見出し画像

土屋昌巳リマスターBOX「Masami Tsuchiya SOLO VOX EPIC YEARS」全曲クロスレビュー(5・終):5thアルバム「TIME PASSENGER」

 いよいよ最終回となりましたボックスセット「Masami Tsuchiya SOLO VOX EPIC YEARS」の全曲クロスレビュー、80年代ラストの5thアルバム「TIME PASSENGER」がテーマです。ようやくここまで来ました。「Life in Mirrors」、「HORIZON」とますます自意識過剰な世界へ深みにはまっていった土屋昌巳でしたが、これまでも隠すことなく自身の音楽要素に取り入れていた中近東〜アラビア圏のテイストをさらに昇華した集大成的作品のこのアルバム、今回も@junnoviさんとのクロスレビュー&トークスタイルとなります。それではお楽しみに。

◆5th「TIME PASSENGER」(1989)

〜オープニング〜

@tpopsreryo:
土屋昌巳のリマスターBOX「Masami Tsuchiya SOLO VOX EPIC YEARS」全曲クロスレビュー企画、いよいよ最終回となりました。今回は1989年リリースの5thアルバム「TIME PASSENGER」です。@junnoviさんと対話レビューも今回がファイナル。よろしくお願いします。

@junnovi:
いよいよ第5回やね。よろしくです。

@tpopsreryo:
作品としての密度が臨界点にまで達した前作「HORIZON」から平成に時代を移して、3部作最後の作品としてリリースされたアルバム「TIME PASSENGER」ですが、前作までとは制作陣が目に見えて変わりました。まず外国人が女性コーラス(と謎のエジプト人)以外いませんよね。
予算の関係かドメスティックな方向に行きたかったのかは定かではありませんが、演奏陣は3部作すべてにおいての相棒である清水一登、そしてアルバム参加は初登場ですがライブメンバーであった近藤達郎をはじめ日本人が中心です。そして何よりもエンジニアが飯尾芳史に交代したことも大きいです。
しかしサウンド的には日本に帰ってくるかと思いきや、さらにどっぷり中近東〜北アフリカにハマった感があって、また、シンセやプログラミングの比重はやや後退してバンドサウンド、特にギターがさらに前面に押し出されてきたという印象が強い作品となっています。

@junnovi:
センセありがとう。いつもながら的確簡潔なコメント。私もこれから言っていくけど、ま~色々話は飛ぶやろうけど、もうええね、今更w

作詞作曲編曲すべて土屋昌巳が行っている。明らかに3部作と言いながらも、「Life in Mirrors」や「HORIZON」とはやろうとしていることを変えてきているのが分かる。ではその「やりたいこと」って何だろう。同じ中近東と言っても、ペルシャからエジプトに中心を移していると思われる。
作品を経るごとに曲の重量が増していっているような印象があるんだけど、どうだろう。それは単に1曲の長さが長くなったということだけではなく(5分以上が9曲中6曲!)、楽曲がますます孤高な体を帯び、土屋昌巳の歌詞もギターもどこか達観というかあきらめの境地みたいな虚無性に苦悶し行き詰っているのが伝わってくるようで、こちらまでどことなく重く息苦しくなるからかも知れない。
アルバムの装丁は「HORIZON」以上に金色のインクを多用して、ねちゃ手の私にとっては扱いにくいったらない。当時はレンタルCDで借りてメタルテープにダビングしてたから、CDを自分のものにしたのは絶盤になって中古を買ってからのことなんで、余り偉そうなことは言えないんだけどね。金色のインクの装丁はやはりバブルな当時でも過度にデコラティブだったと思うし、歌詞などのクレジットをコピーしようにも、当時のコピー機は金色をうまく認識してくれなくて、何度取り直したか分からない。
あと、もちろんこのアルバムは、自分の最高賛辞としてSONYのMetal-ES(2代目)で録った。2代目のMetal-ESは初代よりも音のキレが悪くて、ブリリアントさやシャイニーな所が抑え気味にされててね、一方で当時もてはやされてた重低音に対応してか、低音余裕をもって厚く鳴らし切るという性格を持ってた。良く言えば安定感があり、悪く言えば鈍重。私は西洋のホワイトナイトなMETALLICの流れを汲むMetal-ESはどこまでもゴールドの輝きを燦然と放って欲しかったから、初代の方が好き。そんなMetal-ES(2代目)の得意とする部分を呼応するかのように現れたのがこの「TIME PASSENGER」というアルバムだったと思う。
このアルバムジャケット。ホントにもう。琥珀色に染まって、視線がどこかに行ってしまっている。笑ってない。もしかして、琥珀の中に閉じ込められて化石と化した昆虫よろしく、土屋昌巳もこのアルバムジャケットの琥珀の中でミイラになって永遠の姿と霊魂を手に入れて、生死を越えたいという意図があったのかも知れない。服装も中国の清朝末期の文人たちのそれを思い出させる。どこを取っても曲を聴く覚悟があるかどうかを試されているよう。裏ジャケットのエジプトを意識したデザイン、それを木彫りしたページ、すべてにこだわりが見える。
何度聴いたか分からないくらい聴いた。少なくとも「HORIZON」よりはよく聴いたんじゃないだろうか。でも2年くらいしたら、急速に聴かなくなってしまった。どうも食傷気味になってしまったのだ。
ちょうど進学の時期にも差しかかっていたし、小室哲哉の「Digitalian is eating breakfast」の「SHOUT」に圧倒されてたし、

岡村靖幸の『靖幸』ではシングルの「聖書」の方のアレンジが身長179センチっぽいとか「ナノマ~!」とかフェイクを叫んだりしてたし、

鈴木祥子の『水の冠』の「Swallow」の温かく包み込まれるような音世界に圧倒されたり、「電波塔」に恐れおののき続けたり、

大沢誉志幸の「Serious Barbarian」の組曲で迷路に入ったり、

松岡英明の「KissKiss」でやたらと曲数が増えて消化不良を起こしてたり、

角松敏生の「Reasons for Thousand Lovers」で「♪ホ〜」「♪ハゥアゥ、イエ〜」などのフェイクに喜んでイライラしてたり、

もうそれこそ忙しかったのでした。それでも時に「太陽とラムセス」「バッド・サイン」「タイム・パッセンジャー」は聴いて、やっぱスゲーと思ったものでした。

@tpopsreryo:
自分よりも長く解説いただきありがとうございます。実は「HORIZON」は確かjunnoviさんにCDからカセットテープに落としてもらったのを当時は聴いていたのです。それがスゴく音が良くて満足したものだったのですが、「TIME PASSENGER」はエレクトリック特有の尖った感じがあまり感じられなかったのです。
それは88年〜89年の昭和から平成に移り変わった際の劇的なサウンドの変化のためなのか、はたまたエンジニアの交代のためなのかは定かではありませんが、そういう音のつかみどころのなさも本作に対する自身の姿勢が問われる部分なのかもしれないなと、当時は思っていましたね。
というわけですので、今回のリマスターで実はそのあたりのイメージが違ってくるのではないかと密かに期待していたのでした。このボックスセットで「TOKYO BALLET」の次にリマスターが気になっていたのはこの作品だったのです。

@junnovi:
実際どうだった? 聴きやすくなったなぁという印象はあるんだけど、やっぱり熱感のある重い感じは残ったなぁと。これもやはり飯尾芳史の影響って見るべきなんやろうか?

