私が民俗芸能に人生を懸ける理由
みなさん、こんにちは!
「とらでぃっしゅ」代表の片桐です。
実は最近、「とらでぃっしゅ」として様々な活動をしていく中で、上手くいかないことが多くなってきました。
「とらでぃっしゅ」の成長機会や挑戦の証だと思ってありがたく受け止めつつも、私の中の軸がいつの間にかブレてしまうのではないかと思い、改めてここに記します。
「とらでぃっしゅ」としてのnote初投稿がまさかこんな内容になるとは…!
民俗芸能とは
民俗芸能とは、各地域やそこで生きる人々に根付いた、祭りや年中行事などのことを指します。
大抵の人が私のことを”伝統”芸能が好きな人、と解釈するのですが、私が好きなのは”民俗”芸能です。
最後まで読んでいただけば”民俗”という言葉のもつ意味の深さを理解していただけると思うのですが…
あえてここで説明するとするならば、現在日本で広く普及している歌舞伎、狂言、日本舞踊などは私にとっては専門外であるから…といったところでしょうか。
これらは、確実に”伝統”芸能という言葉で括られます。
私は体系化されていない、地域やそこで生きる人々に密着した、小規模なのに熱い想いがたくさん込められている”民俗”芸能を愛しています。
簡単な片桐の自己紹介
年齢:19歳
職業:女子大生
朝ごはん:卵かけご飯 wirh 納豆+ココア
民俗芸能オタク
超フッ軽
民俗芸能を好きになったきっかけ
私が民俗芸能を好きになったきっかけは、愛知県奥三河地方で行われている「花祭」にあります。
祖父母や父の影響で、生まれたその年から参加しています。
私の人生のすぐ隣にはいつも「花祭」があり、常に心の拠り所になってくれています。
「花祭」がなくなったら死んでもいい。
本気でそう思っているくらい、私にとっては人生そのもの、アイデンティティそのものなのです。
その一方で、客観的に「花祭」を眺めてみると、
・少子高齢化が深刻
・後継者が明らかに不足している
・主に口頭伝承
・制度化、体系化されていない
などなど…
あれ…これ本当に10年後も「花祭」続けられる!?
という疑問に気づいてしまったわけです。
そのため、私は少しづつ日本中の民俗芸能について調べ始め、日本中の民俗芸能のほとんどが同じような課題を抱えている事実を知りました。
しかしながら、魅力的な民俗芸能ほどそういった課題を多く抱えているため、取材や調査を重ねているうちに、気が付けば民俗芸能オタクになり…
いつの間にか民俗芸能を愛してやまない、ちょっと変わった女子大生になってしまっていたわけです。
「とらでぃっしゅ」について
そんな民俗芸能オタクの女子大生は、2023年10月24日に「とらでぃっしゅ」という団体を立ち上げました。
~民俗芸能に新たな風を~
〇民俗芸能をもっと身近な存在に!
〇民俗芸能を「保存→進化」させる!
という想いのもと、日々奮闘しています。
全国的に民俗芸能は危機的状況にあるため、実際に手を動かすことが急務となっていると肌で感じ、このような行動に出ました。
口で理想を語るのは誰でも簡単にできます。
しかしながら、実際に動いて課題解決を図らなければ、本当に全国の民俗芸能はあっという間に途絶えていってしまいます。
よそ者のお前に何が分かる!?
女のくせにでしゃばるな!!
民俗芸能は地縁的・血縁的つながりを最重要視していたり、歴史的観点から女性を穢れとして扱ったり、地元の人々のプライドがとても高かったり…
それが民俗芸能特有の魅力であるとも思っているのですが、「とらでぃっしゅ」を立ち上げる際には大きな不安要素となりました。
しかしながら完全に杞憂で…!
たくさんの人が常に助けてくださり、今では「とらでぃっしゅ」を立ち上げて本当に良かったなと心の底から思っています。
お前にだったらうちの民俗芸能を任せられる
とたくさんの地域の方から言ってもらえる存在になる、という目標のもと立ち上げたわけなのですが、「とらでぃっしゅ」を通して私自身がたくさんの地域の方々の優しさやあたたかさに触れ、たくさんの民俗芸能に心を揺さぶられ…
私の方が大切なものを受け取ってばかりです。
いつか必ず皆さんにしっかりと返せるように、日々精進しなければならないなぁと背筋が伸びます。
卒業までに成し遂げたい目標
私には卒業までに成し遂げたい目標があります。
それは愛する地元で起業するということ。
もちろん、日本各地の民俗芸能に貢献できる事業で…!
