吉田美奈子さん「昭和ちゃんねる」ゲスト出演
2020.10.09
神泉町にあるUSENのオフィス内で吉田美奈子さんがパーソナリティを務められている「昭和ちゃんねる」12月放送分のゲストにお招き頂いてトーク部分の収録をして来ました。
尊敬する美奈子さんとは、10年前にやっとリアルに出会えてそれ以来プライベートな交流をキープさせて頂いております。最初に、このような大役を賜りわたしの音楽史の記念日となった思いもあります。さて、、、その内容は来る12月のオンエアでわかりますが、相当端折ってのやり取りになっているので収録で収まらなかった事も含めてこの際書いておこうとnoteを開いています。
4時間番組だそうで、2週間ほど前に台本なる物も送られて来て予習もしてみた。番組のタイトルにも含まれるキーワードの昭和、改めて昭和の子供は?とか学校は?昭和の東京は?あなたにとって昭和は...などなど問われても西暦と擦り合わせてどこまで具体的に記憶があるか自問自答。ほぼ、流して生きてきたためにもう一度調べないと!となった。
スタートから、どんな子供だった?にもすんなりとこんな子でした!とも言えず、まぁ煮え切らない回答しか出ないじゃないか。
小学生時代よく聴いた曲、中学生時代のヒット曲、バンドは?
何もない。なくもないけど漠然と。
なんとか、記憶を辿り一、二曲ずつくらいしか思い出せないし、多分情報が乏しかった?上の兄弟がいない家庭環境は大きいかも知れない。こんな薄めの歴史でどこから音楽で生活したいと思い始めたか、それは高2。明確です。
が、それまでほぼ洋楽も知らず、また洋楽のみならず歌謡曲だって知ってる曲はあるけどアタマから自分で歌おうと思った試しもないため、歌詞を記憶出来てない。小4か小5くらいに同級生が、スタ誕みたいな番組出演に応募するというので付き添いを頼まれて予選会場に同行した際、そちらのお友達もぜひ!と審査員風大人に誘われ断れず、しかしながらでは何を歌われますか?と聞かれ歌える流行歌、持ち歌がないことに気づき「線路は続くよどこまでも」を歌ったくらいだ。
この子に声はかけなくて良かったな...そんな空気を読まずにはいられなかった。
と、まあこんな調子で人前で何か披露するということは思いもやらぬものだった。それから中学生高校生と環境の変化などに多少の衝撃を受け躱しながらも音楽好きなはずなのに相反して知識を得る環境には至らず。そんな高2の時、同級生から誘われたYAMAHAのポピュラーソングコンテストの応募。その女子と2人で適当に詩曲を作り2人ともピアノを弾き、友達がメインボーカルでわたしは所々ハモるというそんなUNITだった。オリジナルはコンテスト用の一曲だけ。二台のアコピはどうか、というYAMAHAからのアドバイスだったと思うが生まれて初めてFender Rhodesを弾く。楽器との出会いはとても良かった。
同級生からはキャロルキングのタペストリーを借りて沢山聴いた。LPレコードとの出会い。他には何があったかな。ロバータフラックも少し聴いた。多分この時はそれくらい。
だけど歌う事はどうかというと全く興味も湧かなければ返って自分の性に合ってないだろうと思えた。コンテストは地方大会(当時親の転勤先の福岡)の途中で曲の構成の悪さのせいで落ちることになり、別の曲なら先に進めることもありだとYAMAHAの方からアドバイスを受けるも折れる気持ちもなくてそのまま予選落ち。今思えば、やっぱり大人が引き上げるという事は当然のようにありありのありすちゃん♪だったんだということのようだ。
そして、予選落ちしたから終わったかと言うとそうではなかった。YAMAHAではなくて何社からか音楽の道をご用意しましょうか、的な?!的な話しがあったんだろう。UNITのお友達は新学期から突然学校へは来なくなりデビューへの道を進まれたのです。一方...
本当につまらない、最悪の高校に残っているわたし。そもそも、入学式で愕然とし一刻も早く、と言っても3年は変わらないけど目を閉じてこの時をやり過ごそう!と心に誓ったわたしだったのに目の前で一抜けた人が現れ、いや、消えてしまったので目を閉じてやり過ごす筈の気持ちはここで崩れ始めた。
つづく
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