@tpopsreryo:
そのあたりは各曲でも少しずつ触れるかもしれないけど、まあ納得のいくものだったかな。以前から聴いていたのはテープコンプレッションのせいもあってかものすごくアナログチックな感じがしてたんですよね。丸みが強いというか。これが平成の音だとすれば仕方ないのかと思うのだけど・・。

@junnovi:
センセの言わんとすること、分かる気がする。このアルバムの曲は、どこかゴモゴモしてるところがあって、「Life in mirrors」みたいにシャキッとしてないんよね。冴えがないねん。高級な算盤の珠みたいに、パチン!っていう珠の冴えがないねん。


1.「マインド・フリクション」

 作詞・作曲・編曲:土屋昌巳

@tpopsreryo:
それでは各曲レビューに行きましょう。1曲目「マインド・フリクション」。本作でますます顕著となったエスニカンロックサウンドを代表するオープニングナンバーです。今回も各曲の最初の解説は@junnoviさんに担当していただきます。よろしくお願いします!

@junnovi:
メロディラインがアルバム1曲目にしては華がないうえに、大して美しくもなく、正直あまり・・・。特にBメロ。盛り上げているつもりなのかも知れないけど、どこか安直だし、ヒステリックさも感じられて納得できない。そしてサビ。私のキライな繰り返しの連続。ああどうしてこんなに繰り返すんですか。期待に胸が膨らんでいたのに1曲目からこれですか・・・。
次に歌詞。自作の詞は、作詞家の手法を模倣する域を脱していなくて、発想の飛躍を図るも本人が狙っている辺りには着地できていない。はじまりの「水に沈んだ光が静寂の中溶け出す」。コメントしづらいです・・・。おそらくこのアルバムでは、詞の力を十分に使って自分の音楽の表現実践してみたかったんだろうと思う。説教臭さがないのは良いのだけど、どこか説明っぽい箇所があって、楽曲やアレンジや演奏のレベルに比べるとどうしても残念に思えてしまう。サビの英語に至っては、ああまたそんな言葉を選んじゃって、ああまたそんな発想しちゃって、と思うくらい悲しい。もっと文学しなきゃいけない難しい世界だと思う。だって音楽の方は本当に孤高感を極めているのだから。
けれどもやっぱり楽器演奏については瞠目せずにいられない所が随所にあって、その魅力に捕らわれて、しっかり聴いてしまう。まず何といってもドラム。ガムランのような響きのオープニングから、緻密で集中力のあるハイハットとスネアが雪崩を打って始まる。これは何だろう。カッコいい! これを青山純が一人で演り切ってるのかと思うと感嘆するばかり。パワフルで緊張感のある素晴らしい演奏やね。あとギター。さすがは土屋昌巳。1つの楽器の範疇を越えて、時に岩を鑿つ打楽器にもなり、時に艶めかしく奏でる管楽器にもなり、その変幻自在ぶりは見事としか言いようがない。エンディングの始まりあたりに挟む、大変レガートでドライブ感のあるオクターブスケールで行き来するフレーズが1回だけ登場するけど、そこを聴くたび「やっぱさすが土屋昌巳だなぁ!」と感心してしまう。
ということでメロディや詞の部分のマイナスとアレンジや楽曲演奏のプラスとの差し引きで圧倒的にプラス評価になって、好きな曲になってしまう。それにしても繰り返しになるけれど、こんなにタイトな演奏、中々ない。アルバム1曲目にふさわしいと評価を一転してしまう。
けれどもやっぱりメロディラインは好きになれない。アルバムのしょっぱなからいつも複雑な気持ちになる。

@tpopsreryo:
そうそう、本作は作詞が全部土屋自身なんですよね。これまで竜真知子とか宮原芽映とか杉林恭雄らが書いていた世界観を遂に自身で作り上げる事になったわけですが、これまでワールドワイドというかコラボ要素も強かった制作体制だったのを、土屋本人集権体制に移したような雰囲気なんですよね。
で、この楽曲なんですが、おっしゃる通りドラムの青山純起用によって独特のグルーヴを獲得することができたと思います。生々しいハイハットと絶妙なタイミングで繰り出されるスネアなど、その貢献度はやはり高いですね。そりゃ土屋ギターも生き生きするってもんですよ。
いつものように2周目Aメロ後にソロパートが来ますが、今回のギターソロの入り方はカッコいいですよね! 全体的にギターが大活躍ですが、エレクトロ度は後退して、ガムランっぽいフレーズを清水が奏でてはいるものの、メインとなるのは近藤達郎のハーモニカと本田雅人らのサックスといった吹奏楽器です。
また、ベースが打ち込みですよね。土屋サウンドといえば奇妙なフレットレスベースと言っても過言ではないだけに、少し物足りなさを感じる部分もありますね。なお個人的には最後の「I just know nothing〜♪」の変な音階のフェイクで笑いを禁じ得ませんw

@junnovi:
新譜として聞いた当時は、今のような印象とは全然違ってて、スゴく濃密でパワフルなアルバムだなぁと思ったものでした。前述しましたが、時を経るにしたがって大きく印象が変わっていきました。
だって当時は松岡英明の「KissKiss」でもめちゃくちゃ熱心に聴いてたんだもの。SONYのオーダーメイドファクトリーで1stから5thがリマスターで再発されて、見直すきっかけになって、3rdまではセンセとここで全曲レビューやったけど、本当に印象が変わってしまったなぁと。若かったんやろね私自身w

@tpopsreryo:
この1曲目からもそうなんですけど、サウンドに妙なスカスカ感があるんですよ。しかしそれはドラムとギターと吹奏楽器でメインを張っていながらベースが打ち込みという構成にもあるのかも。しかもベースが派手でもなく普通に聴こえてしまう部分が、スカスカ感の原因なのかもしれません。
そういったスカスカ感だからこそギターがスゴく目立つんですよね。で、余計に土屋の技が光るシステムになっているんです。なので、本当にこの作品はドメスティックかつナルシスティックな仕上がりになっていると思いますよ。「オレが主役!」って感じがしますもん。やりたいこと全部やりたいっていうw

@junnovi:
変態ベースフレーズが土屋楽曲に活き活きとした生命力を与えてたっていうのがセンセの見解やもんね。青山純がどんだけタイトでストレートなドラミングをしても。土屋のギターが浮き彫りになっている構図。確かにそうかもしれない。それに今までと違う感じを覚えるのかも。で、それはセンセが土屋昌巳に期待するものとは違うという意味でもあるってことやんね?

