荀子×運命学① 『学問のすゝめ』
中国思想愛好者に、
「荀子」を読んだことがある?
と聞くと、
「あれは性悪説だからね」と、
スルーされてしまう事が多い。
人は誰も、「自分は善人」だと思い込みたい。
故に、「性善説」の孟子は人気だが、
荀子は歴史的にも排斥され続けてきた。
そのため、解釈本も極めて少なく限られている。
「性悪説」を唱えた荀子とは一体誰か?
彼は孔子の弟子か、儒家なのか。
荀子は、孟子と同じく孔子の弟子で、
儒家である。
時代的には、
秦の始皇帝の補佐をした李斯が、
荀子の弟子であったことからも、
戦国時代の最末期に登壇した諸子百家。
孔子は、紀元前552年頃~479年の人物、
荀子は、紀元前298年頃~ 紀元前238年頃の人物とされている。
つまり、荀子の性悪説は、
孔子没後、約200年後に登場した考え方だ。
性善説を唱えた孟子は、
紀元前372頃~前289頃なので、
孔子の没後、100年頃に生まれており、
孟子が没してから、
10年後に生まれたのが荀子になる。
何が言いたいのかと言うと、
諸子百家がほぼ出尽くして、
論争し尽くした。それでも動乱は収まらない。
孟子の性善説に従い、個々が仁義礼智を備えれば、
社会は良くなり、国も収まると言われてきたのに、
一向に収まらない。
そんな戦国時代の最末期に登場した思想家であり、
逆に言えば、
荀子の理論で戦国時代は収束を迎えることが出来たのだ。
性善説vs性悪説
性善説を唱えた孟子と、
性善説を唱えた荀子は、
真逆の存在のように思われているが、
思想家としての出発点は同じく、孔子である。
両者とも、孔子の教えで、
「乱世を収束させる」ことを目的としていることに変わりはない。
違いは、アプローチが正反対だったことである。
孟子の性善説
孟子は、正しい人格をもった人間が、
周囲の人に影響を与え、
その結果、周囲の人も正しくなる。
その正しい個人の集合体として、
社会平和を実現しようとした。
例えば、社長自身が、
仁義礼智を備えた正しい人間になれば、
社長の善人としての人格が。
社員に影響し、
会社全体が正しい理念を持って、
正しい行動を行い、
「社会平和を実現させる」というアプローチだ。
荀子の性悪説
荀子は、人間は生まれつき、
楽な方に行きたがる性質があり、
放っておくと怠けてしまう。
それこそ、「生まれ持って人間の本質」と考えた。
つまり、そのまま放っておいたら、
いつまで経っても社会平和など実現できない。
そのためには、礼を更に発展させた法制度を作り、
人間を善なる存在に改良することこそ、大切なのだと考えた。
社員は、給料が滞りなく貰えるなら、楽な方を好む。
そのため、放っておくと怠けてしまう。
これは人間なら当たり前の性(さが)である。
このまま放置しておけば、事業は滞り、
事業理念も達成できず、
社員個人も成長せず、会社は傾いてしまうだろう。
そうなると、社員を解雇せざるえなくなり、
結果的には、彼らにも迷惑をかけてしまう。
そのため、会社に厳格な就業規定ルールを作り、それに社員を準じさせる。
準じなければ左遷する。それがルールだからだ。
そのようにして、社員をコントロールし、事業を行うことで、社会平和を実現させようとするアプローチ。
これが、荀子方式だ。
つまり、両者とも、目的は孔子の教え、
「仁義礼智に則した平和社会の創出」であるのだが、
それに至るアプローチが真逆なだけ。
孟子は、善なる個人から、組織で行うと説き、
荀子は、組織で規定を作り、悪なる個人を動かすと説いた。
私たち…実は、荀子方式
このようにみると、
結構我々のやっていることは、荀子方式の方が多い。
校則を厳しくする理由。
それは、生徒を信じていないからだ。
子供など放っておくと、悪い方向に行く。
そのため、髪の色まで規定した校則を作るのだ。
孟子方式であれば、
教師が人格者になれば、自然に生徒は影響感化される。
だって人間はそもそも善良なのだから。
校則などなくても、自然に善なる人間になるだろう。
我が子に対し、
「言う事聞かなければ、小遣いをあげない!」っていうのは、子供を信じていないから。
孟子ママだと、
まず、自分が仁義礼智を備えた人格者となり、
子供や夫に影響を与え、家庭を平和にする。
そんな平和な家庭が、マンション全体にも影響を与え、
管理組合も平和になり、
そんな平和なマンションの存在が、
町内にも影響を与え、
夏祭りなど善人たちが調和して開催する。
そんな素晴らしい町が、市に影響を与え…
となるが、そんな事をやっているから、
200年経っても、平和が訪れなかったじゃないか!と唱えたのが荀子だ。
荀子方式のやり方を実践するとどうなるのか。
荀子の弟子の李斯が、始皇帝を補佐、中国を統一した。
つまり、荀子は、孟子ら先輩の後から登場しており、
「先輩たちのやり方じゃ、甘いんじゃないの?」と思ったのだろう。
故に、先輩の出した「孔子の世界の実現法」のアプローチに異を唱えてた。
人の性が本当に善人だったら、社会はとっくに良くなっている。
人の性が、
孟子先輩の言う通り、生まれ持って善ならば、
なぜ古来から礼制度という規範があるのか。
なぜ社則があるのか、
なぜ校則があるのか。
生まれ持って人間が善ならば、
決まり事など作らなくても、争いごとなどないはずだ。
荀子の名前こそ知らなくても、
結構私たちの考えは、荀子式。
特に近年、習近平総書記が深く荀子に傾倒してると、注目されている。
習総書記は、文化大革命時青年の頃、地方農場で労働を課された時に荀子全巻を読破したと言われている。20巻、32編、結構な量だ。
中国が進めている、芝麻信用に代表されるような、ITテクノロジーを活用したメリトクラシー的な社会信用システムなど、極めて荀子的発想だ。
人民など信じていない。
だから、ITで格付けをする。
その方が早く的確に、社会平和が実現できる…と。
皆様、荀子に興味を持って戴けただろうか。
これから少しずつ、面白い箇所をピックアップして、
読み進めたいと思っている。
青や藍より出て藍より青し
荀子の名を聞いたことがない人も、
「青は藍より出て、藍より青し」
という言葉は聞いたことがあるだろう。
かの有名な「出藍の誉れ」は、
荀子の冒頭「勧学」に出てくる言葉だ。
「勧学」とは、いわゆる「学びの勧(すす)め」。
しっかり学べば、弟子は師匠より優れたものになる。
みてごらん、
青い色は藍から生じているのに、
藍より青いではないか。
氷は水から生じているのに、
水より冷たく硬いではないか。
とにかく色々な事を学べ。
博く学べ。
師匠より優れた人物になれ。
人間は生まれ持って愚かな生き物だが、
学問によって矯正できる、
だから学問をやらなければならないのだ。
荀子vs福沢諭吉
『学問のすゝめ』といったら
慶応義塾大学創設者、福沢諭吉先生ではないか。
どうだ!荀子と言っていることが全く同じ。
性悪説なんて、私好きではないと言う前に、
実は私たちの社会は荀子的儒教で成り立っていると自覚した方がいい。
だからこそ、今一度しっかりと荀子を読み解き、
この社会がどうなるのか、運命学的に予測してみたいと願っている。
一般社団法人数理暦学協会
山脇史端 Shidan Yamawaki
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