老子と学ぶ人間学① 現代若者考
今まで8回に渡り、
佐藤一斎の重職心得箇条を、連載してきた。
一斎は江戸時代中期から後期の
日本を代表する儒学者だ。つまり、
これまで説明してきたものは、
儒学(朱子学)に基づく考え方である。
今から約2500年前の戦闘動乱期の中国大陸に
後世に諸子百家と呼ばれるようになった哲学思想集団が登場した。
その中で、今我々の世界に強い影響力を与えているのが、道教と儒教だ。
交感神経の儒教と、副交感神経の道教
儒教は、随から清王朝の約1300年に渡り、
科挙(官僚試験)として登用されてきた、
官学的な色彩の濃い思想だ。
儒学が理想とする人物は、
理知的で才気あふれ、
活動的で礼儀正しく、
身だしなみにも気を配り、
他を思いやり、
決まり事はきちんと守り、
私欲を持たず世の中に尽力する
優等生タイプの人物像だ。
仁義礼智信を常に心がけ、
周囲に気を配り、
利他の気持ち、寛恕の気持ちで
頑張り続けねばならない。
生理学的には交感神経を常に働かせている状態だ。
当然のことながら、心身は緊張し、
ストレスも溜まり、自律神経も失調する。
バランスを整えるように、
中庸の大切さも唱えているが、
意識すればするほど逆に意識してしまう。
当然のことながら、
このような儒教的な人物は、
周りから信頼され、認められ、高い地位を任される。
高い地位についても、誇ってはならず、
謙虚に自省を続けねばならない。
そんな暮らしだと、健康は害しやすく、
このような人物ばかりを育成するから、
ストレス社会になってしまう。
私たちの社会は、この儒教思想を尊ぶため、
「周りから信頼される人間になれ」
「人を思いやる人間になれ」と
子供の頃から言われ続けてくるのだ。
それが、生まれもって自然に出来る人間と、
出来ない人間がいる。
生まれ持って自然に出来る人間を
「聖人」と呼び、
出来ない人間を「小人」、
努力して聖人になろうという人間を
「徳人」と呼ぶ。
小人には、聖人の道を心がけ、
聖人を模倣し習慣化すれば、
いつの日か自然に出来るようになるから、
日々精進せよういう。
果たしてこのような社会は、
住みやすい社会なのか。
この考えに真っ向から異を唱えた人物がいた。
その人物が、老子だ。
道教とは、老子の考え方を哲理とした東洋思想である。
儒教はエリート型思考だが、
道教は、服装や外見には無頓着で、
世間体を気にせず、
枠にはめられることが大嫌いで、
規則や命令には反抗したくなる、
アウトロー思考だ。
無為自然、自然のリズムを大切にし、
リラックスし、他とは比較しない。
本来の自分、あるがままを大切とし、
多様性を受容する。
生理学的には副交感優位で、
肉体的にも精神的にもリラックスしており、
安定した状態を保っている。
高級官僚や成功者の長寿の秘訣とは、
仕事では儒教を看板とし、
プライベートでは道教的に生きることだと言われている。
考えてみたら、渋澤翁も松下翁もプライベートは極めて道教的だ。
現代社会思考
我々の社会は、儒教タイプを高く評価してきた。
しかし昨今、儒教的考え方がイノベーションを阻害しているとも言われている。
上下関係を重んじる儒教型組織では、
若手の斬新なアイデアが抹殺されやすい。
現場で良いアイデアがあがっても、
下から上に意見を上げていく間に
凡庸な中間管理職がいたら、
立案もそこで止まってしまう。
子供の時の夢や希望も、
親の「まっとうな考え方」で霧散する。
このような社会構造の中で
頑張り続けることが強いられてきた。
それでもまだ、親や上司、リーダーに高い志があった時代は、目標とすべきお手本が身近にあったので頑張れた。
それに見合う給料や地位が保証されるのであれば、
それを目標に走り続けることも出来た。
だが、給料も、地位も上がらず、
高志のリーダーもいない今、
若者の意識が変化してきたのは、
自然の流れではないか。
頑張り続ける事に果たして意味があるのか?
