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研究者とメディアの狭間で:専門知識と“わかりやすさ”のジレンマ
ある大手のウェブ媒体で執筆する機会をいただきそうになった。
その担当者の方と直接会い話をすることになった。
そのウェブ媒体は業界でも最大手で僕自身にとってもこの媒体で書けるようになることは新しいチャレンジだった。しかし実際には、審査で引っかかった形だった。
この媒体は、研究者や実践家などが特定の社会的イシューを専門的な知見から発信できるプラットホームで、社会的な影響力も業界では非常に大きい。故に、わかりやすい著者像が必要とされるわけだ。
ぼくのペルソナがなぜひっかかったかというと、
・研究者にしては若い
・ジャーナリストやライターというわけでもない
・他の人とイシューが被る
ということが理由だったようだ。
しかし、話をしていくうちにどうやらこの担当者さんがぼくのことをあまり理解してくれてないのではないかという疑惑が湧いてきた。例えば、これから出版することになっている本についても初めて聞いたかのような反応だった。(Amazonにもあがっている)前回会ったときに耳にしていたと思ったのだが。。。そしてブログなどでも書いてあるプロフィールを一目でも読んでいたらわかるようなことも、初耳のような反応がそのあとも続いた。
ぼくはもちろんそのことは知っていただけていると思っていたので、資料も用意せず自分を売り込むための文句も用意していなかった。だから自己紹介も兼ねて始めからぐだぐだと、こういう分野に関わりだしたきっかけや問題意識などを話し始めたのだが、その時点で心がくじける。
「ああこの人は僕に興味がないんだ」
と。
いや興味は「持っている」んだけど、その姿勢が「どうやってこのわかりにくい人の企画案を上司に伝えよう」にしか見えなかったのだ。
ぼくは確かにわかりにくい。なんでスウェーデンの若者参加なのか、それがどのような示唆を日本にもたらすのかそれを研究しているなんて、プロフィール一文で十分なわけがない。ましてや研究をしている身だと、難解な言葉を使う傾向にあり、素人には「????」と取られてしまうのは当然だ。
しかし、だからこそぼくはその担当者さんのような仲介役が必要であった。というか編集者やメディア担当者は、そういう一般人からみたら意味不明そうな人や社会的な事象を「わかりやすく」世に伝えることこそがミッションなのではないか。そういうコーディネートをして「発掘」をすることこそが役割なのではないだろうか。
僕から求めすぎかもしれないし、僕がもっと「わかりやすければいい」のかもしれない。しかしわかりやすさに逃げてはできないこともあるのだ。
終いには、スウェーデンと日本の比較記事を書く際には「それぞれの国の若者をインタビューをして、写真を撮って....」という指導を...。ええ?ぼく、ライターじゃなくてただの研究者なんですけど...。国際比較が一応専門なんですけど...。
何か一緒に仕事をするには、互いにエンパワメントし合う関係であればいいなと思ったミーティングでした。
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Livet Leker 根を張らない生き方
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