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論語と算盤 要約④ 仁義と富貴

真正の利殖法

自分だけが儲かればいい、
世の中の事など、どうでもよいという人が増えると、
国の機能は衰え、社会は機能しなくなる。

逆に、

仁義道徳こそが大切だという、理想論ばかりを振りかざし、
利益を否定した風潮が強まるとどうなるか。

かつての宋王朝がその状態に陥った。
覇気がなくなり、生産力が下がり、
モンゴルが攻め込んできた時、どうしようもなくなり、
内輪揉めをした挙句、滅亡してしまった。

大切なことはバランスだ。

多くの人が、駅の改札口に向かって
自分だけの事を考えて、並ばずに殺到したら、
誰も通れない状態になる。

理想的な状態は、
前進したい、利益を得たいという欲望を持ちながら、
世の中の事を考え、
社会道徳と道理に沿った行動をすることであり、

それこそが、真正の利殖法だと思う。

効力の有無はその人にあり

「人と交流するには黄金が必要だ。
黄金がなければ、人との関係も深まらない。」

という言葉がある。
お金は人間関係まで左右するとは、甚だ残念な事だと思う。
しかし、よく考えてみると、

親睦会で飲食しながら友情を深める、
久し振りに来てくれた旧友を接待することなど、
確かにお金がなければ出来ないことでもある。

「銭ほど阿弥陀は光る」
「地獄の沙汰も金次第」
という昔からに言い伝えられてきた言葉がある。
確かに、お金には威力がある。

お金には威力があるが、お金自体には意志はない。

お金の意志とは、所有者の意志である。

所有者の人格によって、悪にも善にもなるもの、
それがお金である。

邦道あって、貧かつ賎しきは恥なり。邦道なくして、富かつ貴きは恥なり。

邦(くに)に道があるとき、貧しく且つ賤しきは恥なり。邦に道なきとき、富且つ貴きは恥なり。

善政が行われている国家(企業)において、大して役に立たず、貧乏で無名の生活をおくるのは不名誉なことである。
善政が行われていない国家(企業)において、財産をもち高位に上るのは不名誉なことである。

世の中に立つには、お金に対する覚悟が必要だ。

孔夫子の貨殖富貴観

儒教で最も誤解されてきたことは、孔子の貨殖富貴の思想だと思う。

徳と経済活動は相いれざるものだと思われてきた。

しかし、
「経済的に豊かな者に、徳のある者はいないから、
徳の優れた人物になりたければ、豊かになろうとするな」とうような
意味の文章は、孔子の言葉のどこを探しもないのである。

富貴に溺れて人間性を失う事への戒めは述べているし、
道徳がなく豊かになる位なら、貧しいままの方が良いとも言っているが、
正しい道徳観をもって豊かになるのは、まったく差支えがないというのが孔子の主張だ。

孔子自身がそれを求めて行動していたのだから。

防貧の第一要義

貧しい人たちを助けることは、当然のことであるが、
助けすぎて、依存させては良くない。

そのため、なるべく直接保護はせずに、
租税を軽減したり、塩の専売権の解除など、暮らしやすい法律に変えるのが良いだろう。

どんなに苦労して築いた富であっても、
自分一人で築いたものだと思うのは見当違いである。
人は、自分一人では何事も出来ない。

国家があるから安全に経済活動が出来たのである。
そう考えると、富を増やせば増やすほど、社会のサポートを受けている事になるので、その恩恵に報いるのに、救済事業を行うのは富者の当然の義務になる。

しかし、慈善事業には注意も必要だ。
貧しい人に多大なる金銭を与えるものであってはならない。
また、ちょっとした出来心や、見栄を張るための活動であってもならない。

「安定した社会であり続けること」を願う気持ちで貢献することが大切だ。

罪は金銭にあらず

財産に固執すると、利欲に迷いやすく、仁義の道に外れるやすいため、古来より、東洋でも西洋でも、「お金を稼ぐことは罪悪である」という趣旨の言葉が多く残されている。

しかし法律や社会制度の発展と共に、健全な方法で収益をあげる人が多くなり、利殖と道徳のバランスをとりながら行う傾向が増してきた。
青年達も心して、道義をもって金銭の真価を活用するようにして欲しい。

金力悪用の実例

「一家仁なれば一国仁に興り、一家譲なれば一国譲に興おこり、一人貪戻なれば一国乱を作なす。その機かくのごとし。」(大学)

家族がお互いに思いやりの心を持てば、国全体にも思いやりの心が興り、
譲り合う気持ちをもては、国全体も同じようになる。
一人が貪欲になれば、その国は乱れることになる。

政治家、官僚、実業界の癒着は、国を滅ぼす。
収賄事件は、双方の悪い考えが一致しなければできない筈である。
実業家の人格を高めることの必要性を痛切に感じる。

義理合一の信念を確立せよ

利あれば必ず害がある。

利益を得たいという想いは強くなりやすい。
そのため、富を優先して道義を後回しにしてしまう傾向に陥りやすいのが、人間の弱点だ。
それが行き過ぎると、金銭が万能だと思ってしまい、
精神を軽視して、モノの奴隷になってしまう。

明治維新以降、西洋文明を輸入して豊かな国になったが、
精神を忘れてしまってはいないか。
物質社会の西洋思想が導入され、悪影響を及ぼしている。

それを防ぐ方法は2つある。
ひとつは、西洋思想の性質を研究し、これに適切な方法を投じること、
もう一つは、道徳にそった精神力の強化して、
物質至上主義に影響されない素質を養成することである。

富豪と徳義上の義務

富豪たちは、社会から儲けさせてもらっていると思い、
公共事業やボランティア活動のみならず、
常に多くの人に門戸を開き、チャンスの可能性を見つけることこそが、
社会に対しての徳義上の義務である。

だが、豊かになったり、有名になると、
自分を訪ねてきた人に合うのが億劫だ、面倒だといって、
引っ込んでしまう人が多い。

それでは折角の賢者に遭う機会を失ってしまうし、
社会を無視することになってしまう。
豊かな者たちが社会貢献をしないと、
富豪怨嗟の声が高まり、社会主義の傾向が強まり、
結局、大不利益を被ることになるだろう。

よく集めてよく散ぜよ

お金は貨幣の通称である。
太古の昔は、物々交換であったが、今は貨幣さえあれば、どんなものでも手に入る。

故に、貨幣のあるべき姿とは、
貨幣と交換する対象の価値が同じであることが大切だ。

また、貨幣は分けるのにも便利である。
例えば1円の湯呑を、二人で分けようと思っても分けられないが、
貨幣に変換すれば、分割は可能である。

このように、貨幣は物質の代表であり、社会の力をあらわすための、大切な道具である。
そのため、これを大切にしながら、社会を活発にするために、良く集め、上手に使っていくことが大切だ。

例えば、医者が人の命を救うメスも、狂人に持たせると凶器になる。
年老いた母には滋養になる飴も、盗賊が用いると音を立てずに扉を開く道具になってしまう。

用いる人によってその価値が大いに変わる。

しかし、お金は大切なものであるということを、間違えて解釈し、むやみに貯め込んで使わない人がいる。

お金に対して注意すべきことは、無駄遣いと共に、
ケチになってため込んでしまって、使うのを惜しむことだ。

よく稼ぐことを学ぶのと同時に、
きちんと使うことも学ばないと守銭奴になってしまう。

若い人たちは、しっかり稼ぎ、きちんと使うことを学んで欲しい。

山脇史端
参照 論語と算盤 (角川ソフィア文庫)/渋沢栄一

毎朝15分、論語と算盤を読んで、これからの生き方を考えよう。

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