仕事よりプライベート、
高賃金より「やりがい」、
出世より社会貢献、断捨離やミニアリスト
物質社会から距離を持ち、
環境意識の高いZ世代
現代の若者思考は、極めて道教型に変化している。
リモートワークや副業など、
組織への帰属意識の希薄化が進むと、
この状況は拍車がかかるだろう。
これから時代はどう動くのか、
若者が何を望んでいるのか、
老子と共に考察していきたいと思う。
道徳経 第一章
道の道とすべきは常の道にあらず。
名の名とすべきは常の名にあらず。
無名は天地の始め、有名は万物の母なり。
故に常に無はもってその妙を観んと欲し、
常に有はもってその徼(きょう)を観んと欲す。
この両者は同きに出でて、しかしも名を異にす。
同き之を玄という。
玄のまた玄衆妙の門なり。
「これこそが道だ」と
言葉で言い表すことが出来る道は、
絶対不変の道ではない。
これこそ仁だ、愛だ、大義であると、
名付けることの出来るものは、
絶対不変の概念ではない。
言葉で言い表すことが出来るものは、
相対的なものであり、
名をつけるのは他と区別するためだ。
相対的なものは、時間の推移、
状況の変化、立場の違いにより変化する。
我々が今まで追い求めてきたもの
金銭や地位や名声などは、
相対的なものである。
つまり、状況が変化したり、
立場が変わると、その価値は変わってしまう。
今まで自分は裕福だと感じ、幸せだった人間が、
自分より裕福な人たちと交わると、
幸福感は変化する。
前途有望だった子供が、受験に失敗すると、
失望感に変化する。
我々は、今まで、
そのような不安定なものを求めて、
切磋琢磨してきたのではないか。
そのため、
それまで信じて疑わなかった道が変化すると、
どうして良いのかわからなくなり、
信じていた道に迷いを感じる。
だからこそ、
既成の価値観の大変化期である今、
道に迷う人たちが増えている。
これこそ、今の状況だ。
一元太極論
道に迷ったらどうすれば良いのか。
一番の方法は、ひとまず出発点に戻ることだ。
人間にとって出発点とは何か。
人間は、天地という相対空間の中で誕生した。
陰陽ともいう。
仁だ、愛だ、大義だのという人間の
固定概念は相対性のものであり、
天地(陰陽)に分化したときから始まった
相対的な考え方だ。
分化する前のものは何か。
無名は天地の始まり
名のない世界、漠然とした世界、
無の空間こそ人間の原点であり、
無から、天地 陰陽という相対概念が生まれ、
そこからあらゆる現象(万物)が創出した。
その元になる概念を、一元太極という。
陰陽に分かれる前の根元の気だ。
根気、太極こそ永久不変のものであり、
天地万物の究極の始まりである。
この太極から天地が生まれ、陰陽が生まれた。
そして二極に分化したときから、
相対的思考と、変化が始まった。
二極に分化したときから、
他者と比べるという相対意識が生まれたのだ。
陰陽は分化を繰り返し、無数に変化をしていく。
だが、その根源にあるものは不変である。
だからこそあらゆる現象が、
変化を繰り返しながらも
分裂せずに調和を保っている。
唯一無二の存在であり、
根源として不変の太極がある限り、
いくら変化しても安定しているのだ。
全ての事象の根源である太極は、
感覚を超越する存在であるため、
玄(深淵にあるもの)としか呼びようがない。
イヤ、「玄」と一言で表せるものでもない。
玄之又玄、衆妙之門
玄のまた玄、
深淵の更に深淵にあるもの
ここから全てが始まっている。
そのため、無理に見ようと頑張っても見えないものだ。
逆に、無理に見ようとすると
本質から外れた上辺だけを見てしまう。
これこそ、愛だ、思いやりだ、志だと
頑張って自分の根源を見つけようとすると、
その上辺だけになってしまい、
見えた気になってしまい、
自己満足で終わってしまう。
どちらも同じ「見えた」であるが、実態は異なる。
異なるのだが、なぜか同じように感じてしまうのが不思議だ。
この不思議が解明できれば
あらゆる本質の入り口が見えてくるだろう。
(以上、第一章意訳)
現代若者思考
人は誰もが幸福でありたいと願う。
これは、孔子も老子も古代の人も現代人も変わらない。違うのは、幸福の内容と、それを得る方法である。
今まで私たちは、
お金・地位・マイホーム・自慢の出来る夫、
美しく貞淑な妻、未来有望な子供などを
幸福の条件とし、それを得るためには、
道徳的な人間にならねばならない、
勤勉でならねばならないと、
背負い切れない程の理想を背負って
毎日を頑張ってきた。
老子は、その重荷のために足下がふらついて、
人生において最も大切な道を
見失っているのではないかと説いている。
最も大切なものは何か。
今の若者達は何を求めているのか。
共感力を重視する社会
玄之又玄
深淵の更なる深淵にある何かであり、言語に出来ない世界観だ。
だから質問しても、漠然とした答えしか出てこない。
だからこそ、必要なのが共感力だ。
その漠然とした世界を共に感じることが出来る
人と人との繋がりだ。
彼らが感じるものは、地球そのものかもしれないし、
宇宙かもしれない。
地球環境は危機に瀕している。
我々人類は、地球汚染だけにとどまらず、
宇宙環境まで汚染している。
それを共に感じるものの意識は、
お金より環境に向かっていく。
儒教から道教へ。
孔子から老子的思考へ。
老子的思考とは何か。
深淵なる深淵の世界だが、
老子は道徳経にて、数多くのヒントを与えてくれている。
この書を読むことで、未来への方向性を見つけていきたい。
何回の連載になるかわからないが、
老子の世界をできるだけわかりやすく案内したいと願っている。
一般社団法人数理暦学協会
代表理事 山脇史端
参考図書
ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義
田口佳史著 到知出版社
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