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2024長崎くんち 麹屋町 7日朝


2024.10.07
2年連続で長崎くんちにやってきたが、7日は雨の予報も出ているため、気がかりは、雨であったが地元民に聞けば、台風でも来ない限り、くんちは延期にならないよと教えられていた。だって、笠鉾だけじゃ無い、陣営の衣装はもちろん、女性陣の正絹の着物が濡れたら大変でしょに皆くんちに対して畏敬の念を持っていて、衣装が濡れることに対してなんとも思っていないそうで、正に天晴れだね。長崎くんちは唐津くんち・博多おくんちと並んで「日本三大くんち」と言われています。


五番手は麹屋町です。毎年10月7・8・9日の3日間行われる「長崎くんち」は、コロナ禍で3年間の休止を挟み、10年ぶりの出演となることしの7か町の第五番は麹屋町の「川船」です。なんと週6日の稽古を重ね、「押せ曳け廻せ」を合言葉に荒々しい船廻しを見ることが出来るそうです。


麹屋町の見せ場の一つが「網打ち」で、その網打船を務めるのは、西浦上小学校5年の久米緩征(くめかんせい)君で、約3kgある投網を見事に投げ、諏訪神社に献上する鯉を一網打尽にしていた。


長崎くんちで「川船」を奉納する町は全部で7カ町ありますが、その中でも麹屋町の船は長さ6.5m、重さは3tを超え最大なものであった。1回目の東京オリンピックが行われた60年前の昭和39年(1964年)から「川船」を奉納している麹屋町では、「川船(かわふね)」とは言わず、「大きな船」をイメージしてもらえるよう「川船(かわぶね)」と濁るそうです。


演技の終盤に、霧状の水を噴く趣向は麹屋町だけの演出で、そしてもうひとつの見所は、根曳が息を合わせて挑む5回転半する大技「梅の風車」の演出でくんちファンを沸かせ、ヨイヤーの声が掛かっていた。
古くは染め物に関わる職人が多く集まっていたため「新紺屋町」と呼ばれていたが、その後、これも水が重要な役割を果たす味噌や醤油を作る際に使用する麹職人が多く集まってきたことにより正保年間(1644~1647)頃、現在の「麹屋町」へと改称されていた。江戸時代の奉納踊りは「剣舞(石川五右衛門の劇)」や「御茶壺献上の行列」などであり、その後「本踊り」を奉納した年代もあったが、現在は川船を奉納している。この根曳衆は、年齢制限を設けていて町では、高校を卒業してからでないと根曳にはなれないが、奉納が3年延びたことで出演や奉納に関われるようになった若者がいたそうだ。


振る舞いでは、紅白の玉はんぺんが配られていたが、隣のおばさんに差し上げていた。

長崎くんちの日に食べる料理(くんち料理)には、小豆ごはん・柘榴(ザクロ)なます・ドジョウ汁・更紗汁・お煮しめ・甘酒等があり、長崎の庶民の間で食べ継がれてきました。これ らの料理には次のような特徴があります。 ◆小豆ごはん…おこわではなく普通のご飯に小豆を入れて炊いたもの ◆お煮しめ…長崎で古くから作られている赤さといもを使う赤と白がメインのおめでたい料理ですね。また、赤には「魔除け」 「厄除け」白には「浄化」の意味もあります。
#麹屋町

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