@tpopsreryo:
せっかくの青山純なのだから、それを生かすベースはいないと。で、次の曲で実現するわけですが、ちょっと思ってたのと・・・。詳しくは次の曲でw

@junnovi:
私この曲の青山純の演奏、すごく好きなんやけど、確かにリズム隊としてのベースは重要やんね。なんでベーシスト呼ばなかったんだろう。小原礼いるじゃん、横山雅史いるじゃん。何で・・・。だったらもっと好きな曲になったかもしれないのに。いや、「HORIZON」では土屋昌巳本人が個性あるフレットレス・ベースを演奏していたんだから、それでも良かったんじゃないでしょうか。でもちゃうんやろね、アルバムコンセプトが。多分、生演奏を意識した作りをしていて、多重録音はできる限り排したかったんだろうね。でも土屋自身がベースを弾いてたら、もっと肉感的で人間臭さのある温度の高い仕上がりになっていたんではないかと思うんです。


2.「レディー・ロキシー」

 作詞・作曲・編曲:土屋昌巳

@tpopsreryo:
2曲目「レディー・ロキシー」。本作の中では比較的ポップなメロディ志向のシングルカットチューン。ギターがふんだんにフィーチャーされたこの楽曲もまずは@junnoviさんに解説していただきましょう。

@junnovi:
「TIME PASSENGER」は今となっては苦手な曲が多い。発売された当時、そんなには気にならなかったんだけど、時が経つにつれて苦手になっていった曲。今回のリマスターで全体を聴き直す過程で、どうしてこの曲をシングルにしたんだろうと思うほどになってしまった。「すみれSeptember Love」や「Tokyo Ballet」みたいな可憐でキャッチーでポップじゃないので、あまり万人受けする感じでもないし。さしてメロディアスでもないBメロとCメロとサビが曲後半では頻繁に繰り返され、英語と日本語を混ぜた内容が希薄な歌詞も時代を感じさせる。「I'm very fine now.」って言ってる声が全然fineじゃないじゃないか。いつもながらの2周目のBメロには間奏があるけど、その直前のシャウトが余りに唐突で独りよがりに暴走気味だし、随所に出てくる外国の人のコーラスの声質が当時から苦手だったし、もうどこを取っても・・・。
リマスターをされる前から小原礼のベースはクリアに聞き取ることができたけど、何かのメロディを奏でているよう。「WORRYING KIND」(1988年の小原礼ソロアルバム「ピカレスク」収録)みたいに暴れてほしいw


一方で「Life in Mirrors」や「HORIZON」ではもっとプログラミングが使われてたのにクレジットを見たらこの曲についてはそれがない。ブラス系を2名も起用して、それがこの「TIME PASSENGER」の特徴と言えるのだろうけど、それがエジプトやペルシャの儀式のファンファーレのようにも思えて、生演奏をしてもそのまま再現されるんだろうなぁと思う。あと、楽想の発展や拡大は乏しく、繰り返しばかり。これは「HORIZON」の傾向が一層強まったとも言えるけど、A・B・C・サビ自体の魅力があってこそ活きるので、この曲については曲自体の力が弱く薄いので、どうしても胃にもたれてしまうのです。

@tpopsreryo:
その通りでこの曲にはプログラミングがないのです。ライブに重きを置いたようなサウンドですが、それはこの時代の空気なのかもしれませんね。個人的にはこれがシングルカットされたのはわかるような気がするのです。メロディはキャッチーとは言い難いですが覚えやすいとは思います。
で、実は薄々気づいてはいたのですが、このアルバムって中近東や北アフリカに寄ったなあと思ってはいたものの、実は各曲はそういうものでもなくて、普通にロックであったり、和の心であったり、内省的なバラードであったりと、国籍的な色はあまり出ていなかったりするんですよね。
あのジャケ写真というか、あと「太陽とラムセス」に騙されたというか。で、このシングル曲にしてもアラビックでもなく普通にロックしてるのです。それは洋式トイレのような下世話コーラスがフィーチャーされていることのほかに、小原礼のベースにもあると思います。上手いんだけどストレンジじゃない。
バッキングとしては秀逸なのですが、本当に裏方に徹していて面白みに欠けているんですね。土屋のギターもそう。いつものタイミングのギターソロにしてもなんなんだあのやる気のないフレーズはっていうくらいに。それは個人的に求めているものとは違うので、肩透かし感は否めなかったのです。

@junnovi:
ん~そうなんやろか。この曲もブラス系もAメロの後ろで弾いてるギターフレーズも独特で、アラビックに聴こえてしまう。それはそれとしてね、もうね、どうも嫌なんですよ、曲の持つ性格というかトーンが。あとセンセの言う外国人のコーラス、あれはイヤやなぁ、萎えてしまうタイプ。

@tpopsreryo:
EVEとかは良いんですかね? 土屋の女性コーラスの好みはこういうのだったりするんじゃないでしょうか? 彼は可愛らしい声は余り好きではなくて、あばずれチックな感じが好きなんでしょうねきっとw

@junnovi:
土屋昌巳の好みという点ではセンセの言うとおりなんかも。「HORIZON」でも、それよりも前の作品でも随所に用いられているもんね。でも、私がこの曲で嫌だなァと思い至ったのは、曲のつまらなさの矛先をコーラス隊にぶつけてきたのかもと思います。小原礼とか青山純や土屋昌巳本人に向けられない代わりに。あとEVEもAMAZONSも正直余り好きじゃない。特に土屋楽曲では。ただどこか性に合っていないくせに背伸びして乱痴気騒ぎしてるっていうか、その心の隙間を札束で埋め合わせてるっていうか、そういう虚しさの鱗片が見えたり、角松みたくイライラしてもうしゃあないなぁと思えるのです。
外国人のコーラスは,フツーにシレッとこなしてるでしょ、似てるようで違うよね。普通にグルーヴィーなんですわ。じゃあ、何で佐藤博のアルバムの外国人女性のコーラスは聴けるんだってことになるんだけど、それは・・・・・わかんない!w

@tpopsreryo:
外国人のコーラスが全て苦手っていうほどではないですけどね。ラ・ムーのお2人とか素晴らしかったですしねw


3.「太陽とラムセス」

 作曲・編曲:土屋昌巳

@tpopsreryo:
3曲目「太陽とラムセス」。コーランの詠唱がフィーチャリングされたエスノファンクチューンです。フリーキーな要素も強く感じられるこの異色楽曲も@junnoviさんに最初に解説していただきます。

@junnovi:
この曲は初めて聴いた時、オープニングのエジプシャンのボイスで本当にここまで来たんだ、国境と文化圏を越えちゃったってすごく驚いたなぁ。たしかこのエジプトの歌、土屋昌巳がDATで録音をして、それを日本に持ち帰って、ここまで仕上げたってどこかで本人が言っていたのを覚えてる。


