老子と学ぶ人間学④ニッポンを元気にする方法
1.老子的ニッポンを元気にする方法
ニッポンを元気にするには、どうすれば良いのか。
老子的「元気になる方法」とは、
「元気を無駄遣いしないこと」
営魄を載せ、一を抱きて、能く離れること無からん乎。(道徳経 第十章)
この先どうすれば良いのか、方向性に迷う人は、
まずは、基本である自然原理に戻ろう。
自然の法則と一体になって生きていく事を意識すれば、
方向性は自然に見えてくるよ。(山脇超訳)
地球 そして大自然のエネルギーは莫大だ。
その大なるエネルギーに抗おうと、
人間がゴチャゴチャと余計な事をするから、
気(エネルギー)が散乱してしまい、
地球からエネルギーが奪われる。
エネルギーが奪われた、元気のない地球に
住む人々が、活気を失うのは当然だ。
自然に抗わず、
無駄な気を浪費させないことこそ、
元気になる一番の方法ではないか。
これが、老子の無為自然論だ。
私たちは、ニッポンを良くするために、
日々努力をして頑張ってきた。
明治以降、欧米諸国に追いつかねばと、
国民が一丸となり、国の発展のために尽くしてきた。
ニッポンのために忠実に、
懸命に働くことこそ美徳であると信じ、頑張り続けてきた。
その結果、なぜか今元気がない。
今まで一生懸命に、
「ニッポンを元気にしよう」と思ってやってきたことは、
地球からみたら、自然エネルギーを奪うだけの余計な事。
地球は一元、その気の元の破壊行為ではなかったのか。
根本の元気の弱体化だ。
ニッポンを元気にしようと、
山を切り開いて街を作り、産業を興してきたが、
老子からみたら、無駄な資源の浪費であり、
ニッポンを元気にするどころか、環境を汚染してきただけのこと。
環境破壊の結果、元気を喪失したのは当たり前。
それが老子的解釈だ。
2.やる気になるにはどうすれば良いのか
何をやるにも、イマイチ、やる気が出ない場合、
老子に相談したら、何ていうだろう。
儒教教育の影響を受けているあなたは、
「自分の役割を担い、社会に役立つ存在でなければならない」と思い、
やる気のない自分を、どうにかせねばと焦り、
スポーツジムに通ったり、
栄養ドリンクを飲んだり、
モチベーションをあげようと、
エステや、ショッピングに行ったり、
気分転換でもしようと、
旅行したり、友達と食事をしたり、
様々な事を試みるだろう。
老子的には、それこそ正に逆効果。
その行為の全てが、地球環境を破壊している。
あなたが余計な事をすればするほど、環境を破壊し、
自然エネルギーが弱まり、
当然の事ながら、
生態エネルギーも弱まったのだ。
元気になりたければ、無為自然。
せめて自然エネルギーが少しでも強い場所に行き、
自然のリズムと共調して、余計なことはせずに自由に生きよう。
それなのに、地方に引っ越しながら、
利便性を追求する人がいる。
利便性を追求したいのなら、都会にいたままにしてほしい。
その方が環境の破壊はないのだから。
そして、そもそも老子は、
やる気など出す必要はないというだろう。
3.何もせずに暮らすとどうなるのか
余計な事をしないで暮らすと、どうなるのか。
道徳経 第十六章で老子はこのように述べている。
何もしないと、時の流れが静かにゆっくりと刻み始めるので、
焦る事もなくなるようだ。
虚に到ること極まり、静を守ること篤ければ、萬物並び作るも、吾れは以て復るを観る。夫の芸芸たる物、各々其の根に帰す。
根に帰るを静と曰い、是を命に復ると謂う。
命に復るを常と曰い、常を知るを明と曰い、常を知らざれば、妄作して凶なり。(道徳経 第十六章)
何もせず、静かに暮らしていると、地球はどうなるだろう。
すぐに植物が生い茂り、
長い年月をかけて築いた文明を覆い隠し、
元の姿、自然の姿に還っていくだろう。
しかし、その植物も、青々とどんなに力強く生長しても、
やがては静かに種へと戻る。
この自然の流れは、音もなく静かな動き。
これを、「命に還る」ともいう。
常に絶え間なく、静に動いている地球生命の循環システムを知ることこそ、
「明知」と呼ぶ。
「明知」のない人間がいるから、
計画性もなく、余計なモノを作りだし、
その場限りのことをして、地球を悪循環に陥れるのではないか。
4.「環境問題」の「環」とは「リング」
Environmentとは、古代フランス語 environ (=around) から派生した environerに -ment をつけたもの。
17世紀頃から用いられた言葉の和訳が「環境」で、
人間または生物をとりまく外界という意味がある。
