UCI Cycling World Championships 所感
UCI 自転車世界選手権7日目、男子ケイリンに出場した中野慎詞選手が銅メダルを獲得しました! この結果日本の獲得メダルは男子エリート銀メダル1個・銅メダル2個、女子エリート銅メダル1個、男子パラ銀メダル2個・銅メダル1個、女子パラ金メダル2個と合計9個のメダル獲得となりました。オリンピック・パラリンピック前最後の世界選手権でこの活躍はパリオリンピックでの活躍を期待させてくれます。
一方これまで順調に強化が進みネイションズカップ、アジア選手権等で活躍してきたいくつかの種目は今回の世界選手権で苦戦を強いられた事も事実です。
日本はオリンピックの出場枠を獲得するために力を注いでいますが、ヨーロッパなどの強豪国はネイションズカップは代表選考の様な位置づけで、複数の代表候補選手が競いつつ更に強化を高めて行きます。世界選手権はその強化の過程を確認する大会と位置づけていて、ネイションズカップなどとは比較にならない程仕上げてきます。オリンピックではそれを更に上廻るほどの仕上がりを見せるので世界記録が続出し、より激しいレースが繰り広げられる事になります。
オリンピックが肥大化し各競技ごとの参加者数が制限されるようになってから、以前の日本チームはオリンピックに出場することが最大の目標になっていました。
東京オリンピックを機に本格的な強化のため、トラックチームは伊豆に強化拠点を設け世界基準の強化に取り組んで来ています。その結果が現在の世界での立ち位置(戦える位置)に繋がってきています。パリオリンピックに向けたポイント争いは今大会で今シーズンは終了です。また来シーズンに向けての準備が始まります。
日本チームには今大会の結果を踏まえて更に飛躍してくれることを願っています!!
少し話は変わります。(独り言なので読み流してください。)
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、私は昨年までジュニアトラックの強化に携わってきました。始めて強化に携わった頃は世界で戦えるチームを作ることを目標にして国内の有望な選手を招聘して強化合宿を繰り返し、アジアでは優勝を争える選手を多数輩出する事が出来ました。しかし世界に行くと格段に上がった競技レベルの前に苦戦を強いられます。そんなか一筋の光を見せてくれたのが今回参加していた内野艶和選手のポイントレースでの優勝です。参加して精一杯だった日本チームも十分に戦えることを証明してくれました。
その後コロナ感染症の影響で国際大会参加はおろか国内強化合宿すらままならない時期もありましたが、徐々に活動を再開出来るようになり昨年はアジア選手権、ジュニア世界選手権にも派遣する事が出来ました。日本同様各国もコロナ禍で強化が思うように行かなかった所も多かったとは思いますが、アジア選手権では出場した全ての種目でメダルを獲得しアジアレコードも記録することが出来ました。
そして満を持して出場したジュニア世界選手権。自信を持って送り出した選手達は遺憾なく力を発揮してくれて銀メダル1つ、銅メダル2つ獲得と、世界の舞台にしっかりと足跡を残してくれました。
しかしコーチとして私は素直に喜べませんでした。中距離担当の私としては女子チームパーシュートで日本記録・アジア記録を更新しメダルを獲得することを最大の目標としていたからです。これまで国際大会では殆どリザルトを残せていなかった日本チームですが、過去にはジュニア女子中距離黄金世代と言われた2015年のチームは同種目で3位に入った事もあります。その時の選手が後にエリートに上がっても国内外で活躍し、昨年まで残っていた日本記録はその世代の選手が中心となって作り上げた物です。日本チームを強くするための試金石としてその時の記録を塗り替え、さらには銀メダル以上の成績を残すことを目標に強化に取り組んできました。
事前の強化合宿では4kmTPで4分31秒まで記録することができ、本番では20秒台を視野にいれられる所まで来ていたと思います。実際には大会の行われるイスラエルは伊豆に比べ気象条件が悪く3~4秒は低下することを前提にプランを作っていましたが。
大会初日に行われた予選では、予測していた通りベストからやや落として4分34秒で2位で通過。1st Roundで対戦するイタリアチームとは4秒以上のタイム差があり十分戦える手応えがありました。1st Round で日本チームは更にタイムを上げ4分33秒台に。しかしイタリアチームは予選タイムより8秒以上上げてきたのです。正直完敗でした。3-4位決定戦に廻りドイツチームと対戦しましたが、ここでも同様にドイツチームは序盤から日本チームを上廻るペースで飛ばし予選と比較すると12秒近くタイムを短縮してきました。この時初めて世界で戦う事の本当の厳しさを実感したのだと思います。2日目以降選手の頑張りで3つのメダルを獲得出来ましたが、コーチとしては自身の不甲斐なさが頭から離れることはありませんでした。
記録上では世界の舞台に上がれるところまで来たとは思います。しかしスタートリストには載れてもリザルトに載るにはまだ時間が必要だと感じました。世界で戦えるチームを作るためには今のままでは届かない。もっと沢山の人の協力と強い思いが集まらなければ。その為には1つの所に留まって人が集まってくるのを待っていたのではなし得ないと感じナショナルチームを離れることを決意しました。
いまこうしてnoteで発信したり、全国各地のチームの強化現場を情報提供をしながら歩いているのは、「いま私が手にしている情報を1人でも多くの競技関係者と共有し、日本全体の競技力向上に繋がれば」との思いからです。全国各地の競技に携わる人達と協力しながら次世代の選手を育て、その選手達の成長の先に世界の扉が開けると信じて。