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BBAが軟骨ピアスを開けた話

ピアスについてあれこれ書いては消してを繰り返しています。前に読んでいただいていた方々本当にごめんなさい!

耳への執着半端ないけど、この想いを他人に伝えるのは難しい...

私は18くらいの時にピアスを開けた。
父も母も常時ピアスをしている人で
(父親がピアスをしているなんて当時はかなり珍しかった)
私も早く開けたいなと思っていた。
学生の時はピアスなんかしてたら当然怒られてしまうので卒業して少し経ってから父にピアッサーで両耳1つずつ開けてもらった。
父はキラキラ輝く一粒の黒いピアスを片方だけにつけていて、それがとても素敵だった。

その後、皮膚の弱い私は安いsilver925や適当なメッキ物だとあっという間にかぶれてしまい、耳が腫れたりジュクジュクしてずっと痒いので思ったようにオシャレピアスがつけられず、苦労した。
20年以上前の事なので今みたいに可愛いデザインの物が手軽に買えるプチプラのお店はどこにも無かった。

当時札幌で生活していた私は大通りにある4プラの7階、アクセサリー屋がぎゅうぎゅうにひしめき合っている場所をブラつくのが大好きだった。どちらかというとワイルドなデザインが多かったがいろんなアクセが所狭しと並んでいたのだ。
海賊船の船長室のような、薄暗い洞窟の行き止まりにあった宝の山のような、そんな場所だった。
ちょっと高いものを眺めながら「いつか買いたいな」なんて思っていた。

ある日、働いていたお店に物凄く大きなピアスをつけたお兄さんが新入社員として入ってきた。私はその人のことが気になって仕方なかった。
それは好きとかそういうんじゃなくて、なにせ、耳につけたピアスが大きいってもんじゃない。穴、穴なのだ。
黒くて大きい物体が耳たぶに入って「たぶ」が「輪っか」になっちゃってる。
二十歳になったかならないかの私は驚愕した。世間知らずの田舎娘ではあったが、街にはよく買い物に出ていた。世の中には知らない事が多過ぎる。

人見知りの私はそのお兄さんには話しかける事が出来ず、雑誌かネットで調べどうやらそれはボディピアスの強化版みたいなものだと知る。なんだか外国の民族アクセサリーみたいだ...
親にこれをやってみたいなんて言ったら怒られてしまうかもしれない。友達はドン引きしちゃうかと。そう思った。
...思ったけれど、みんながやらないような事をするのが当時の私のブームだった。
遅れに遅れた厨二病だったのかもしれない。

その後私はそれを真似て(?)少しだけ太めのボディピアスを買った。4プラのアクセサリーがひしめき合うお店に行って、よくよく見るとそういう太くて大きなピアスも売っていることに気づいた。私の友達にはピアスを開けている子がまだいなかったが、これを見せたらひっくり返るかもしれない。

太めのピアスはしっかりしたステンレスでかぶれることはなく、着け心地は良かったが穴に対して結構無理させている状態だったのでよく頭痛を起こしていた。

ピアスホールがなんとか落ち着いてきたあたりで私自身も好きなデザインのピアスが定着した。
私はこだわりが強く、あれこれ着せ替えて楽しむよりも1番気に入ったものをずっとつけっぱなしにするタイプの人間だった。

ほんの少し穴を拡張しただけで頭痛が酷くなったので結局輪っかのピアスをつける夢は断念した。

時は流れ、私は数年お付き合いを重ねた男性と結婚してその後子供を産んだ。

お産の時はアクセサリーを全部外さないといけないのでもちろんピアスは外したのだが、その後子供が私の耳たぶを触りながらじゃないと眠れないようになったのでそのままつけずに生活して、ついにはピアスの事なんか忘れてしまっていた。

さらに時は過ぎかれこれピアスを外して15年が過ぎていた。
大きくなった子供がオシャレに興味を持つようになり、大きくなったらピアスを開けたいんだと言うようになった。

私の耳の穴なんてすっかり塞がってしまっただろうと思っていたのだが、子供とお店でイヤリングを選んでいた時になんとなく一緒に買ってみたピアスをつけてみたら穴はまだしっかりと開いていた。

ああそうか、私はまたアクセサリーをつけてもいいんだな。
いつの間にか43を過ぎていたけれどまだ少しくらいオシャレを楽しみたいなとその時思った。

10代20代の頃に私は軟骨ピアスにも憧れていた。
凄く痛そうだし、父に何度も開けてもらうのも気が引ける。ピアッサーだって安くない。
そう思って後回しにした結果、やらずに歳をとった。

何かのきっかけで「死ぬまでに本当にやりたい事を100個書き出す」を考えていた時に、そういえば若い時にやり残したなぁと思い出した。

その時たまたまちょっと嫌な事があってムシャクシャしていたのもあったのだが、思い切ってネットでニードルとステンレスのピアスを買って勢いで開けた。
ピアッサーよりもニードルの方が痛くない。
針が鋭過ぎて穴の位置を下がってちょっとだけあてがってみたつもりが刺さっちゃってた。くらい痛みが少なかった。

かなりハイになっていたんだと思う。躁状態が続いていたのか、気づいたら2カ月で6つも開けていた。
イヤーロブに2つ、アンテナヘリックスに3つ、アウターコンク1つ。トラガスも気になったが相当痛そうだし開け方がわからない。

アンテナヘリックスは3つのうち1つは開ける位置がちょっとズレて均一にならなかったのがちょっと心残りだが、尖ったコーンのピアスをつけられるようになったのがとても嬉しい。

欲を言えばもう少し開けたいのだが、どうしようかな。片耳しかやってないけどもう片方もやるか迷っている。
開けたてはそれなりに痛いので枕が耳に当たらないようにずっと横向きで寝ている。

BBAだけど、バチバチのピアス耳になってしまった。
穴が定着してしまえばその時々で髪で隠すなり付け外しすればいいのだし、誰にも文句言われない。

開けたからって別に何でもない話だったかもしれない。
だけれども、私の中では久しぶりにしてやったりな、勇気を出して行動した事だった。
誰にも、何にも役には立たないかもしれないけれど、この先私は私の為に生きて行こうと誓いを立てる儀式的なものだったのかもしれない。

さぁ、次は何をしようかな。
やり残している事は沢山ある。
挫折を繰り返して既に疲れ切った初老のババアだけれど、人生はまだ半分くらい残っている。

どうせ生きているんだったら、なにか自分が楽しいなと思うことをやりたい。

普通とちょっと違う、外れた人だけれど
それはそれなりに。

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