【エッセイ】娘の4ヶ月健診で、もやっとしなかった話
4月に産まれた次女が、あっという間に生後4ヶ月を過ぎた。
今日は自治体の4ヶ月健診に行くことになっているので、昨晩、夫と一緒に問診票を書いていた。
中々に色んな項目があり、書くのに時間がかかった。
起き上がる時に首がついてきますか? はい、いいえ
うつぶせにすると首があがりますか? はい、いいえ
寝返りはしますか? はい、いいえ
割とのんびり目に育っている次女は、ところどころ「いいえ」に丸がつく。
長女のときは、この「いいえ」に非常にもやっとしていた。
もしかしてうちの子、遅れてる?何か発達に問題がある?
いいえの数を見る度にそう思ってしまうのである。
長女は、身体の発達がゆっくりだった。
ハイハイをしたのは1歳を過ぎてからだったし、
つかまり立ちはその後数ヶ月後。
歩いたのは1歳半健診のぎりぎり数日前だった。
それも、実際は多分ちゃんと歩けてはいなかったのだが、
「これはもう、歩いたも同然よね!」というわけのわからない見栄で「はい」に丸をつけたのを覚えている。
そんな長女も2歳を過ぎて、保育園の同じクラスのお友達と大差ないほどに育った。
身体はまだ不器用なところはあるが、そのコンプレックスをカバーするかのごとくおしゃべりはクラスの誰よりも上手だし、1年前はよちよち歩きでゴールにたどり着いただけで周りの保護者の拍手を買ったかけっこも、しっかりまっすぐ走れるようになった。
人生100年時代。
最初の数ヶ月、1年、2年なんて誤差でしかない。
歩くのが数ヶ月遅かろうが、おむつを人より少し長く履いていようが、ほとんどの場合はいずれは同じような程度になる。
たった1サンプルでしかないが、それはきっと大きな経験だったのだと思う。
次女の問診票では、ためらいなく「いいえ」に丸をつけられる自分がいた。
それにしても、きっと同じように「いいえ」を正直に丸できない親御さんは沢山いるだろう。
どこかの化粧品の広告みたいに、
「発達の程度には個人差があります」
的な一言を、あの膨大な用紙のどこか目立つところに書く優しさを、行政の方には持ってほしいなと思う。