老子と学ぶ人間学② なぜ日本は意思決定が遅いのか。
老子の説いた「道」は、
孔子の述べている「道」とは概念が違う。
老子の伝える「道」は、
視覚的にも聴覚的にも触覚的にも
捉えることが出来ない、微妙な世界だ。
1.老子の道とは何か。道徳経第十四章
これを視れども見えず、名づけて夷(い)という。
これを聴けども聞こえず、名づけて希(き)という。
これを搏うるも得ず、名づけて微(び)という。
(道徳経第14章)
老子の「道」は、曖昧で微妙なものであり、
言葉にすることが出来ない
孔子のように、「善」「義」と
言葉で説明できればわかりやすいが、
言葉で発した途端、
「偽善」「不義」という言葉が生まれしまい、
相対的になるため、言葉に出来ないという。
相対性とは、相手との比較概念なので、
対象にする人・時・場により変化する。
つまり、相手が自分より善人だと、
自分は不善人(悪人)になり、
相手が悪人だと、自分は善人になる。
その概念の中に居座り続ける限り、
自己を他者と比べ続け、いつまで経っても、
心の平安は訪れないと老子は言う。
2.老子の道と仏教の空
老子の「道」は、どちらかというと、
仏教の「空」に類似している。
というより、
仏教がインドからシルクロードを
往来する商人を通して伝来した際、
中国民衆に親しまれていた老子の思想で、
仏教が解釈されたという経緯がある。
つまり、老荘思想が既にあったから、
仏教を受け入れやすかったともいえる。
仏教の「空」と、老子の「道」は、
似て非なるものだが、
孔子の「道」よりイメージとしては近い。
それでは、老子の説いた道について、
道徳経を通して辿ってみよう。
3.道とは一元 道徳経 第四二章
道は一を生じ、一は二を生じ、
二は三を生じ、三は万物を生ず。
万物は陰を負いて陽を抱き、
沖気以って和を為す。
道は、一元という不変の概念から生じている。
一元から「陰と陽」の二元が生み出され、
「陰と陽」の相対する二元から、
中庸(中極)が生まれ、三元が生じる。
中極は、陰を背負って陽を抱く、
つまり、陰陽という、対角線上の真逆のもの(対沖)を中和した概念だ。
二元でいる限り、対立軸から出られないが、
中極という概念が生まれたことで、
三元は安定数になり、万物が創造される。
人間を例にとってみよう。
人間という概念は一元で、不変だ。
そこに、男女の概念が生じ、二元になる。
男女という相反する気(沖気)をぶつけることで
生じるのが子供であり、未来、多様性だ。
つまり、様々な事象、万物が生じるのだ。
男だ、女だといっている内は、
相対的概念なので、どこまで行っても平行線、
交わることはない。
二元論にいる限り、どちらが良い悪いになってしまい、ダイバーシティ(多様性)も、インクルージョン(包括性)も生まれない。
男性だから、女性だから、
白人だから、黒人だからと二元論でいる限り、
対比概念だけで包括されないからだ。
このように考えるのはやめよう。
多様性を認めて包括しようというのが、
ダイバーシティ&インクルージョンの概念だ。
それを一元論で考えるのか、
三元論で考えるかでソリューションは違う。
人間は一つ、世界は一つと考えるのは、一元理論であり、今まで世界が追い求めていた理念であり、未だに到達出来ていない理念でもあるということで、一元論では難しい考えるようになった。
一元理論だと、
何をどうすれば良いのか分からなくなるからだ。
そうではなく、
お互いの多様性を組み合わせて、三元の世界を創りだそうというのが、今提唱されている新しい概念ではないか。
企業が、ダイバーシティ&インクルージョンに夢中になっているのは、そこからイノベーションが生まれることを知っているからだ。
そう、万物は三元から生じる。
陰陽和して合となす。
この考え方こそ、中国思想の基本である。
4.元気・幸せとは何か。
「元気」とは、元の気、一元を示す。
そのため、「元気になって!」といわれても、
何を元気にすれば良いのか分からない。
「お元気ですか?」と聞かれても、
心のことか、身体のことか、
それとも家族のことか、仕事のことなのか、
自分を取り巻く人間関係のことか、
自分の何を示しているのか漠然としてしまい、
答えに窮してしまうだろう。
元気とは一元の世界、
つまり、深淵のさらなる深淵のものであり、
それが「元気なのか」と聞かれるので、
すぐに答えられないのだ。
「幸せですか?」という質問も、同じこと。
幸福感も一元なので、
