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江良 大津霊瑞の碑と地蔵堂

説明

 江良から崋山に登る登山道の入り口付近でわき道の縁に石垣で小高くした区画に石碑と地蔵堂が並んでいます。(F)

大津霊瑞の碑

 神上寺第61世の住職である大津霊瑞氏は1815年(江戸時代後期)、山口市秋穂の生まれで、本名は藤村善十郎と云ったそうです。藤村家が代々大津屋と称したのが名前の由来だそうです。当時付近では数年おきに凶作にみまわれていましたが、備蓄した米穀を村に寄贈し、策を講じました。村民はその公徳を讃え、石碑を建立したそうです。碑文は豊田神社宮司の成瀬嘉貞氏が作成されたそうです。(F)
 読み下し意訳文:豊田町史に記された碑文の訳文を引用しますと、大津霊瑞之碑 君姓は大津、周防国吉敷郡秋穂村の人なり、幼にして学に志す。長ずるにおよび釈氏の教を信じ諸国を遍歴し教風法雨の間に立ち、専ら仏門の蘊奥を探求し大に得る所あり。後、神上寺の住職となる。寺は旧長府藩上累代祈願所にして実に県内屈指の巨刹なり。職にあること二十余年。名声顕著なり、君嘗めて本村の為に米穀十二石を蓄え予め他日の凶荒に備え以て利殖の策を設く。今や二十余石に至る。そもそも大変地妖は人世の免れざるところ而して万衆の恐れる所なり。而して君率先して救済の道を講ず。恩恵偉なりと謂うべし。村民遺徳を追慕してやまず。相謀りて碑を樹て後民に伝う。銘に曰く
豊華徳仙 山水美をあつむ
魂や魂や 水えにここにやすらかれ。
媒軒 成瀬嘉貞 撰井書
江良村建之
明治24年林鍾

地藏堂

 石碑と並んでトタン葺きの小さなお堂があり、3体の御地蔵さまが安置されています。左から坐像、小さな船形の立像、白く塗られた立像のお地蔵さまが並び、その周囲に五輪塔など古い石像の破片が数多く収められています。これもまた周囲から集められたもののようです。(F)

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大津霊瑞石碑

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地藏堂

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場所

〒750-0452 山口県下関市豊田町大字江良

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