かなり実験的な取り組みで、所々は無理やり歌に合わせてる感はあるけれど、私はこれはこれで成功してると思った。それに力のこもったアレンジと演奏も魅力だったから、繰り返し聴いたものでした。
私はその後、世の流れに合わせるかのように、2000年くらいまでの間、ワールドミュージックを聴くことになるのだけど、そういうものを経た今から聴くと、自分たちの料理に違った味付けをしようと加えたような印象を抱きます。ただ、ちょっとした味付け程度のつもりだったのに、料理の味が根底からガラッと変わってしまって、収拾がつかないところを力技で何とかギターとサックスで収めたという感じもします。でも辛くなった味付けは元には戻らない。スパイシーなんです。かつおだしやシイタケのだしなんてものじゃないんです。
とはいっても、リズム隊の強力な演奏はこの曲の強い魅力。クレジットを見たら、青山純とれいちがドラムを叩いてる。
そこにパーカッションとして仙波清彦も。サックスは3人。ソプラノ・アルト・テナー・バリトンすべて用いて。すごいなぁ~。ギターも土屋昌巳以外に成田忍も登場。やっぱりエジプシャンのボイスの個性が圧倒的に強かったんだなと思ってしまう。なんだか大きな獲物をみんなで仕留めている狩りの図を連想してしまった。
あと、この曲で土屋のギターが「ピピピピピピ・・・・」と音程を変えて鳴ってます。このピピピは他の曲にも出てくるんだけど、アルバム「TIME PASSENGER」での特徴的な音だと思う。まぁ当時はこんな音聴いたことがなくて「なんじゃこりゃ!」と驚いたものでした。

@tpopsreryo:
あのプロペラのような音ですか。あの奏法もカッコ良いですよね。当然この曲もギター大活躍なわけですが、れいちや仙波清彦、成田忍や横山雅史にしてもライブメンバーということもあって、即興セッションのような趣です。DATのエジプシャン詠唱は思いの外良い音で録れてるなあと思いました。
当然日本のポップス音楽では難しい歌の入り方をしてきますが、そのあたりは良くもまあここまで一般的に「聴ける」曲にまで仕上げてきたなあという印象です。エンディングを見失ったかのような終わり方もインプロヴィゼーションと解釈すれば不思議でもないのですが、その収拾のつかなさも面白いです。

@junnovi:
ね~。本格的なワールドミュージックの波が来る前にここまでのものを仕上げたのはスゴイとしか言いようがないですわ。音階が全然違うのだから、合わそうと思ったら無理が生じないはずがないよね。そのために大量の機材と楽器が投入されたというのが私の見解。

@tpopsreryo:
機材というか、そういう種類のサウンドに対応できるミュージシャンを集めたというか。そうなるとやはりキリングタイム勢というのは貴重だったのかもしれないですね。そういう人選にも福岡智彦ディレクターの影が見え隠れするんですけど・・・。

@junnovi:
そっか。そうやね。後に小川美潮の「SHAMBHALINE」で相当実験的なことをやってる彼ら。確かに! 

ま~結構何か言い残しておかないとと思って、あれこれ言ってはいるものの、正直楽しく繰り返し聴いてきた曲なんですよね。この道を進んだら、どういうことになるんだろうって想像するのも楽しかった。結局はそういうことにはならなかったけど。

@tpopsreryo:
そこは時代背景って感じもするなあと。土屋も一旦手札を使い切った感があったし。80年代の終焉と平成の始まりという転換期、それに伴うサウンド面の変化、バブル崩壊による予算の減少等々いろいろな要素が絡み合ったことなのか。実際は土屋がソロをやりきってロンドンに移住したという顛末なのですが。

@junnovi:
私さ、前々から思ってたんだけど、土屋昌巳に限らず、ヨーロッパに移住っていうのって、良く分からないんだけど、日本じゃ生きづらいのかなぁ。何が理由なんだろう。正しいことを求められすぎて窮屈なんだろうか。色々考えるんだけど、分かんない。売れたタレントとか良くそういうことするやん?

@tpopsreryo:
仕事が来すぎて忙しくなっちゃうんでしょうね。CM音楽とか映画劇伴とかテレビとかに誘われたり、アルバムリリースのノルマだったりとかライブをこなさなければならないとか、ブラックに働かされるからある程度お金を稼いだら国外逃亡して好きなことをやりたいんだと思う。


4.「水鏡」

 作詞・作曲・編曲:土屋昌巳

@tpopsreryo:
4曲目「水鏡」。幻想的で和の心すら感じさせるソフトタッチなミディアムナンバー。特徴的なギターソロも麗しいこの渋い楽曲をまず@junnoviさんに語っていただきましょう。

@junnovi:
学生だった当時の私にしてみたら、こんな題名を見ると、反射的に「大鏡」「今鏡」「増鏡」のことかと思うよね、ネタでも何でもなくホントに。


それにしても長い前奏。1:40もある。ヒデキ(西城秀樹)の歌なら半分くらい終わってるで。その長い前奏だけど、何もかもが溶け落ちていくような蠱惑的な音世界。
息の長い響きに引き込まれていく。日々に疲れている人に魔術をかけてフワッと命ともどもどっかにさらって行くよう。力づくでさらっていくのではなく、薄くヴェールをかけて、あたり全体を変容させる感じのもの。
アコーディオンとエレキギターとの呼応が美しいね。ギターは音階を駆け上がり、その合間のギターでは透明感のある音色でディレイがかかってて、晩夏の夕暮れ時のひぐらしみたい。1番から2番目の間には、寂しくすすり泣くようなソロがあるけど、これはアコーディオンの音色を加工してるのでしょうか。それともシンセ?それともエレキギター?
この辺りはセンセに聞いてみよう。
歌が終わってちょっとだけ日の光が差すような部分があるけど、あそこ、好きやわ。そしてその日の光がさっとさした後は、曲調が明るくなっていくんよね。ようやく救いがあるって思うんです。ただ思うんだけど、このアルバムの楽曲はどれも優しく語り掛けるような歌でも、スパイシーなトーンが基調をなしていて、甘くないんですよね。
それにしても歌詞が暗い。もう殆んど鬱状態じゃないのかと思うほど。だって「No tomorrow, the Sun is never shining」だなんて。
ノーとかネバーとかなんて、ノーフューチャーなラモーンズか、ノーアイデアな私の上司だけにして欲しいw

@tpopsreryo:
そんな暗い歌詞にもかかわらず、その部分はメロディはメジャー調なんですよね。そこにある種の希望があるんですよね。実はこの曲はリマスターによって始まりの音が良く聴こえるようになって感情移入がしやすい状態になったと思います。確かに恩恵は受けたのではないでしょうか。
ここには中近東な匂いはほとんどなく、今鏡増鏡とはよく言ったもので、純和風な空気すら身にまとったサウンドメイクです。渡辺等のベースと近藤達郎のアコーディオン以外は全て土屋自身が演奏していますが、その荘厳で麗しい音世界は、平安京の「Silhouette」といった風情です。
そして例の間奏のすすり泣くようなソロですけど、あれはギターシンセサイザーですね。わずかに遅れ気味に出てくるアタック感は当時のMIDI遅れが気になるギターシンセ特有のサウンドであると思います。Aメロの入りのフレーズなんかもそれですよね。

@junnovi:
案外この曲キライじゃないんです。感情の揺らぎが音からも伝わってくるよう。それにしてもセンセ!平安京エイリアンならぬ平安京「Silhouette」って!!w 確かに宵闇迫る前のひぐらしとか私自身も書いてるし、そうなんやろね。
そのギターシンセの音、本当に情感たっぷり。かなしいわ。かなしいわ。


5.「ラヴ・ラヴ・ラヴ」

 作詞・作曲・編曲:土屋昌巳

@tpopsreryo:
5曲目「ラヴ・ラヴ・ラヴ」。前曲に引き続きゆったりとしたギターサウンドにストリングスが劇的に絡み合うビューティフルサウンドのこの楽曲もまず@junnoviさんの解説で始まります。よろしくお願いします。

@junnovi:
3拍子。私の好きな3拍子。8分の6拍子かな。8分の12拍子でもいい。三連符も。とにかく3拍子系が好きなんです。結局実現できていないけど、3拍子だけの「Sound Junpo」(注:@junnoviさん監修のオムニバスCD-R)を本気で企画したことがあったくらい、私は3拍子(三連符)が好き。トライアングル。円環構造。候補曲を少しばかり挙げてもいい?