お金の事か、仕事なのか、
家族の事か、地球環境なのか、分からない。
深淵のさらなる深淵を探っている内に、
曖昧なことしか言えず、
幸福感アンケートは終わってしまい、
日本人は幸福ではないと判断され、
幸福度ランキングが下がってしまうのではないか。
アメリカ人は外的要素で捉えるため、
私はお金がある、家もある、健康だ、家族を愛している、
”Yes, I am Happy!”となるが、
我々は、深淵なる内的要素も捉えるため、
答えに窮してしまうのだ。
5.なぜ日本企業の意思決定は遅いのか
日本企業は、意思決定が遅いと言われている。
欧米企業のように、利益や条件などの
外的要素だけでなく、
組織の深淵なる深淵の内的要素まで考慮するため、
意思決定が遅くなるのではないか。
幸福感と同じように。
深淵なる深淵の内的要素とは、
創業者や、重役やOBなど、
さまざまな人たち、関係者の想いと、
各派閥の面子や立場を忖度しながら、
孔子的配慮で、上位の者に礼を尽くし、
丁寧に調整しながら判断を導きだそうとするため、遅くなるのだ。
6.意思決定を早くするソリューション
道徳経を読んでみると、深淵なる深淵に「不変のもの」を求めるとある。
つまり、「不変のもの」があることで、安心して変化ができる。
逆に言うと、「不変のもの」が不在だから、不安になり変化が出来ない。
「不変のもの」とは企業理念や社会的意義だ。
例えば、
人間の一元を「人間」としたら、
会社の一元は「会社」になる。
それなのに、「人間」だと勘違いしてしまい、
会社の理念より、社長のやりたい事や、役員や社員の気持ちを考えてしまうため、根底が揺らいでしまうのだ。彼らは人間であり、会社ではない。
根底が揺らいでしまうと、不安になり、
組織全体が硬直し、現状維持志向が強化される。
そのため、意思決定が遅れ、チャンスを逃す事に繋がるのではないか。
日本人は、「不変のもの」を求めている割には、
評価基準が不明瞭であったり、
就業規則や定款に独自性がない。
創業時にパターン化した文章を用いることが多いからだ。
そのため、時と共にコーポレートガバナンスが不明瞭になり、いざという時の指針が不明瞭化するのが、日本企業の特徴でもある。
変化の基準が不明瞭になり、
どう変化したらよいのか判断できず、
判断スピードは鈍化する。
一元が不安定になることにより、元気・活力も喪失する。
7.諸子百家コンサルタントに聴く
意思決定を早くするにはどうすればよいか、
諸子百家コンサルタントに聞いてみた。
孔子コンサルタント
「経世済民」世を治め民を救う。
つまり、個人や会社という狭い利益で考えずに、自分たちの活動を通して、世の中にどう役立つかという視点で考えなさい。
韓非子コンサルタント
予定していた業績を上げられなかったり、社員規範に違反する社員は、如何なる理由があろうとうも解雇すること。社員規範を遵守しながら達成できた社員にはボーナスを支払うという法(ルール)を明確化し、何があってもそれを遵守するべきだ。
老子コンサルタント
あなた達が手放したくない、維持したいと固執している今の体制や現在の収益を維持し続けることなど、100%ありえない。
必ず変化していく。それが自然の流れだからだ。
そんな不安定なものに、なぜあなた達は固執しているのか。
そこに固執している限り、いつまで経っても安寧は訪れないだろう。
潮がどう流れているか、水がどう流れるか、
無邪気な赤子の視点で物事を捉え、柔軟に対処せよ。
孫子コンサルタント
「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」(孫子 諜功編)
力づくで戦うより、ひとのこころを捉え、自然に動くように誘う方が、コスト的にも遥かに有益で、持続性もある。
社長や重役たちをどのように動かせばよいのか。戦わずして勝つ。
わが社はこれをモットーとし、様々なやり方を提供します。
あなたの会社、どのコンサルタントを選びますか?
東洋古典には、ケーススタディとその結果、
改良法が沢山記載されている。
しかも2500年に渡り、様々な民族を相手にしたデータベースだ。
古典といっても埃を被ったものではなく、現代に役立つ指南書だ。
現在の中国は監視社会で、データ管理されているというが、何も今に始まったことではない。
人をどう共感させ、どう動かせばよいのか。
東洋古典にはその蓄積があり、
それこそが、東洋古典の真髄ではないかと思う。
山脇史端
一般社団法人数理暦学協会