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■ 屋良グスク ■
道の駅かでなの帰り、久しぶりに屋良グスクへ行ってきました。以前、訪れた時、入れないようになっていましたが、今回はちゃんと見ることができました。記憶と違う部分もあるのは道を間違えた?かもしれません。
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さて屋良グスクは屋良集落の北、東西に延びる丘陵上に築かれたグスクです。現在は、屋良城跡公園として整備されており、以前は主郭に米軍の燃料タンクが設置されていたそうです。
そんなこともあり、グスク特有の石積みなどは残っておらず、元々石積みはなかったのでは?とも言われています。
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屋良グスクの詳細な歴史は不明で、伝承によると安慶名大川按司の次男である屋良大川按司によって築かれたと云われています。
かつて、北山と中山と間で「古堅の戦い」と呼ばれる激戦がありました。北山は何度か侵攻を繰り返しますが、ここで破れ敗走しています。
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今帰仁城・三代目、今帰仁按司と絶世の美女と云われた大湾乙樽との間に生まれたのが屋良大川按司と云われています。屋良大川按司は5代続いたとされ、5代目の按司の長男が幼くして死去したため跡継ぎがいなくなりました。そこで長女である真鶴金に安慶名大川按司の次男を婿養子として迎えたとされています。
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のちに第一尚氏によって北山が滅ぼされ、北山王の娘が読谷山古堅に落ち延びました。それを知った屋良大川按司と娘との間に生まれた子があの「阿麻和利」と云われています。
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