這い上がってこいなんて情緒がない。どこまでも一緒に堕ちよう。
noteでも書いたが私は常に苦しみ続けている人が好き。苦しんで助けを求めては掌を返され、またも苦しむ悪循環な人生を送っている人がとにかく好きだ。
そういうタイプの方々と関わっていく事で普通に生きてたら見えない物が見えてくる。
私は所謂メンヘラと呼ばれる男性に圧倒的な人気を誇る事を自負している。ドロドロに甘やかし決して否定せず全てにおいて肯定する聖母マリアのような存在を演じる。最初は恐縮されるが、いずれその甘やかしに慣れていき、私なしでは生きていられなくなってしまう。もちろんセックスでも献身的に奉仕するし、基本的に責められる事を好む男性が非常に多いので、相手が望めば何でも対応してきた。
ここで間違ってはいけないのは、母になってはいけない。お世話をしてあげる訳ではない、あくまで精神的に甘やかすだけなのだ。
さぁ1人では心の問題を乗り越えられない男性の誕生だ。ここからは私のターンと言わんばかりに攻撃の手法を変えていく。手の内を易々と明かす事を良しとはしないが、しばらく経つと自分の言う事を何でも聞いてくれた女が突然、甘やかしてくれなくなってくる。
不安になるよね、そうだよね。
他の女性に移ろうとするも徹底した甘やかしをしてきた私と同じくらいの母性を先天的に持ってる女性はそうそういない。最初からダメ男を創造する意識を持って接してきたのだ。その姿勢は一般的ではないので、同じレベルの女性を探す事はほぼ不可能なのだ。
私はこれをスクラップアンドビルド理論と呼んでいる。
羽田圭介氏著書の書籍からヒントを得た。自立歩行が難しくなってきた「死にたい」とぼやく祖父に対し『そんなに死にたいなら早く死ねるように手助けしよう』とせっせと祖父を甘やかす。しかし母は回復を信じ自分で出来そうな事は手伝わない。祖父は自然と甘やかしてくれる孫の方へ手伝いをお願いするようになる。その間ずっと主人公は筋トレを続け生きていく体力を付ける為に努力していく。祖父を壊し自分を形成する。スクラップアンドビルド。作っては壊し作っては壊しの戦後から現代までの日本を揶揄する言葉として一般的ではあるが、ある一家にもこのように起きている現象である。
甘えさえ、少し離れると縋り付くか、諦める。諦めようとしたとして、そう簡単にはいかなくなってるので結局戻ってくる。さらに甘えさせて私はどんどん相手にとって強固な存在になり相手はどんどん弱体化していく。これで私の理想の「常にもがき苦しんでいる」男性が完成する。成功率はかなり高い。失敗すれば人の心を弄ぼうとした報いがそれなりに返ってくる。それでも私はやめられない。
本当に、本当に書いていて胸糞悪い。しかし理想を追い求めた結果だ。対等?上下関係?そういう事ではない。圧倒的な存在として相手の心に入り込み体の一部になってしまう。共依存関係とはまた違う。元来飽き性なので離れてそれきりならばそれでいいと思う。ただいつでも帰っておいでという姿勢は崩さずにいたい。それが聖母マリアの精神だと思うから。
弱者となった男性は追いつこうともがく。追いつかなくていい、上がってこようとしなくていい。いつも見守ってるからどんどん堕ちていけばいい。一緒に堕ちよう、どこまでも。
ここまでしておいて結婚もしないし相手の人生の責任を取る気もないのだから、ほとほと自分は救いようがないなと思う。辛い人生だ、しかし楽しい。
ここに学びはない。
特殊性癖を持ってしまった自分への戒めと暴力と愛情に感謝して。
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