男で空いた穴は男で塞ぐしかない
何かを期待して人は寄ってくる。それが何かは千差万別だが寄ってこられた側に実益はない事が多い。
失恋した時の対処法は人それぞれ。趣味や仕事に没頭し逃避するタイプか、堕ちる所まで堕ちて自分と向き合い何がいけなかったのかを思考するタイプ。私は俄然、逃避タイプだ。
もう15年の付き合いになる男友達がいる。心の支えと言っても過言ではない古くからの友人だ。出会いは学生時代の先輩がバイト先で出会った友人(もはや他人)。この方がまた途轍もなく特殊な方で(有名人ではない)あまり詳細を書くと身バレしそうなほど特殊なのだけれど、私はとにかく、ネジが飛んでるどころか残り1、2本をギリギリ残し何とか人間を保っているこの友人が大好きなのだ。
友人は性癖が倒錯している。映画を見ているような気分で友人の話を聞く。それも甘美な物語ではなく二度と這い上がれないような狭く深く暗い穴の中で起きているような物語が多い。この手の話を聞くたびに私はゾクゾクし好奇心が顔を覗かせる。特殊だよ、いやこの手の話を好き好んで聞くお前も特殊だよと言い合いながらよく話を聞いていた。
20代前半のある時期、私は失恋した。心の支えに癒やしてもらおうと連絡しいつも行くバーで落ち合い、そして何の意味もない会話を楽しんでいた。古くからの友人は勘がいい。私に何かあった事を素早く察知し「今日は非日常を堪能したいよね」と唐突に提案してきた。私は現実社会ではあまり自分の話をしない。恋人ができたと報告はしたが近況報告をした事がない。それなのに私の異変にすぐ気づく彼に、もうこの異質物でいいんじゃないかとすら思った。
その後はお察しの通りベッドインしたのだが、友人の凄い所は私が望む事を望むタイミングで完璧にこなした。ただしこの場に限ってはこの「完璧」の意味合いが一般的なそれとは全く違う。前戯や後戯が完璧だった訳ではない。あまり話した事のない私の性癖を完璧に見破り全てを攻略した。私の分身か?と思うくらい私を理解している。ただしそこに男女としての愛情がない事はセックスの中でも明確に提議されている。稀に見る丁寧なカウンセリングでもあったし私自身を根底から否定するような暴力にも近いものだった。私のために作られた私だけの物語。
その後は何事もなかったかのように接していたが、またしても私はすぐに失恋する。失恋が趣味なのかと思うくらいの頻度で失恋する。この時も正直期待していた。またあんな完璧なセックスで私を癒やしてくれ。そう言わんばかりに呼び出す。当然友人は私の感情に敏感なので、同じ流れになった。
ただ前回と全く違う。詳細はやはり避けるが前回とは別人になっている。だとしても、だとしてもだ。私は前回以上に満足していた。何なんだこのバリエーションの深さは。テクニックや雰囲気作りなどの浅い話ではない。この領域に到達するまで一体どんな経験を積めばいいんだと問い質したくなる。女の私が見習いたいと思うがこれはもう天性の物だと割り切って堪能する側に回る。
こういう事を何年も繰り返しているが、しっかり友人関係が続いている。私が友人に対して男性として惹かれないのは「気が狂っているのに世間から認められた社会的地位のある人間でありその立ち位置にいる事を苦痛に感じず人生を楽しく謳歌している」からだ。私が好きなのは常に苦しんでいる人。楽しそうに生きている友人のパートナーとしては乗れない。
友情と呼ぶには依存が過ぎ、恋と呼ぶには盲目が足りず、執着と呼ぶには粘度が低い。
慈愛と呼ぶには対等が過ぎ、愛と呼ぶには尊敬がない。
こんな関係性を10年以上続けてくれる事に感謝はあるが友人には何のメリットもない。何も起きていない時に友人が誘ってくる事はないし、何より友人は倒錯している。おそらく心が読めていて、私に気分で救いの手を差し伸べてるんだと私は思っている。
私はこの友人がいるから失恋から簡単に立ち直れる。辛いは辛い、ただ毎回違うセックスに心が躍る。泣き疲れて体力は消耗しているはずなのに、生物として最も体力を消費するはずのセックスに挑むため、最低限の分は無意識に残している。搾取と捉えるか与え合いと考えるかは読んで頂いた皆様に判断を委ねる。