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「況や悪人(ワル)どもをや」No.1

題名
「況や悪人(ワル)どもをや」

初めに、
下記URLには、本作、第二部の、メイン舞台となる、
狩勝峠、狩勝トンネル、機関車などの写真が収録されています、参照して本編読んで頂ければ、文章では表せない、生の情景が、あなたの脳裡に映し出されて参ります。
狩勝トロッコ鉄道様にはLinkageのご許可頂いております。但し、収録されている写真の無断転載は許可頂いていません。
http://ecotorocco.jp/railhistory/
http://ecotorocco.jp/railhistory/largecurve1/

第一部

             1,序ノ一、
GHQ・G2キャプテン、ギャルソン准将は窓際に立ち、大きな背を猫背に曲げて眼下の景色を見下ろしていた。
その両の眼に映るのは、数年前、日本に赴任して初めて見た、一九四六年(昭和二一年)五月一日、皇居前広場の、大群衆渦巻く景色だった。

一九四六年(昭和二一年)五月一日、
焦土東京、崩れた瓦礫の山から、焼けて剥き出した土中から、未だに燻り出る白い煙に混じり、人肉の焼ける匂いが、風に寄せられて溜り、吹かれて流れ、辺り一帯、悪臭に満ちていた。
奇跡か、意図か、丸の内一帯を含む皇居前周辺、数ヶ月前まで激しい空爆に晒され、見渡す限り猛煙に包まれた東京の死の景色の中で、周辺全て焼け崩れて瓦礫の山と化した中に、この一帯だけ、昔の風情のまま、灰も埃もかぶらず焼け残り、全くの別世界の景色を見せていた。 
この一画に在る全ての建物は、GHQに強制接収され、GHQ関連部門がそれぞれに建物を占拠し、頻繁に出入りするのは米軍将校か迷彩服の兵士、もしくは軍属の職員の姿だけであった。
 今やこの一画は、敗戦国日本の行政、立法、司法の三権、そして経済、文化、教育あらゆる分野の中枢となり、そしてこの一角のほぼ中央、前面に皇居の堀を挟んで皇城と対峙する第一生命館にGHQ本部が設けられていた。
その第一生命館最上階の一室で、G2キャプテン・ギャルソン准将は窓際に立ち、猫背に背を曲げて眼下の景色を見下ろしていた。
 GHQは、特にGS(幕僚部民政局)主導の下、占領日本の地に、旧勢力、旧権力を駆逐するために、自由主義、民主主義思想を日本国民に広く頒布し、その思想実現の一例として共産主義思想も利用して日本の平和的統治に努めていた。
その政策の一環としてこの日、五月一日を、一〇年振りとなる復活メーデーを許可したのであるが、当初予想した三十万人を遥かに超える五十万の労働者が皇城広場前に集結していた。
 赤く染めた旗や幟を振り、労働歌を歌って腕を組む五十万もの労働者が、皇居前、東京駅前の大道路を占拠して行進する人の群れを、大男ギャルソンは口端を憎々しげに歪めて見下ろしていた。
 時に大歓声が轟き、窓ガラスが地震のように振動して鳴った。そのひとの群れの中心に設えた壇上に、今一人の男が、熱狂する大群衆の歓声と拍手に迎えられて上がった。
「トクダ…」
大男ギャルソンはぼそりと男の名前を呟いた、
徳田球一、だった。徳田はつい先日、十八年間の牢獄生活から解放され、中華民国から帰国した野坂参三と合流して、非合法政治結社、共産党が政党として認可されて以降、労働組合設立に尽力していた。
「方向が違う…奴らには何も解っていない」
ギャルソンが云う「奴ら」とは幕僚部内民政局(GS)のことを指し、「方向が違う」とはその民政局が指導し誘導する日本占領政策が間違っていると指摘しているのだった。
軍事に直結する参謀部G2と民政を管掌する幕僚部GSとは元からその施政方針は違い、悉くに対立していた。
皇城広場前、徳田の声がスピーカーから空に向かって割れるような音声で鳴り響き、徳田が時に拳を突き挙げる度、群集はシュプレヒコールで呼応した。
一〇年振りに復活したメーデーは官憲から、一切検束しないことが事前に表明されていて、政府批判、労働者権利の擁護、賃上げの要求を声高々、激して叫んだ。
「親父の意志ではない…」
大男ギャルソンの云う、「親父」とは、マッカーサーを指す、マッカーサーにとって「アカ」は、赤匪、すなわちソビエトであり、毛沢東であり、この二人に犬のように付き従う、金日成、だった、そしてマッカーサーの
「意志」とは、
赤匪を地上から殲滅することだった。
 しかしGS(幕僚部民政局)は、まるで赤子がみるような夢を抱いて、この日本を「極楽浄土」の地にせんと「アカ」どもの増殖を試みた。
GSは知らないのだ、「アカ」には自由の思想など欠片もないことを知らないのだ。赤匪の土地に「自由」の芽は芽吹く筈もなく、「アカ」の支配者、独裁者にとって、「自由」とは百万の敵兵に、いや銃を構えた側近に囲まれるより恐ろしいものなのだ。
奴らは履き違えているのだ、「アカ」は「自由」の芽を餌にして食って生きていることを。