簿と照らし合わせた確認を経て、車庫の裏口から構内に入りいよいよ151号に乗り込みます。
乗車から発車までは10分程度時間が空いていたので、車内をまじまじと観察。運転台の背後から浦上車庫電停を望むと数人の鉄道ファンの方がいらっしゃいました。
10:00ちょっと前に浦上車庫を出発、電車は一路3系統の経路(桜町経由)で蛍茶屋へ向かいます。沿線にも鉄道ファンの姿がチラホラ。信号停車中に車内もっと観察したかったんですが、テレビ局のカメラクルー達も同行していたので敢え無く断念(お仕事だから仕方がないか…)
信号停車と電停での一時停止を繰り返しながら、電車は銭座町付近に。すると床下からエアーの漏れる音と、運転台のランプが赤く点灯し何やらブザーが。一瞬「このまま運転中止か?」と焦りましたが、どうやら砂撒き装置のスイッチが入っていたとか、そういう事だったようでホッとしました。
長崎駅前から分岐を左折し、桜町-市民会館の立体交差と駐車場でトンネルのようになっている区間を走行しますが、白熱球の灯りが見事で思わず一枚。家庭でも白熱球を見なくなって久しいですね…。
市民会館(公会堂前)から左折、諏訪神社までの直線区間は信号につかまりさえしなければそこそこのスピードが出る区間。気持ちの良いモーターの音を響かせながら走ります。
諏訪神社(前)を右折し、いよいよラストスパート。この辺から終点・蛍茶屋までは勾配が続く区間。151号も鈍いモーター音を響かせながら、ゆっくりと登っていきます。
10:30、無事蛍茶屋に到着しました。到着後すぐに降車しましたが、決して広くない蛍茶屋電停は復路便の乗客やギャラリーで大混雑(電停での撮影は禁止されていたはずでしたが…)。とりあえず横断歩道を渡って日差しを浴びる151号を撮影。後ろ(前方だけど)に停車中の202形208号は1950年の製造で、1925年生まれの151号よりも若いものの、151号の長崎入線は1956年なので長崎電気軌道では後輩。なんとも複雑です。
そうこうしているうちに208号が出発したので前照灯を灯らせた151号もついでに撮影。2018年頃から旧型車の前照灯もLED化が進む中、ハロゲン灯どころか白熱電球(のはず)で残った151号は貴重な存在です。
出発まで時間があるのでまだまだ観察。低床化されたものの車体の割には高い屋根が特徴的な151号。真横から見たり、他車と比べるとその特徴がよくわかります。数分後、151号は浦上車庫へ向けて走り去って行きました。
その復路便は2系統での運転で、最初は浜町あたりで撮影しようかと画策していましたが、その辺は恐らく同業者がすでに場所を抑えているでしょうし、人ごみの中で他人と同じ写真を撮っても何も面白くないと思い計画変更。専用軌道で遮るもののがなく、同業者も少ないであろう大橋に。
案の定、大橋は同業者はおろかお客さんもいない貸切状態。電停には翌月(2019年4月)からの運賃値上げを告知する看板が。しばらくすると浦上方面から前照灯を輝かせて151号がやって来ました。水色と黄色のツートンは遠距離からも目立ちます。
ここで反対側の電停に回り撮影を試みるも広角寄りのズーム(35㎜換算20-30㎜)でちょっと間延びした画に。まぁ蛍茶屋でたくさん撮ったしこれでいいか。電車は一時停止ののち走り去って行きました。午後の復路便も撮ろうか悩みましたが、色々と面倒くさくなったので撤収。撮影はあまりできませんでしたが最後に貴重な乗車体験ができたので満足です。
以上が2年前の151号「さよなら運行」のミニミニレポートでした。この後30日にも同時に引退する元都電の701号、そして仙台市電の1051号の3両のさよなら運転もあったのですが、それはまた日を改めてレポートしたいと思います。
最後になりましたが、このような貴重な機会を設けてくださった長崎電気軌道関係者の皆様、本当にありがとうございました。そして小田原市で保存される151号の余生が幸あることを祈ります。