@tpopsreryo:
どうぞどうぞw

@junnovi:
ええの?w 後悔しない???w

@tpopsreryo:
脱線するかもしれないけどこの際なので、どうぞ!

@junnovi:
コメントを付けようとしたらキリないし、コメントのつけようがないかも知れないし、センセに任せるね。ほな参ります。

3拍子企画の曲特集。
・鈴木祥子「青い空の音符」from album「Long Long Way Home」


・ZABADAK「美チャンス」from album「Welcome to Zabadak」


・George Michael「One More Try」from album「FAITH」


・Lionel Richie(The Commodores)「Three Times a Lady」


・安部恭弘「September Valentine」from album「Passage」


・小川美潮「窓」from album「4to3」


・銀色夏生「Jimmy Boy」from album「Balance 銀色夏生プレゼンツⅠ」


・佐藤博「Hello Love Again」from album「Future File」


・島健「’84―夏」from album『Heart Cocktail Vol.4』


・研ナオコ「あばよ」


・ALFEE「Sunset Summer」from album「doubt,」

なんかね、最後の方はどこに向かってるのって感じだけど、改めて並べて見るとやはりどれも好きな曲ばかり。「んあっ!たまらん!」って曲が結構あるもんね。ここでは言わないけど。何で、言いたいんじゃないの?w
いいえ、ガマンしますw 体を右に左にゆったりと揺らしながら歌うねん。するとすっと気持ちいい時間ができあがる。意外にもQujilaというか杉林恭雄に3拍子の曲が見当たらない。あんだけ「ライライ」って歌っているのに。これにクラシックを含めたらめちゃくちゃ増える。

@tpopsreryo:
パッと思いつく曲がないのですが、ZABADAKなら「パスカルの群れ」は3拍子で「美チャンス」よりは好きですね。多分調べれば忘れてる曲結構あると思うので、今度内々に挙げていこうと思いますw それにしても「あばよ」w

@junnovi:
私のZABADAKとの出会いは「美チャンス」だったからインパクトが大きかったんですね。ミュートマ(ミュージックトマトJAPAN:TVKで放映していた邦楽ミュージックビデオ番組)で。あ、笑ったでしょやっぱり「あばよ」。大好きなんです。この暗い暗い3拍子。

クラシックになると好きな曲となると3拍子系の曲が多いから、一層自由に選べる感じになる。
ということで土屋昌巳には珍しい3拍子系の曲。4拍子と比べて1拍少ないから、楽想の幅は4拍子よりも制約が大きくなるけれど、それをどこまで感じさせずに想像の羽根を広げることができるか。作曲作法・技法の練度が試されるところを見るのが楽しいのです。この曲については特別奇を衒ったようなことはせず、3拍子の持つ揺れる感じをストレートに表現している。大体曲名自体が「ラブ」を3つ並べてるから、そこからもそれなりに制作上の意図や深度が分かるように思う。
オープニングからのアコースティックギターがフラメンコみたいな音をしていてスパイシー。ピィ〜ンって揺れて鳴るギター(?)も。サビ前からのストリングスは曲をスケール感を高めて盛り上げてくれる。2周目のAメロ後の間奏も3拍子の曲でもしっかり登場。
曲の最後のギターソロもかなりノイジーだけど、ここもスパイシー。からい。でも独創性がある。ここだけは3拍子であることを忘れさせてくれて、クリエイティビティを感じさせてくれる。ただ、緩徐楽章のようなゆったり目の曲が2曲続くうえに、どちらもフェードアウトで終わるから、何とも印象が弱まるね。

以上でございます。どうだろセンセ、3拍子特集、何かコメントつけそうでしょうか?www 実はこのネタ、もうね15年以上もの間温め続けてて、遂に時機を逸し、こうして吐露するという展開なわけで、正直放置だけはしないで、センセ(懇願)w

@tpopsreryo:
実はこの曲好きなんですよ。3拍子だからとかではなくてw これは比較的中近東の匂いを感じますけど、何と言っても斎藤ネコのストリングスアレンジが良いですねえ。1周目と2周目のサビ前の盛り上げ方も異なっていて期待感を煽りますし、比較的地味目な楽曲の空気を一変しますから。
また、ここでも渡辺等のベースプレイですね。やはり土屋サウンドのベースはこうでなきゃなのです。やたら高音を多用しています。特にBメロからサビにかけてはプオンプオンいってますし。彼のプレイだけで楽曲の雰囲気を形づくっていますね。土屋のギターも控えめなだけに目立っていると思います。
とはいえやはり最も好きな部分はサビ前のストリングス。これに尽きますね。特に2周目の駆け上がって駆け上がって、駆け下りる、みたいなw ものすごくヘタクソな表現で嫌になってしまいますが、この譜割のタイミングが好みなのです。

@junnovi:
メロディとドラムパターンが3拍子のリズムの円環構造から抜け出さない小規模なラインを辿っていくけれど、改めて聴いてみるとギターソロは3拍子の域を脱しているし、センセが高く評価するベースもストリングスもガッチガッチな3拍子でもない。だから優しく揺れる感じがするんだろね。
軽やかなのに壮麗さもあるストリングスが曲の規模を大きくしているね。良く鼻歌で歌った曲でした。

@tpopsreryo:
なんかね。あのストリングスに急に視界が開けるというか、海岸線に躍り出てエーゲ海に飛び立っていくような、そんな開放的な気分になるんですよね。ガーッってくるのよガーッてw

@junnovi:
ガーッて来るのん?w 天に向かって大きな大きな放物線を描く感じで飛翔するんやね。舞い上がるんやね。
あとね、3拍子特集については、この曲良いなぁって思ったら3拍子だっていう確率が相当高くて、それでずっと興味を持っていた視点だったので、「SOUND JUNPO1」で惜しくも取りこぼした曲を、「2」で取り上げて、そして「3」では3にちなんで3拍子の好きな曲だけを固めようと妄想しててん。だから今回の土屋昌巳SOLOVOXの中で唯一と言って良い3拍子の曲「ラヴ・ラヴ・ラヴ」ではこれに触れないと終われないって思ったのでした。3連符は他にもあるけどね。ここまでがっぷりな3拍子はないから。


6.「バッド・サイン」

 作詞・作曲・編曲:土屋昌巳

@tpopsreryo:
6曲目「バッド・サイン」。キレとテクニックが融合したギタープレイが存分に堪能できるエスニカンロックンロールナンバー。ここでも最初の解説は@junnoviさんにお任せします。それではどうぞ!

