愛を語ってドルを稼ぐ事。
ある歌を歌う方とお話をさせて頂く機会があった。作詞作曲もされていて、有名なアーティストにも楽曲提供の経験がある実績のある方だ。
私は文章や会話が苦手だ。note書いて小難しい事を言ってるが実は苦手。なので文章を作るコツを教えて頂いた。
変換力。これが大事だと仰った。
その方は作詞をされるので、直接的な物は好まない。ほとんどの人が経験あるような現象をいかに直接的な言葉を使わずに表現するか、この変換力が重要だと。
この変換力がすば抜けているのが秋元康だとも言っていた。
「桜の花は あの日の栞」
この情景はきっと誰もが同じような状況を想像していると思う。前後の歌詞を聞き自分の経験から似た状況を結び付け、それぞれの思い出とリンクし、この曲が心に残る。
この誰もがパッと浮かぶ情景、けれど直接的な言葉は決して使っていないこのバランスがとにかく天才的だとその方は仰っていた。
そう言われてみれば日常では何とも味気のない会話をしている自分に気が付いた。その方とお話をする時は凄く楽しい。思い返せば、私のレベルに合わせて会話をしてくれてたんだなと思う。
この方の歌には確かな価値があるしメロディラインもコードも珍しい物で本当に美しい。
いかにして愛を語るか、愛という表現は避けるか。
これで稼ぐのだから本当に尊敬して止まない。
私は伝える事が最重要事項だと思っていたがそんな事は一丁目一番地の話な訳でコミュニケーションとして最下層。それで満足していた自分が辛くなったし、消えたくなった。
それくらい自分の使う言葉や単語や文章にはコンプレックスに塗れている。
椎名林檎の歌詞に共鳴できない同級生を見下していた私は、立場が世間と逆転している事を今更ながらに知る。
変換力。
無駄に使いこなせても伝わらなければ意味がない。いいお話が聞けたと凄く学びになった初夏の雨の夜。
なぜか周りに言葉を使う事を生業とされてる方が近くにたくさんいて下さってるのは、私自身が言葉によるコンプレックスで何度も自滅しているからかもしれない。