なぜ裁判をするのか、誰のために調停をするのか。
私が争っているのは、「子供はどこの国に住んでいたのか?」という事実認定をする裁判であるが、この裁判を始めた夫の目的は、親権です。日本で男親が親権を取るためのは、難しいことだと言われています。母親がずっと一緒に住んでおらず、育児をしていないとか、「監護権を放置している」とみなされる必要があるんですが、私の場合はどちらでもなく、日本は単独親権のため、このまま離婚手続きを進めると私が親権者に。争いの場を、片親制度の日本ではなく、共同親権制度のあるA国に変えよう、というのが、夫の思惑です。
本来こういった裁判で裁判官が見るのは「子供のために、どちらの国で暮らすべきか」といった点であります。
調停においては、もちろん両親も「子供のために、話合いをする」ことが求められます。調停においては、基本的に双方間の話し合いの結果がどんな決定であっても受け入れがなされます。弁護士が入り、相手の要望が法律上可能なものかのアドバイスはしますが、あくまで双方間にとって合意のいくものであれば、裁判は取りやめとなり、調停での決定が優先されます。
ちなみに、ハーグ事件での裁判は家庭裁判所での法廷のため、非公開となっています。裁判官三名と、調査官が同席していました。子供が16歳になると、子供も同席するようですが、私の場合は未成年者の同席はなし。
ハーグ事件においては最低4回の調停日程が組まれます。日によっては10−17時と、終日組まれていました。
申立人の弁護士が、もう少しでも、親がどうしたいかではなく、子供のためにどうするか、に焦点を当ててくれていれば、決裂することなく、調停にて、落とし所をつけて和解することができたのではないかと思います。そう思う理由は一連の手続きの中での、弁護士から調停員や私への態度を見て、のことです。
第一回調停にて、調停員の案に納得がいかず、挨拶もせず部屋から出て行ってしまったという申立人弁護士。これは、子との面会についての会話だったそうです。調停は、申立人・調停員、相手方・調停員、と交代で調停室に入って話をするため、私はその場にいたわけではありません。担当長定員の方も、長い仕事人生の中で、調停中に啖呵を切って出て行ってしまうのは今回が初めてとのことでした。
また、法廷にて、申立人の弁護士は、私に質問を投げかけ、私が回答すると、回答の途中で「もう結構です」と遮ったり、「あなたそんなことわからなかったんですか?」という発言もありました。
第二回目において、お互い再反論、釈明の答え、陳述を行い、質疑応答、追加書面提出が行われます。全て調書に残る(録音と、メモがされています)。その後、審判日が決まりますが、大体第二回目から10日後とかそのくらいのスケジュールで、本当に早いです。
この一連の裁判を通じて感じたのは、申立人は、自分が、日本の法律に勝つために裁判をしており、弁護士も、制度に物申す、的な姿勢であり、子のためを考えた判断というのが、できなくなってきているということです。
現に私からは、申立人がA国に戻る予定があるということであれば、1ヶ月ないしは2ヶ月に一回、1週間などのペースで子供と面会する機会を作るといったことや、私がA国に行かなければならないとなった場合、生活コストを全て負担してもらえるなら可能である、といった話もしています。が、調停において、向こうから妥協案は全く出てこず、こちらの提案も全て拒否でした。
なんのための裁判なのか。妻をギャフンと言わせることが目的なら、こんな茶番はやめましょう。ギャフン。もういいじゃないですか。