私の地元は皆様ご想像の通り、ド田舎です。
地元に大学はなく、私自身は高校入学と同時に地元を離れました。
その上、若者たちが働きたいと思える場所はあまり多くなく、進学や就職を機に離れてしまうケースが多いです。
しかしながら、私は地元が大好きすぎて、卒業後は必ず地元に戻ると決めています。
こんなに魅力的な地域の良さを知ってもらえない、理解してもらえない、そんなのもったいなすぎる!
ということで、自分が動くしかないなと思っている次第です。
若者が離れてしまうなら、「ここで働きたい!」と思える会社を作ればいい。
魅力を理解してもらえないなら、「ここ好きかも!」と思ってもらえる場所を作ればいい。
”誰か”じゃなくて”自分”が動かなきゃ何も始まらない。
大好きな地元で少しでも恩返しができるように力を尽くしていきたいです。
それと同時に、民俗芸能の未来も切り開いていきます!
私が民俗芸能に人生を懸ける理由
民俗芸能がもつ歴史的な由緒や宗教的な観念、人々の祈りなど、民俗芸能本来がもつ背景事情は非常に興味深く、必ず後世に伝えていかなければならないものだと確信しています。
その一方で科学技術や医療が発達し、便利になりすぎた現代社会。
数百年前は必死に「五穀豊穣」や「無病息災」、「子孫繁栄」などを神様に祈る必要がありました。
万が一凶作が起きてしまったら?
病気になってしまったら?
息子が生まれなかったら?
孤立した集落の人々は命を懸けて自給自足の日々を生活していました。
そんな中で心の拠り所にできるのは超自然的な存在であったわけです。
一方で現代社会はどうでしょうか?
民俗芸能本来が持つ意味合いが確実に薄れてきている今、なぜ民俗芸能を継承していく必要があるのでしょうか…。
人と人をつなぐ力があるから
これが今の私の回答です。
祭りを執り行うために、定期的に地域の人たちが準備を重ねる
舞を披露するために、親世代の大人たちが子供たちに必死に教える
祭りをきっかけに大切な仲間たちと再会する
1年に一度の祭りを楽しみに、全国各地から祭りファンが集まる
地元を離れたけれど、地域行事のその日だけは地元に帰ってくる
両親が他界し実家すらないけれど、祭りの日だけは地元に帰る
地元に帰れないけれど「今日お祭りかぁ」と地元に想いを馳せる
民俗芸能は、目には見えないけれど、本当に不思議な力をもっています。
民俗芸能は全ての人を平等にします。
一堂に会した人々が心を解き放ち、価値ある時間を共有します。
そして、たくさんの人々の居場所を生み出します。
そこにいる全員が息をのんで熱くなる。
知らない人同士が一緒に肩を組んで歌いあう。
子供たちの成長を地域中の人が祝福する。
自分たちのプライドをぶつけ合って大の大人が涙を流す。
そんな特別な空間、他にありますか?
これ以上熱くなれる場所ってありますか?
ここまで”人間”を感じることってありますか?
コロナの影響で数多くの民俗芸能が中止となったあの数年間。
民俗芸能に携わる全ての人々の生活は、一瞬にしてモノクロになってしまいました。
たった数年中止になるだけで…。
現代社会にとって民俗芸能は必要です。絶対に。
私たちの代で途絶えさせるなんてことは絶対にあってはいけません。
そして何よりそんなことになってしまったら、私が耐えられません。
こんな未熟な私に、できることはほとんどないかもしれません。
私が動いたところで何も変わらないかもしれません。
だとしても、私は私の小さなアクションが大きな変化をもたらすと信じるしかないのです。
伝統があるから、価値があるから、意味があるから…
ここまで書いた通り、民俗芸能を継承していくべき正当な理由はいくらでもあります。
しかしながら、今一度この投稿を読み直してみると
大好きだから
結局のところ、これが「私が民俗芸能に人生を懸ける理由」みたいです。
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