環境の「環」とはリング。
Environmentを環境と置き替えた人はセンスがいい。
リングの中心にいるのが人間で、リングの部分が外界だ。
自然は人間の規範であるにも関わらず、自己の欲望を満たすために、自然を破壊してきた。
自分を取り巻くリングの部分を破壊しながら、中心にいる自己の欲望を満たしてきたが、そのリングが崩れてくると、中にいる自分にも影響が生じてくる。これが今の状況だ。
それでは、これまで時間をかけて築いてきた文明を否定し、原始社会に戻るべきなのか。
実はこの問題、2500年前から、様々な論争が行われてきた。
それこそ、諸子百家のメインテーマ、諸子争論を戦わせており、未だ結論には至っていない。
2500年前から論争されてきたということは、2500年前から同じように開発による環境破壊の問題が生じていたのだ。
環境問題は何も今に始まったことではないようだ。
孔子と墨子は方法に違いはあるが、文明社会は維持されるべきとの立場をとっており、それに対し老子は、文明よりも自然の方を優先させるべきで、人間は自然の一部にすぎないと述べている。
5.老子的イノベーション
物質で欲望を満たそうとする限り、人類は益々自然を破壊し、世界はますます混迷度を深めると、2500年前に老子は警告を発している。
しかし人類は、世界を混迷させながらも今だに健在で、2500年前より繁栄しているではないか。
安定した電気の供給を当たり前だと感じている国の人が、インフラが整っていない人たちに対して、新しい発電所の建設をするなという事は言えないし、私たちが今の電気供給をスッパリと諦め、自然エネルギーだけに切り替えることも出来ない。
我々は、老子に共感しながらも、文明から逃れられない。
それではどうすれば良いのか。
物質的な繁栄を追い求めることで満たそうとしていた幸福感を、精神的な幸福感に振り分けながら、環境と欲望のバランスをとること。
つまり、
カタチのあるものに偏っていた幸福感を、カタチのないものに振り分ける。
カタチのあるもので満たそうとしていた幸福感を、カタチのないものに置き替え、そこに幸福感を感じさせながら、環境と欲望のバランスをとる
そこにテクノロジーが絡むと、様々な事が可能になり、そこにマーケットニーズが生まれる。
例えば、VRやホログラフィックが発達すると、ジェット航空機で二酸化炭素をまき散らしながら旅行に行く必要はなくなる。
栄養タンクを自宅に設置し、3Dプリンターで世界中の料理を自宅で再現できれば、店舗も必要なくなり、ゴミも発生しなくなる。
ペーパレスで森林は伐採されず、リモートワークは交通量を減らしている。
イノベーションのポイントは、
既存の有形のものを、無形のものに置き替えるだけでなく、
既存の有形のものを、どのように無形のものに置き替え、そこに幸福感を感じさせるか、だ。
ペーパレスで環境を守りながら、どうやってそこに幸福感を感じさせるか。
リモートワークで交通量を減らしながら、どうやってそこに幸福感を感じさせるか。
それこそ、老子風イノベーション。
ニッポンには、老子が来日したらさぞかし喜ぶであろう、情緒豊かな四季があり、自然を大切にする文化に彩られた無形遺産がある。
そこに、有形商材とテクノロジーを上手に絡め、美しさと幸福感を与えることで、日本独自のイノベーションが可能ではないか。
それこそが、ニッポンを元気にする。
6.足るを知るは富む
可欲より大なる罪は莫く、足るを知らざるより大なる禍は莫く、得んと欲するより大なる咎は莫し。
故に足るを知るの足るは、常に足るなり。(道徳経第四十六章)
自分の豊かさや、権力を誇示し、
人々の物質的な要求や、欲望を煽ること程、大きな罪はない。
何をもって満足するのか、それを知らない限り、欲望は底なし沼だ。
とめどのない欲望は、いずれ大きな禍を招くだろう。
もう一つのソリューションは、
自分は何をもって満足できるを明確に把握し、
欲望のコントロールをすることだと老子は言う。
欲しいものが、車や洋服などの消耗財でもいい。
問題は、何をもって満足するか、
どの位所有すれば、こころが満たされるのか。
何を、どれだけ所有すれば満足できるのか。
無形のものに振り分けた場合、満足度はどの位なのか。
欲望量の把握が曖昧だと、逆に欲望が煽られやすい。
どの位の量なのか把握すること。
それを、老子は「明知」といった。
「足るを知る」という言葉には、様々な解釈があるが、
「何をもってこころは満足できるのか」
今回は、この解釈で、終わりたいと思う。
次に続く…
一般社団法人数理暦学協会
山脇史端