@junnovi:
ああなんてスパイシーな曲。ここでも「太陽とラムセス」でも登場したギターの「ピピピピピピ・・・・」がオープニングから音程を変えて鳴っています。しかもかなりワイルドに割り込んできて、すごくかっちょええ! メロディを弾く、とかく乱暴でドライブ゙感の過剰なギターもパワフル。
パワフルなのは青山純のドラム。ホンマにキレッキレ。バシバシいってる。サックス隊もやはりここでも沢山つかっている。テナーは2人だものね。あと、歌詞が英語であるけれど、これはほぼコーラス程度のもので、曲としてはインストと考えて良いように思う。
それにしても各パートが印象的ではあるからさほど気にはならないのだけど、ちょっと繰り返しが多い。約5分もある曲だけど、余り繰り返さなくても良いような気がする。

@tpopsreryo:
まああれですよね、本当に気持ちよくギター弾きまくってますよねこの曲。もう技の限りを尽くしてるって感じで。スラップのような弾く奏法や例のプロペラ音のようなピック奏法とか(ギター弾かないので多分そうじゃないのかという想像ですw)。青山純もここではあのビシバシドラム全開ですよね。
全体的にギター弾きまくりで切れ目がないくらいですが、2周目Aメロ後に相当する部分からも滑らかにフリーキーなギターソロに入っていきます。その入り方が断りもなしに土足で玄関から入ってくるストーカーみたいな感じで個人的にはウケましたw ものすごく自然なのです。それまでも自由だっただけに。
あと本作で重要な位置を占めているのがサックス部隊ですね。本田雅人&山本拓夫の。今回も大活躍ですけど本田のソプラノサックスのフレーズが中近東な感じで雰囲気出てますよね。そんなエスノファンクに洋式女性コーラスが似合うか似合わないかはもう好みですね。それにしてもギター博覧会、最高です。

@junnovi:
ホントにギターの曲やね。ここに来てガーンと出てきた。ここでのコーラスは大丈夫。何か言ってる程度だから。意の向くままに歌ってる感じではあるけど、土屋昌巳のギターの上で踊ってるように私には思える。この曲を聴くとなぜか真夏を思い出すねん。すごい汗かく夏。
この曲ね、今はもうとっくに閉店して跡形もない地元のスーパーマーケットでの真夏の日の光景を思い出すねん。当時、なけなしのお小遣いで買ったウォークマンに、CDからダビングしたMetal-ES(2代目)を入れて、この「TIME PASSENGER」を聴きながら店内を回ってた。丁度その時にかかってたのがまさに「Under the Bad Sign」やってん。店の外は暑い夏の日差し、店の中は省エネ度外視にエアコンを過剰に効かせた対比の中、日本とは思えない遠い音楽を聴いてた。商品棚にあるポカリスエットの粉末の袋を手に取って買うかどうかを悩んでた日のことを思い出すのです。何の変哲もない光景なんだけど、どうしても忘れられないのです。


7.「詩人達の血」

 作詞・作曲・編曲:土屋昌巳

@tpopsreryo:
7曲目「詩人達の血」。アコースティックとエレクトリックが交差するアンビエント風味の静謐なバラードソングです。渋みここに極まれりなこの楽曲を@junnoviさんはどう解説するのでしょう。それではお願いします。

@junnovi:
シンガーソングライターで、自らの音楽を客観的に評価できる人ってどれくらい居るんだろう。案外居ないんじゃないかと思う。シンガーソングライターへの憧憬の念は誰しもあっても、作詞や作曲や編曲を専業とする人たちによる分業よりも狙い通りにリスナーに届けられているかというと、私はかなり懐疑的です。
むしろ独りよがりで、自家中毒を起こしている例が多い。「あゝ、何ともったいない。自分の音楽をもっと客観的に見れたなら、違っていただろうに。」と思う曲がシンガーソングライターの楽曲の中に少なからずある。愛する我が曲を一旦手放す覚悟や潔さって、表現者には必要なことではないかと思うのです。手放すことのできた暁には、本人も当初思いもよらなかった化学反応が起きて、新たな側面を生み出したり、音楽的なキャリアにおいて更に異次元に進めたりするんだと思うんです。
この曲はまさにそれの残念なパターンだと思う。そして意図してか分からないけど、葬送曲かと思うほど陰惨で暗い。
清水一登のバスクラリネットの音が何とも陰気さを演出していて、仙波清彦のパーカッションがパカーン・ポコーンと悲劇性を増幅させていて、悲愴なドラマティックさがある。3:30からと5:10のギターがホントにスパイシー。辛い。
そして極めつけが5:35あたりから始まるメルトダウンが不気味でならない。

@tpopsreryo:
ゆったりしたリズムの地味曲なので、長らく敬遠がちな楽曲だったのですが、改めてリマスターで聴いてみると細かく多彩な音がちりばめられていて少し見直してしまったのでした。スタートに柔らかいシンセパッドを入れてくるのがまず良いですね。それと横山雅史のベースですね。
土屋サウンド特有の味のある変態フレーズ。サビ終わりの「その時詩人たちの血が〜♪」の部分で顔が溶けていくかのようなモワッとしたフレーズで気持ちよく脱力させてくれます。当然ギターソロは相変わらず気持ち良いのですが、ギターソロ結構長めに取っていて嬉しいですね。長年無意識でしたが。
そして言及してくれたラストのギター&ストリングス下降して上昇してのシュルシュル音。とにかく楽曲自体の内省的かつ密室的なイメージな部分を増幅させるようなストレンジなラストで締めています。実は本作の象徴的な楽曲として土屋自身は気合を入れて制作したのではないかと思います。苦手ですがw

@junnovi:
ね~。もうこれ以上言うことないですけど、死生観とか無常観みたいなものを音楽で表現したかったってことなのかなぁ。でもね、それが何で詩人達の血でないといけないのかが、分からないんですよ。別にいいねん、詩人達でも血でも。けれどやっぱり私が考えてしまうんは、土屋昌巳の書く歌詞は説明が多いものだから、こちらも「それはなんで?」と聞きたくなってしまう。これでも当時は真面目に何度もこの曲を聴いていたんだけど、もう今は、いいですわ。


8.「タイム・パッセンジャー」

 作詞・作曲・編曲:土屋昌巳

@tpopsreryo:
8曲目「タイム・パッセンジャー」。テンションの高い演奏力と土屋式エスノファンクが高みに達したタイトルチューンです。それではこの楽曲も@junnoviさんに解説をお願いします。

