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スクラップブック

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沖縄の風景以外にもいろいろ撮影しています。他のマガジンに収められないものはこちらに集めてみるコトにしました(;´Д`)
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#沖繩

■ 軽便与那原駅舎 ■

戦前、沖縄の物流を支えていた軽便鉄道。 沖縄戦とともに姿を消してしまいましたが、JAの移転に合わせて復元されることになりました。 駅舎の後ろをには、当時の柱が残されています。

◾️ 壺川東公園 ◾️

沖縄の鉄道と言えば? きっと多くの人は「ゆいレール(モノレール)」と答えるでしょう。実は戦前、沖縄には「ケービン」と呼ばれた汽車が走っていました。ケービンとは「軽便鉄道」のことで、昔のうちなーんちゅは愛称でそう呼んでいました。 では、そのケービンを見ることはできないのか?いろいろ調べてみると壺川東公園で見ることができるということで行ってきました。 大正3年、現在の那覇バスターミナルと与那原町を結ぶ与那原線、那覇港へ延びる海陸連絡線が運航していました。 大正11年には嘉

◾️ 軽便鉄道那覇駅跡 ◾️

戦前の沖縄には汽車が走っていました。現在の新那覇バスターミナルの開発で工事中に軽便鉄道那覇駅跡の遺構が見つかりました。一般者向けの現地見学会が行われたので行ってきました。 写真は、転車台の中心部。手前に穴が4つ空いてます。かつては、木の杭が打ち込まれていて転車台を支えていました。現在は腐ってしまい穴だけが残りました。それでは、なぜ杭が? 何度か書いていますが、かつての那覇は大部分は海でした。那覇バスターミナルも那覇駅ができる以前は海でした。そこで駅を建造する際、木の杭を打

◾️ パイプライン通りの線路 ◾️

大平特別支援学校前バス停近くにある「線路」を撮影してきました。久しぶりに行ってみるとキレイに整備されていました。 パイプライン通りには1922年から那覇~嘉手納線が運行し、浦添では内間・城間・牧港の3ヶ所に駅舎がありました。内間と牧港は無人駅、城間駅は駅長1人と駅員2人がいたそうです。 沿線の住民のばかりでなく、農家がさとうきび搬入などでケービンを利用しました。そんなケービンも沖縄戦で損壊してしまい、運行が廃止となりました。この線路は1991年の改良工事の際に見つかり、こ

真栄原の面白看板シリーズ

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■ 眞嶋優 ■

◾️ Lalami ◾️

北海道札幌を中心にセルフプロデュースで活動するシンガー。活動の幅が広く、声優、ラジオパーソナリティ、サブカルチャーのジャンルでも活動。テレビ東京の番組「勇者ああああ」のEDテーマでも楽曲が使われたそうです。 7年間の活動の集大成として、Lalamiの歌を全国のCD店で買えるようにするため、クラウドファンディングでワンマンライブの音源CDを届けるプロジェクトを行なっています。

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■ 君の隣のラジかるん ■

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■ 鶯籠 ■

■ 那覇の由来 ■

沖縄の県庁所在地「那覇」、かつては琉球王国の王都でもありました。それでは「那覇」という呼び名、その由来を知っていますか? 国際通りに那覇の古地図が埋まっていて、現在の那覇港辺りは完全な海でした。戦後、埋め立てられたんですね。では、かつての面影をみることはできないのか?ということで調べてみると、那覇市にある「夫婦瀬公園」に名残りがあることがわかり、行ってきました。「琉球国由来記」によると、昔キノコのことを「ナバ」と呼び、キノコの形をした怪石を「ナハ」と言っていまし た。公園内

マムヤの呪い

 東平安名崎の灯台に向かう途中、マムヤの墓があります。村一番の美女と言われたマムヤに起きた悲劇を紹介します。  かつて保良(ほら)村にマムヤというニフニリ(香草)の香りがする絶世の美女が住んでいました。マムヤを妻にしたいという役人達から結婚を申し込まれますがすべて断っていました。断っても男達が訪れるので、姿を消してしまいます。  しかし、隠れて機織りをしていたマムヤですが、野城按司に見つかってしまいました。按司とサンゴの石垣積みと芭蕉の糸を紡ぐ勝負でマムヤは負けてしま

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■ ジョン万次郎上陸の地 ■