失敗と成功
『失敗したから強くなる』
と、そんなこといったら世の中強い人だらけになる。あくまでこれは素質、センスに過ぎないと私は思う。
負けたらそこからどうやって過程を築いていくか、環境を整えてやっと強くなれるものだと思っている。
負けた→成長ではなく、
負けた→なんで→研究→実践→成長
みんな当たり前だろ。後者に決まってるだろ。と当たり前のように思うと思う。でも実際それについて考えたことはあるか。大人になったからもう無意識にやっているだけではないか。
今の子供世代もこんなこと考えながらやる子は少ないと思う。
しかし、私もこんなことを思っていながら学生時代を思い返すと、周りの人には「あの試合で失敗したから」とか、「あいつに負けたから」とか前文で述べたように失敗したから成長したものだと思い込んでいた。
今日は、このテーマをもとに今、失敗して落ち込んでいる人や、次につなげたいと思っている人に向け、私なりの考えを書いていこうと思う。
高2の試合
私は高校2年の新人戦、大きな失敗をした。
400mハードルという競技で予選、準決勝と調子よく、予選では自己ベストを出すほど自分でも今日は調子がいいと感じていた。シンプルにうれしかった。と同時に調子に乗っていた。
そしていざ決勝。
静まり返った会場、心臓の音がバクバクしていた。
何も考えることなく気が付くと一歩目を出しているほど。
体は無意識に号砲に反応しているのだ。
ただ、その無意識の中、一つだけ感じたことがあった。
「一歩目がいつもと違う」
気が付くともう一台目のハードル、足があっていない。普段なら飛んでいる距離。
完全に意識が戻ったころには、ハードルを飛ばずに止まっていた。
その瞬間、終わった。と思った。10台飛び終えたころにはもちろんビリ。表彰式もあったが、あんなに出たくない式は初めてだった。テントに戻ったら慰めの言葉、があると思いきや先生からひと言。
「お前の試合は、予選から終わってたんだよ」
かなり怒られた。あの時はただ怒られたと思っていた。
今思うと、予選から終わっていたという意味合いには、そこまでの過程をどう過ごした?と言いたかったんだと思う
確かに予選でベストも出たし、決勝もどうせ行けるだろう、何なら次の駒(北信越大会)のことまでも考えていた。先ほども述べたが調子に乗っていたから。
私はそれからがむしゃらに練習した。失敗した原因だけのことを。
なんであの時、失敗したことだけに注意を向けてしまったのか、その環境のことや、決勝までの過ごし方、もっといったら何を食べたか。まで調べるべきだった。
もちろん次の試合では失敗することなくゴールした。その時は強くなった。と思った。でも実際タイムも伸びていない。走るフォームなどもブレブレ。
もしかしたら、ただの奇跡ではなかったか。
もしかしたら、あの時の体調がよかっただけか。
もしかしたらを考えられていなかった。
その失敗にしか目を向けていなかったから。
人間はこのような場面では満足感があると自分に惚れてしまうんだと思う。もちろん私の考え。
その試合に満足し、冬季を迎え、春になり高3になって迎えた試合でまた失敗をした。
今日はここまでに。
また明日適当に書いていこうと思う。
では。
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