@junnovi:
晴天の日に手鏡を持って外に出て、太陽の光をあっちこっちに反射させた煌めきが鏡の動きに応じて軽妙に動くのを感じさせるようなオープニング。そしてドコドコドコドコ!と畳みかける青山純のパワフルなドラムスがここでも聞ける。このオープニングのフィルインをはじめ、4:40のベースと一緒になだれ込む大規模なフィルイン、4:50の力強いフィルイン、5:23の既出のフィルインの変則版と、4か所については本当に素晴らしく、曲を強く引き締めている。小原礼のベースがここでも登場するけど、2:45と4:17のベースの速弾きのところは特にカッコイイ。土屋昌巳のエレキギターはエジプシャンっぽいフレーズを繰り返し弾いている。サックス隊はここでもソプラノ・アルト・テナー・バリトンが用いられ、この曲ではトランペットまで登場。本当にサックスを多用するアルバムだなぁ。そして定番の2周目の途中での間奏もしっかりあるので、この曲が土屋印であることが分かる。
シングルB面にもなったみたいだけど、たくさんの人にこの曲の世界を知ってもらいたいと思った土屋昌巳の思いは、ひしひしと伝わってくる。5分を超える曲ではあるけど、最後まで力強く一気に突き進んでいくのが、相当な気合いを感じずにいられない。
Cメロに感じる希望の光も、この曲を構成する要素をより多層的にしていて、てんこ盛りの上にさらにてんこ盛る感じ。飽和感が半端ないのです。あと、歌詞では「死」が出たりして、まさにエジプトで目の当たりにした生きることの厳しさをこの曲に表現しているのが分かるね。
歌については、随所にエジプシャンのボイスが散りばめられているけど、ちゃんとバランスの取れたスパイシーな味付けになっていると思う。ということでいろんな見せ場がこの曲にはあるし、メロディも演奏も力強く生命力に溢れているし、このアルバムのハイライトであることは間違いない。
今もこの曲は「TIME PASSENGER」の中では最も聴きたいと思う曲です。
発売された当初は、ここに来る頃にはもうお腹いっぱいで聞き流す体だったんだけど、聴き慣れて来ると、この曲がハイライトだと思えるようになりました。これはやはりメタルテープで聴きたい曲です。しかも初代のMetal-ESで。

@tpopsreryo:
大体ほぼ言いたいことは言われておりますが、タイトルチューンだけあって気合が入りまくりですし、メロディもキャッチーなので集中しやすいという利点もあります。小原礼のベースは確かにテクニカルですが、それほど派手ではなく熟練した技で勝負しているといった印象です。
流石に青山純はいつもの素晴らしいドラミングで、言及されているフィルインのカッコ良さは尋常ではありません。4:40のベースと一緒になだれ込む部分は、なだれ込んだ後のドコドコドン!の余り部分が白眉です。アレがあって初めてタメができて、その後のアコギカッティングにすんなり入り込めるのです。
本作は本当に土屋のギタリストとしての矜持をまざまざと見せつけられるわけですが、この曲では3方向からギターの攻撃を受けまくる格好になっています。リズムギターが左右から、そして真ん中からはソロフレーズが攻め込んでくるシステムになっていて、特に左右のギターはリマスター映えしています。
右から聴こえる中近東気味なテクノカルなギターフレーズは従来から楽しめていたのですが、左から聴こえるカッティングは当時は余り意識できていなかった部分で、個人的には今回のリマスターで浮上してきたような印象です。このようなギターアンサンブルの妙が楽曲全体からも感じられるのが魅力的です。

@junnovi:
ホントだ! ギターが3方向で、まるでジェットストリームアタックみたい! 私はずっとサックス隊のことを触れてるけど、センセはこのアルバムはギターアルバムだというスタンスなのが面白いよね。あとやっぱり青山純の演奏は本当に素晴らしいよね!

@tpopsreryo:
確かにサックスのアルバムとも言えるよね。これだけ頻出するとw 青山純はね、不世出のドラマーですよ。生でもエレクトリックでも何にでも合う。万能薬ドラムですよ。

@junnovi:
改めて聴き直すと、複合リズムを上手く取り入れている所もあって面白い。ピラミッドを王命で作らされてる夥しい数の奴隷たちの「♪セェ〜〜ラッ」の貧困や飢餓を背景にした掛け声、外国人なんだけど、どこか日本の僻地の山麓でひっそりと居を構える寺社にいる巫女みたいに、土屋昌巳に寄り添って呪詛や念仏や真言を唱えるさまなど、色んな音楽的要素があるのが分かるね。クレジットを見ても奴隷たちの掛け声は、土屋昌巳以外何も書かれてないけれどw 苦役の果ての横死。死と隣り合わせの労役。そこからの解放を船に乗せるよう、歌にしたんでしょうか。


9.「ヴェルヴェット・フラワー」

 作詞・作曲・編曲:土屋昌巳

@tpopsreryo:
9曲目「ヴェルヴェット・フラワー」。生々しさと神々しさが前面に押し出されたノスタルジーなバラードでラストを飾ります。怖いくらいに吸い込まれそうなこの最後のスローナンバーの解説も@junnoviさんにお願いいたしましょう。

@junnovi:
曲の冒頭の歌は何でしょう。前の曲の激しくもえたぎった生命の炎の熱を拭い去るような働きがある。その後の透明感のあるアコースティックギターと息の長いフレーズを奏するハーモニカが傾いていく陽射しを表しているよう。このオープニングに限らず、曲全般で奏でられるアコースティックギターの美しい音色ときたら・・・! 土屋ってアコースティックギターの音色もとても良いよね。
それにしても暗いなぁ。ホントに陰気だなぁ。特にサビのメロディに重ねた呟きには背筋が凍るほどの陰気さで怖い。そういえばこのCDの帯には「きれいで、こわくて、ふかい 美しい屈折の音世界。"Life in Mirrors""HORIZON"に続くソロ3部作、堂々完結編」ってあったけど、その通りでホントに怖い。ただ屈折という点においては、杉林恭雄の歌詞を用いた「HORIZON」の方が屈折率は高いと思う。やっぱり説明臭いんですよ。描写じゃないんですよね、土屋昌巳の書く歌詞は。
歌詞にシェーンベルクにエゴンシーレが出てくる。何でここでオーストリア。エジプトじゃなかったの? あと、同じ「FLOWER」を題名に持つ「HORIZON」の「FORBIDDEN FLOWER」との作風の違いと言ったら、何でしょうね。この1年余りの間に土屋昌巳の見に何があったのだろう。隔世の感がある。
リマスターの特別付録ブックレットには、強い虚無感を抱いたとあるのだけれど、まさにそれが楽曲に投影されている気がする。それはこの曲だけでなく、「詩人達の血」にしても、その他の曲にしても、濃淡はあれど、諦念とか虚無感が影を落としてる。
延々と奏でられるアコースティックギターの2つの音の繰り返しがいよいよ葬送の終わりを告げるよう。そして4:00あたりからのギターソロはどこかに召されて行くような透き通っていくような感じがする。最後の女性コーラスで思い出すのがガンダム1年戦争に出てくるララァ・スンが、アムロと初めて会ったときに白鳥が雨の中で湖に落ちて死んでいく行くシーン。何でか知らんけどそれを思い浮かべてしまう。こうして3部作は終わる。何だろう・・・。

