不幸を口にする"毒親"は子供を不幸にする前にカウンセリングを【育児哲学#23】
【哲学】
悲しみというものは
毒のようなものだ。
毒を好むことはできるが、
それで気分が
よくなることはない。
◆フランスの哲学者 アラン『幸福論』引用
幸福になりたいならば、自分の不幸について他人に話さないことである。不幸話は毒だ。毒を好む人や、毒を楽しむ人もいるが、毒によって調子がよくなるということはない。毒は、調子をじわじわとむしばんでいくものである。
人の悪口や自分の不幸話を子供に聞かせコントロールするのは”毒親”
基本的に僕たち人間は自分を「いい人間」「正しい人間」と思いたがる生物ではないでしょうか。
このイメージをたもつために目の前の愛する妻でさえ、意見が違うと「否定」し、悪口をいってしまう。
妻がいないときに子どもに陰口してしまったり、エスカレートして妻と言い争いになってしまう。
そんな経験はありませんでしょうか?
僕も無かったとは言い切れません。
親が子どもに愚痴や悪口を聞かせたいのは、自分が幼稚で未熟な人間だったり、子どもに繰り返し刷り込んで味方にしようとコントロールしているからです。
また、自分の不幸話や苦労話を子どもにする親もいます。
自分の不幸話や苦労話を勲章として生きているのです。
そういった親はだいたい、子どもをコントロールするためにも不幸話・苦労話をつかいます。
「苦労してこんなに育ててやったのに」
”子どもがいうことを聞かなかった”、”子どもが思い通りにならない”ことも喜んで不幸か苦労話にして子どもに言い聞かせます。
”毒親”から育った子供は親を尊敬できなくなり、人を信じられなくなる
大人であれば、人の悪口を聞いたり苦労話を聞かされても、そのまま信じたりすることはないでしょう。
しかし、子どもには判断できません。
”幼少時から刷り込まれてきた悪口”や”言い聞かされてきた苦労話”など、親の話はすべて信じてしまいます。
信じてしまった結果、以下のようになるでしょう。
◆両親がそれぞれ悪口を言っている
→ コントロールされ、どちらかが正しいと思い込む
→ 両親どちらかが嫌われる
→ 大人になっていくうちに冷静に両親がみれる
→ “悪口を言っている方も言われている方にも問題がある”と認識する
→ 親が尊敬できなくなる
→ また、“その場にいない人の悪口を頻繁に言うくらいだから、きっと自分のことも言っているのだろう”と思うようになる
→ 人間不信になる
◆苦労話を言い聞かされる
→ 幼少期の自分が悪いと信じる
→ 自分に自信が無くなる
→ 親のいうことしか聞かず、自分からは何もできなくなる
→ 自立できない
どちらの結果にしても、子どもには不幸しかありません。
勇気が必要ですが自分を”毒親”だと認め、カウンセリングを通して自分と向き合い”毒親卒業”を目指す
自分を「毒親」だと認めるのはそうとうの勇気と覚悟が必要だと思います。いままでの自分を「否定」するのですから。
ですが子どもの未来ためにも、その「勇気」と「覚悟」は必要です。
「回復」の最初の一歩は何でしょうか。
それは自力で「ちゃんとした親になること」でもなければ、周りが「ちゃんとした親にさせる」ことでもありません。
「自分の力では自分のことがどうにもできなくなってしまった」という受け入れがたい事実を受け入れること
これこそが回復に向けた歩みの大切な一歩になります。
たとえば「いまは」わが子に対して不適切な関わりをしているとします。
子どもとの問題に対して質問をした答えが「A」と「B」で180℃違ってきます。
A:あの子の問題。あの子が変わるべき。(私は悪くない)
B:私の問題。私が変わる必要がある。
「A」はあきらかに悪化の一途です。同じ悲劇が繰り返されます。
「B」は現実直視。自己改革に取り組める可能性が高いです。
「私は毒親です」
これを言葉にできたとき、すでに回復の歩みが始まっています。
大いなる一歩です。
自分と向き合うのも大変。子育ても大変。
ですが、その両方に向き合うために必要なことは
絶対に孤立しないことです。
身内、友人、行政、支援者、自助グループ・・・など、
どこかであなたの助けになる方がいます。
あきらめずに探してみましょう。
回復に向けて、半分は自分で、残りの半分は「人の力」を借りて「毒親卒業」をめざしていきましょう。