@tpopsreryo:
また出たよ、ララァ好きだなあw ガンダム一年戦争はさておき、この楽曲で最後を締める神々しさったらないですよね。そしてこれこそ今回のリマスターBOXの最大のポイントといっても良い楽曲なのです。土屋&成田の連弾アコギの粒立ちの良さが見事に補強されています。
そして3:10あたりからフワ〜〜〜ッと入ってくる美しいシンセパッド。この入り方がリマスターでどのように処理されるかによってBOX自体の成功の可否が試されると思っていたのです。結論からすると及第点ですが、これは本作の最大のハイライトと言うべき部分なので、これだけでもこの企画には満足です。
それとこの曲は「水鏡」と比較してしまいます。「水鏡」では憂いを含むスタートからサビで転調して光が差して救われる感がありましたが、ここでは夕暮れの日差しが差し込むスタートなのに、サビでは耳元で悪魔の囁きを聞かされながらうなされる恐怖のサビで終了するというコントラストが面白いですね。

@junnovi:
センセの言うその3:10からの高音から下り、細く鳴るシンセ。そして4:05のギターの音の美しさ。そうやんね。あ~もぅララァなんて言ってる私が恥ずかしいw

@tpopsreryo:
初めて聴いた時、正直つまらんなあと思っていたんですよ。弾き語りかよ〜ってw でもそこにあんな美しいシンセが入ってくるわけでしょう? 一気に引き込まれましたよ。やはり耳がそういう耳になっているので仕方ないですよね。シンセ万歳なんですよw

@junnovi:
私は、遠い音楽を聴いてるような印象だった。何か遠い対象や遠景を表現しているような。ブラス系の低い音もギターも葬送曲。やがて色を添えるように冷たいシンセが入ってきて、そこにまろみの極みのようなギターソロの登場。そして天啓に応えようと哀切な願いを発する女性のヴォイス。
季節が進み、傾きが増した弱光な陽の光に見る儚い命の声と時の流れ。何を見ても何かを感じるのにも言葉を使う私たちは、どうしてもその意味を考えたり求めずにはおられないのだけど、意味という“呪縛”から逃れられない人間の哀しい性を、その哀しい運命を、どこまでも無為に、どこまでも無色透明に透き通らせるような遠景の音楽がある気がします。少しの間希望が見えたけど、それも含めてあらゆる意味が消失する。そんな侘しさを思います。そう思うと、この無常観や虚無感は、エジプト的というより日本的とも、もっと普遍的とも言える、私たち生命体がこの世から受け止めることのできる最も本当のありように近いことなのかも知れない。それが心理とは言い切れなくても、言葉を凌駕して説明も理解もできない以上、このあたりが認知的限界なんだろうと思う。それを無理して超越しても、それはその人の解釈でしかなく、そう思いたいというその人の心の表れでしかないと思う。

〜エンディング〜

@tpopsreryo:
それでは「TIME PASSENGER」をまとめます。エジプト渡航ショックによる生まれた虚無感・諦念を軸に作り上げられた5thアルバムでしたが、当然中近東〜北アフリカ色も強いものの、実はその地域に偏らず、欧州や日本のエッセンスも取り入れた無国籍なロック&ファンクに昇華した作品と言えます。
国内のミュージシャンを重用しエンジニアも日本人に変更するドメスティックな編成で制作された本作は、思いのほか土屋昌巳のギター縦横無尽に活躍する生粋のギターアルバムといった印象を受けます。これまでも当然活躍していましたが、エレクトロ度が後退してさらにその傾向が顕著になりました。
しかしどうしても虚無感がにじみ出る楽曲が多いのは、ミディアムチューンが約半分を占めるという構成にも現れています。タイトル曲や「バッド・サイン」などキラーチューンもありますが、深みと一筋の光を感じるような音楽的にもますます孤立感を深めた作品になったのではないでしょうか。
そして土屋のソロ活動は一旦ここで終了し、彼はロンドンに渡りプロデュース業に専念することになります。彼のソロ活動はその後97年のミニアルバム「Mod Fish」まで待たれることになるわけです。

@junnovi:
昔は結構好きだったのに、どうしてこうも印象が変わってしまったのかと自分でも不思議に思う。そしてセンセが指摘してるように、生楽器の演奏が多くて、プログラミングはかなり少なくなっていて、却ってギタリストとしての性格が浮き彫りになる構図のアルバムってのは良く理解できるね。
今回の収穫はまさにそこで、ずっとサックス隊のアルバム、だからアラビャでありエジプトであるという思考になっていたから。まんまとジャケットとラムセスにやられてた!
それとやっぱり歌詞の世界が直截だし、説明っぽくて、楽曲などが凝りに凝っているのに残念でならないのと、死に結び付いた諦念の根の深さをあちこちで見るようで、結構ツライ。年を重ねて、徐々に死の輪郭が見えてくると、こういうかたちで示されるのを、遠い世界の遠い音楽として鑑賞することが余りできなくなってくる。避けてるのかも知れないけれど、何も音楽でそれを思い示されたくもないし・・・。
土屋昌巳が当時見たエジプトの観光地から一歩入った裏通りでは、貧困とか、飢えとか、縷々たる死体とか、そういうものがあったんだろうね。それが余りに圧倒的でこういう作品作りになった。生身の体は滅ぶ。そんなことを強く意識すると、デジタルがとかプログラミングがとか正直嘗てほどの情熱をもって意欲的に創作しようという気持ちにはならなくなったのかも知れないね。何か、勝手にそう思ってしまいました。
このアルバムの振り返りのなかで、主義信条などに触れることを私は結構書いてきたけれど、それは、そういう文脈でしか説明できない私の表現の拙さであり、精神的磁場の強い作品であるとは思うけれど、宗教的な解釈や見地に土屋昌巳自身がアクセスしたいのではないと思う。生き物として生命を宿し、やがて死んでいくそのひとつのサイクルを、どう捉えるか。やはり言葉から逃れられない私たちは、意味からも逃れることがとても難しくて、どうしても苦しみ悩んでしまうけど、ただそこにあるだけという認識を直截に感ずるのであれば、それで十分説明がつくのではないかと思う。なんだかへんちくりんなことを最後には書いてしまったけど、当時の土屋昌巳はそんなことを表現せずにはいられなかったんじゃないか、それがこの「TIME PASSENGER」なんではないかと想像しました。

@tpopsreryo:
というわけで土屋昌巳SOLO VOX第5夜「TIME PASSENGER」のクロスレビューは終了です。今回最終回でしたが、皆様5回にわたり長々としたダベリングにお付き合いくださいましてありがとうございました。次回は恐らくつい最近待望の全曲リマスターがなされたあのバンドになると思います。このシリーズの集大成となるであろう次回がいつになるかはまだ未定ですが、何卒お楽しみに!お疲れさまでした!

いいなと思ったら応援しよう!